ナツメ2 の山 6 月 3 週
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○自由な題名
○家族(かぞく)の長所
★ゴミの問題は(感)
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【1】ゴミの問題は、限りある資源をどのように有効に使うかという大きな課題にもつながっている。ゴミは、物の持ち主から、「おまえはもう役立たずだ。」という、お払(はら)い箱判決を受けたものだ。【2】しかし、ある一人の人の、ある一つの目的にはもう役に立たなくなっても、ほかの目的には、あるいはほかの人には、じゅうぶんに役立つことがある。例えば、木製のいすは壊れてしまえば、それに座るという目的は達せられない。【3】しかし、いすに使われている木はじゅうぶんに乾燥していて、狂いがこなくなっている。木工の材料としてみたら、なかなか値うちのあるものである。木工の仕事をしている人にとっては、ぜひとも欲しくなるほどの材料だといってもよい。【4】それなのに、いすの持ち主がこれはもう要らないと判決を下すと、それがゴミとして集められて、焼却されてしまうというのでは、ずいぶんむだをしていることになる。【5】こういうむだをできるだけ小さくしていくこと、つまり、一つの目的には役に立たなくても、それが役立ちそうなほかの用途を見つけ出して、物をできるだけ長く生かしてやること、これは、ゴミを少なくするだけでなく、資源を有効に使うことにもなるわけである。
【6】もちろん、物を捨てることにもプラスの面がないわけではない。古いものは不要だと考えて、次々に新しいものに替えていくという新陳代謝が盛(さか)んであると、次々に需要が生み出されて、経済活動が活発になる。【7】これはこれでプラス面である。しかし、その反面として怖いのは、みんなが「使い捨て式」で物を捨てていくならば、経済の中に蓄えられていくものがなくなるということである。【8】せっかく作り出した物、せっかく買ったものをすぐ「不要だ。」と判決を下して捨ててしまうのでは、また同じ物を作ったり買ったりすることに精力を使わなくてはならない。【9】一度作り出したり買ったりしたら、今度は別の物を作ったり買ったりするのに精力を使ってこそ、物は本当に豊かになっていくのである。何も蓄えられた物がなくて同じ物を繰り返し繰り返し手に入れようとあくせくするようでは、生活に進歩は生まれない。【0】∵
日本のことわざに、「捨てる神あれば拾う神あり。」という。これをもじっていえば、わたしたちはどんどん紙を捨ててゴミを作り出しており、「捨てるカミ(紙)」がいっぱいなのだから、そういうゴミを「拾うカミ(神)」がいてくれなくては困るのである。
しかし、そういう神様は、どこか空の高い所に住んでいるのでもなくどこかのほら穴に潜んでいるのでもない。人間が知恵を出して生み出さなければならないものである。
物を作るときには、再生利用することを初めから考えて作るというのも、神様を生み出す方法の一つになるだろう。できるだけ長持ちする製品を割安にするようにくふうするのも、その一つだろう。今いろいろな知恵を出し合って、ゴミをできるだけ少なくし、資源を有効に使うようにしないと、やがて人間そのものが地球から捨てられてしまうかもしれないのである。
(岸本重陳(しげのぶ)の文章より)