ヘチマ の山 3 月 3 週
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○自由な題名
○この一年、新しい学年
★私が市場へゆく道は(感)
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【1】私が市場へゆく道は、いかにも自然発生的な細いやさしい道だ。家と家との間に何となく作られた人間のふみならした道だ。ところが、その道は最近アスファルトがしかれてしまった。夏の日など、かごを下げて歩いてみると、いかにもむんむんして照りかえしがきつい。それに何ともふぜいがなくなった。
【2】私は舗装されたのを残念に思った。新たに作った高速道路のようなものならまことにりっぱな舗装があってしかるべきだと思う。しかしほとんど車も通らない昔ながらの通り路のようなものまで舗装する必要は果たしてあるのだろうか。【3】いちおう石ころで足裏がごろごろすることもなくて歩きやすいようではあるが、幅一メートルありやなしやのこんな細道がべタッと黒くアスファルトを塗られているのはいたましくさえある。弱いはだにこってりドーラン(おしろいの一種)をぬって皮膚呼吸をふさいでしまった感じがする。
【4】私がこどものころはいていた皮靴は、たいていどれもこれも爪(つま)さきがけばだっていた。石けりをしながら歩くせいだ。これときめた小石を、小さくけりつづけながら学校へゆき家に帰る。車の心配などほとんどせず、けとばした石のゆくてのまにまに、よろけながら歩くのである。【5】いま、こんなことをしたら、それはもういっぺんに車にひかれてしまうが、昔はそんなことをしながらにぎやかにこどもは道を歩いた。
道にはいろいろなものがあった。しゃれた石、虫の死がい、雑草の可憐な花、ラムネびんの破片、石炭のかけら、鳥の羽。【6】そんなものにいちいち心をとめながら、ゆっくりとこどもは楽しみながら歩くのであった。舗装された道にはそんな、手にとりたいようなものは何にもないのだ。
最近ある方から石を一ついただいた。【7】ダイヤモンドやルビーでもない、また当然石ブームでさわがれる菊石とか赤石とかのしろものでもない。平べったい薄茶色の石で、手のひらに軽く乗る大きさ、重さである。
ただおもしろいのは、全体にキララ(光る鉱物の一種)が入っていることで、光を受けて小さく一せいにまたたく。【8】太陽にあてると楽しいですと言われて、私は日の光にも、また月の光にも照ら∵してみた。チカチカとかわいらしくきらめくのをみると、いわゆる童話の世界のおもむきがある。その人は、道で拾いましたと言った。どんな道だろう。【9】ゆたかな気持ちで、ものみなすべてにいとしみを感じながら歩く土の道にちがいない。無味乾燥なアスファルト道路、車が通るだけのための道にはこんな石はないのだ。
もちろん舗装された道も場合によっては大切である。【0】ほこりをあびせかけられる街道筋(かいどうすじ)の家などは気の毒で見られない。一刻も早く舗装しなければ、道すじの家は窓も開けられない。だが、道が一番道らしいのは、人間のくらしをあたたかに支え、いろいろなものを発見することのできるふみしめられた道である。この事だけは忘れてはならないのだ。