ガジュマロ の山 6 月 3 週
◆▲をクリックすると長文だけを表示します。◆ルビ付き表示▲
○自由な題名
○ペット
英文のみのページ(翻訳用)
★井戸端園の(感)
◆
▲
【1】井戸端園の若旦那が、ある日、私に話してくれました。
「施肥が充分で栄養状態のいい茶の木には、花がほとんど咲きません。」
花は、言うまでもなく植物の繁殖器官、次の世代へ生命を受け継がせるための種子をつくる器官です。【2】その花を、植物が準備しなくなるのは、終わりのない生命を幻覚できるほどの、エネルギーの充足状態が内部に生じるからでしょうか。
死を超えることのできない生命が、超えようとするいとなみ――それが繁殖ですが、そのいとなみを忘れさせるほどの生の充溢を、肥料が植物の内部に注ぎこむことは驚きです。【3】幸福か不幸かは、別として。
施肥を打ち切って放置すると、茶の木は再び花を咲かせるそうです。多分、永遠を夢見させてはくれないほどの、天与の栄養状態に戻るのでしょう。
茶は、もともと種子でふえる植物ですが、現在、茶園で栽培されている茶の木のほとんどは挿し木もしくは取り木という方法でふやされています。
【4】井戸端園の若旦那から、こんな話を聞くことになったのは、私が茶所・狭山に引越した年の翌春、彼岸ごろ、たまたま、取り木という苗木づくりの作業を、家の近くで見たことがきっかけです。
【5】取り木は、挿し木と、ほぼ同じ原理の繁殖法ですが、挿し木が、枝を親木から切り離して土に挿しこむところを、取り木の場合は、皮一枚つなげた状態で枝を折り、折り口を土に挿しこむのです。親木とは皮一枚でつながっていて、栄養を補給される通路が残されているわけです。
【6】茶の木は、根もとからたくさんの枝に分かれて生長しますから、かまぼこ型に仕上げられた茶の木の畝(うね)を縦に切ったと仮定すれば、その断面図は、枝がまるで扇でもひろげたようにひろがり、縁が、密生した葉で覆われています。【7】取り木は、その枝の主要な∵ものを、横に引き出し、中ほどをポキリと折って、折り口を土に挿しこみ、地面に這った部分は、根もとへと引き戻されないよう、逆U字型の割り竹で上から押さえ、固定します。【8】土の中の枝の基部に根が生えたころ、親木とつながっている部分は切断され、一本の独立した苗木になるわけですが、取り木作業をぼんやり見ている限りでは、尺余の高さで枝先の揃っている広い茶畑が、みるみる、地面に這いつくばってゆくという光景です。
【9】もともと、種子でふえる茶の木を、このような方法でふやすようになった理由は、種子には変種を生じることが多く、また、交配によって作った新種は、種子による繁殖を繰り返している過程で元の品種のいずれか一方の性質に戻る傾向があるからです。【0】(中略)
「随分、人間本位な木に作り変えられているわけです。」若旦那は笑いながらそう言い、「茶畑では、茶の木がみんな栄養生長という状態に置かれている。」とつけ加えてくれました。
外からの間断ない栄養攻め、その苦渋が、内部でいつのまにか安息とうたた寝に変わっているような、けだるい生長――そんな状態を私は、栄養生長という言葉に感じました。
で、私は聞きました。
「花を咲かせて種子をつくる、そういう、普通の生長は、何と言うのですか?」
「成熟生長、と言ってます。」
成熟が、死ぬことであったとは!
栄養生長と成熟生長という二つの言葉の不意打ちにあった私は二つの生長を瞬時に体験してしまった一株の茶の木でもありました。(中略)
その後、かなりの日を置いて、同じ若旦那から聞いた話に、こういうのがありました。
――長い間、肥料を吸収しつづけた茶の木が老化して、もはや吸収力をも失ってしまったとき、一斉に花を咲き揃えます。
花とは何かを、これ以上鮮烈に語ることができるでしょうか。