ヘチマ2 の山 3 月 3 週
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○自由な題名
○この一年、新しい学年
★(感)考えることが
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【1】考えることが得意でない風に見える人々がいる。たとえばほとんど口をきかず、毎日にこにこと店でトンカツばかり揚げているようなおやじは、そう見えるかもしれない。しかし、このおやじのトンカツがとびきりうまいとしたら、この人ほどものを考えている人間は少ないかも知れない。【2】とりあえずは、そう仮定しておく必要がある。私たちは、こういう人の存在に実に鈍感になった。鈍感になって、いつもひりひりとした自負心、嫉妬、焦燥、退屈にさいなまれるようになった。【3】誰もかれもが、得体の知れないこの時代にともかくも遅れまいとし、遅れていない外見を作ることに忙しくなった。それで私たちは、一体何を考えているのだろう。
トンカツ屋のおやじは、豚肉の性質について、油の温度やパン粉の付き具合についてずいぶん考えているに違いない。【4】いや、この人のトンカツが、こうまでうまいからには、その考えは常人の及ばない驚くべき地点に達している可能性が大いにある。このことを怖(おそ)れよ。この怖(おそ)れこそ、大事なものである。
むろん、私はうまいトンカツの重要性について述べているのではない。【5】では、何の重要性について述べているのか。それを簡単に言うことは、どうも大変難しい。けれども、大事なことはみな、このように難しいのである。だから、トンカツ屋のおやじは黙ってトンカツを揚げている。【6】彼は学問を軽んじているのでも、思想を軽蔑しているのでもない。ただ、彼は自分の仕事が出会ういろいろなものの抵抗で、それらの抵抗を克服する工夫で、いつも心をいっぱいに満たしているから、余計なことを考える暇も必要もないのである。【7】こういう男のトンカツが、いつのまにか万人の舌を説得している、このことにこそ人間の大事があると、私は思っているに過ぎない。
ここに中学生の男の子がいるとしよう。この子は、学校の勉強以外、学ぶということを一切したことがない。【8】したがって、トンカツ屋のおやじを怖(おそ)れるだけの知恵がない。だから、怖(おそ)れ気もなくこ∵う尋ねる。おじさん、なぜ人を殺してはいけないの? おやじは、まずこんな質問には耳を貸さないだろう。じゃまだから、あっちに行ってろと言うだけだろう。【9】それでおしまいである。何の騒ぎも起こらない。この子が中学を出て、高校などには行かず、トンカツ屋のおやじのところに見習いに入ったとしよう。そこで、同じ質問をする。お前は見込みがないから、ほかで仕事を探せと言われるだろう。【0】しかし、このおやじがもっと親切なら、見習い坊主は張り倒される。それでおしまいである。
怖(おそ)れのないところに、学ぶという行為は成り立たない。遊びながら楽しく学ぶやり方は、元来幼稚園の発明だが、今の日本の学校はそれが大学まで普及し尽くしてしまった。日本だけではなかろう。二十歳を過ぎてもまだ遊んでいる人間が数えきれずいる国では、やがてそういうことになる。遊ぶことと学ぶこととが、どう違うのかわからない。子供たちは何も怖くないから、勝手に教室を歩き回るようになる。
怖(おそ)れることができるには、自分よりけた外れに大きなものを察知する知恵がいる。ところが、このけた外れに大きなものは、けたが外れているが故に、寝そべっている人間の眼には見えにくい。見習い坊主もまた、パン粉を付けてみるしかない。それは、初めちっとも面白い仕事ではないだろう。怖(おそ)れる知恵がまだ育っていない者に、心底面白い仕事などあるわけがない。だが、知恵は育つのだ。豚肉やパン粉があり、怖いおやじがいる限りは。
(前田英樹『倫理という力』)