タラ2 の山 5 月 3 週
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○自由な題名
○家で飼(か)っている生き物のこと
★車と人間(感)
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車と人間
【1】ひとむかしまえまでは、道路は「往来」とよばれ、歩行者とせいぜい自転車が行き来する、わたしたちのくらしのための場所でした。
「外であそんでいらっしゃい。」と、お母さんは、子どもたちにいいました。外とは、道のことを意味していたのです。【2】道は、子どもたちのかけがえのないあそび場でもありました。
屋台のお店がならぶとき、道はマーケットになりました。家の前にえん台をおけば、夕すずみの場所になりました。お客さんとお茶話をする応接間にもなりました。【3】道はお母さんたちの井戸ばた会議の会議場であり、また近所のおじさんたちが集まって、立ち話をする広場でもありました。道はそれほどに、わたしたちのくらしのすみずみとむすびついていたのです。
【4】その道が、いつのまに、あそんではいけない場所にかわってしまったのでしょう。ならんで歩いても、立ち話をしてもいけない場所になってしまったのでしょうか。自動車が走るようになってから、道はすっかりかわったのです。
【5】自動車は、とてもべんりなのりものでした。人間は、もうじぶんの足で歩かずに、どこへでもいくことができました。重い荷物もらくらくと、はこぶことができました。また、スピードをあげて走るのは、とても気持ちのよいことでした。
【6】人々は、このすばらしいのりもののために、道をゆずってあげました。人間は、すみっこのほうを小さくなって歩きました。でこぼこ道は舗装をし、まがった道はまっすぐにつくりなおしてあげました。【7】さて、自動車が走りやすくなると、だれもが車を使いたくなりました。道はみるまに満員になりました。
「もっと道を広げたらいい。」
だれもがそう考えました。家々をたちのかせ、並木をはらい、道を広げていきました。自動車はまた、すいすいと走るようになりました。【8】すいすいと走る車を見ると、ほかの人たちも車がほしくなりました。また自動車がふえました。車は身うごきがとれなくなりました。
「のろのろ走っているのでは、自動車の意味がない。もっと道を広げよう。」
「もう一本、道をつくろう。」
【9】また家がたちのかされました。路面電車もバスも追いだされて、道は広げられ、車は流れるようになりました。路面電車がなく∵なって、足をうばわれた市民たちは、じぶんで車を運転するようになりました。
道はまた、車で満員になりました。【0】そこでもう一本、道が必要になりました。もう、いたちごっこでした。こうしてみるまに日本じゅうが、車でいっぱいになったのです。
いまではわたしたちは、車なしでは一日も生きていけなくなっています。毎日使う一まいの紙も、たった一本のえんぴつも、車ではこばれてきます。じゃ口からでる水道の水も、電波で送られてくるテレビの画面も、どこかでかならず、車のおせわになっています。わたしたちのくらしは、自動車で、がんじがらめにされています。
「道は生きている」(富山和子)講談社青い鳥文庫より