サツキ の山 5 月 3 週
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○自由な題名
○家で飼(か)っている生き物のこと


★牛のお通りで電車がとまる(感)
 牛のお通りで電車がとまる――牛をうやまうインドの人――

 【1】町のまん中で、なにかじけんがあったのでしょうか。いままで走っていた電車がとまってしまいました。自動車も、うごきません。
 人ごみをのぞいてみますと、牛が二頭、一頭は電車のせんろに、一頭はそれとならんで、のんきな顔つきで、ねそべっています。
【2】「こまったなあ。はやくどいてもらわなくては、通ることができない。」
と、電車の車しょうも、自動車のうんてん手も、こまった顔です。
 【3】つなをつけてひっぱるとか、ぼうでおいはらったらよいとおもいますが、だれも、そんなことをしようとおもわないようです。
 【4】そのうちに、牛はゆっくりとおきあがって、町の大通りを、さんぽでもするように、のそのそとあるいていきました。電車も、自動車も、なにごともなかったようにうごきだしました。
 【5】これは、日本のはなしではありません。インドのカルカッタという町での、できごとなのです。
 インドでは、こういったことはたびたびみられます。【6】インドの人たちは牛をたいへんだいじにします。だいじにするというよりも、牛を、神さまが、かりにすがたをあらわしたものだとおもってうやまうのです。
 【7】ですから、カルカッタの町にはなん百頭という牛が野ばなしで、まい日、のそのそとあるきまわっています。
 町の人たちは、まい朝、その牛に、たべものをささげます。
 【8】ときには、牛が店さきのたべものなどを、しっけいすることもありますが、それでも、おこって牛をおいはらうようなことは、けっしてしません。牛が、通り道にねころんで、通りをふさいだりしていても、牛がうごきだすまで、のんびりと、まっているのです。
 【9】インドでは、たいていの人がヒンズー教というおしえをしんじていますが、ヒンズー教のしん者(じゃ)たちは、牛ほどやくにたつ動物はないとおもっているのです。【0】

(「世界ふしぎめぐり三年生」より抜粋)