タラ2 の山 4 月 3 週
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○自由な題名
○おねしょの思い出


★並木の道、石の道(感)
 並木の道、石の道
 【1】長い長い街道は、全国各地から都へむけて、みつぎものをとどけるための道であり、また戦争にでかけていくための道であり、戦争や、都づくりの工事にかりだされる人たちが、故郷をあとに都へむけて旅立つための道でした。【2】旅人たちは、じぶんの食糧をかついで何日も何十日もさびしい道を歩きつづけたのでした。ニワトリの声でもいいから聞きたいなあと思うほど、心細いことばかりでした。病気になる人もありました。水も食糧もなくなって、死んでいく人もありました。【3】並木道は、そんな旅人たちをやさしくたすけてくれたのです。
 やけつくような暑い日ざしのま夏には、並木のこずえはすずしい木(こ)かげをつくりだしてくれました。雨がふれば、雨やどりの場所になりました。夜がくれば、木かげはねる場所になりました。【4】そして、食糧のない旅人には、木の実を提供してくれました。ですから大むかしの並木は、いまとちがって、カキやナシなど、くだもののなる木だったのです。
 街道にはところどころに、駅もおかれていきました。駅にはウマを何頭もおきました。
 【5】それは、いざといういそぎの知らせのばあいには、役人がウマをのりついで、早馬を走らせることができるようにした制度でした。
 鎌倉時代になりました。源頼朝が鎌倉に幕府をひらくと、幕府はこんどはまわりの山を切りひらいて、切りどおしの道をつくっていきました。【6】それは戦争にそなえてのものでした。いざ戦争というときに、各地に散らばってくらしている武士たちが、いちはやく鎌倉へはせ参じることができるよう、街道をととのえていったのです。いまも鎌倉には切りどおしの道がたくさんのこっています。
 【7】道はこのようにして、すこしずつととのえられていきました。旅館もたつようになりました。並木のしゅるいはくだもののなる木から、いつかサクラやウメにかわり、さらにスギやヒノキやマツ∵並木へと、かわっていったのです。
 【8】それにしてもくだもののなる並木道とは、なんとすばらしいちえだったことでしょう。ドイツにも、むかしはそんな並木道がありました。けれどもそれは旅人たちのためにつくられたものではなく、領主たちが、ただ実をとることを目的に、じぶんの畑の一部として植えたものでした。【9】しかも、日本よりは千年ものちのことだったのです。
 くだもののなる木の並木道は、いまでも日本にあります。長野県飯田(いいだ)市のりンゴ並木は子どもたちが植えそだててきたものです。また茨城県日立市には、アンズの並木道があります。【0】
 
 「道は生きている」(富山和子)講談社青い鳥文庫より