ヤマブキ の山 5 月 3 週
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○自由な題名
○服

○The writing of the Egyptians(感) 英文のみのページ(翻訳用)
The writing of the Egyptians began with pictures. At first the pictures meant just the things that were drawn, for example, a house, a lion, a big snake, a dish, a duck, or a man. Then pictures were drawn to stand for ideas and actions. The picture of an eagle meant "eagle". If the eagle had a man's head, the picture meant "soul". The picture of an eye meant "eye", but the picture of two eyes meant "see", and if tears fell from the eyes, the picture meant "cry".
The Egyptians did something else with the pictures of their written language. They used some of the pictures to stand for sounds in their language. Although the picture of an eagle meant the bird, it could also stand for vowel sound [a:] as in English word "car". Egyptian writing was difficult. It is a puzzle made from pictures.
They stand for the sound, but do not stand for the meaning of a word. In old Egypt there was a group of people, and their only work was writing. They were called "scribes". We know how they looked and worked. Because scribes appear in many of the paintings that tell us about the life of old Egypt. A scribe usually carried a roll of papyrus under one arm, and under the other arm he carried a wood pen with an inkpot.
A scribe had to know how to make many pictures. The twenty-six letters in alphabet spell all its sounds, and they are learned by English and American small children. The Egyptians had more than 3,000 pictures in their writing. Only 600 were often used.
The Egyptians made writing an art and developed it better. They had pictures for things, for actions and ideas, and for some sounds. But they did not have a true alphabet for every sound in the Egyptian language.

★父が父でなくなっている(感)
 【1】父が父でなくなっている。父が父の役割を果たしていない。家族を統合し、理念を掲げ、文化を伝え、社会のルールを教えるという父の役割が消えかけている。その結果、家族はバラバラになっていわゆる「ホテル家族」となり、善悪の感覚のない人間が成長し、全体的視点のない利己的な人間や無気力な人間が増えている。
 【2】父としての役割は、立派な父でないと果たすことができない。立派でない父が家族を統合しようとし、理念を掲げても、家族から無視されるだけである。立派な父が必要とされているのに、しかしその立派な父が育ちにくいのが現代社会である。【3】そもそも「立派」などというものが流行らない世の中なのだ。自らの欲望をコントロールし、全体の将来を考えてリーダーシップをとり、各成員の調停をして取りまとめ、ルールを教えるという「立派な」人格は、尊敬の対象にはなりにくい。【4】「正直」だの「誠実」だのという抽象的な徳目(とくもく)を唱える父親は、子どもたちから煙たがられる。あまり立派でない、むしろだらしのないくらいの父親のほうが親しまれることになる。「ありのまま」がよいとされ、「立派」なのは無理していると見られ、不自然だとみなされる。
 【5】父でなくなった父の典型が「友だちのような父親」である。彼らは上下の関係を意識的に捨ててしまった。価値観を押しつけることは絶対にしない。子どもの自主性を重んじて決して強制はしない。何をするのも自由放任である。【6】しかしそういう父親の子どもは「自由な意志」を持つようにはなるが、「よい意志」を持つようにはならない。精神力がなく無気力になりがちなので簡単に不登校になったり、逆にわがままになると「いじめ」に走ったりする。
 【7】いじめっ子の出来方は、わがまま犬の出来方によく似ている。飼い主の言うことをきかないわがまま犬は、飼い主が自由放任でルールを教えなかったために生まれるのである。犬の意志を尊重して、犬の要求を何でもきいてやっていると、犬は自分が主人だと思って自由意思を持ち、勝手に要求をして、やたらと吠えるようになる。【8】飼い主が父として原則・理念と生活規則を教え、一定の我慢をすることを教えないと、子どもでも犬でも同じようにわがままに育ってしまうのである。
 「友だちのような父親」は、じつは父ではない。父とは子どもに文化を伝える者である。伝えるとはある意味では価値観を押しつけることである。【9】自分が真に価値あると思った文化を教え込むのが父の最も大切な役割である。上下の関係があり、権威を持∵っていて初めてそれができる。しかし対等の関係では、文化を伝えることも、生活規則、社会規範を教えることもできない。「もの分かりのいい父親」は父の役割を果たすことのできなくなった父と言うべきである。【0】

(林道義「父性の復権」より)