黄イバラ の山 9 月 3 週
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○自由な題名


○専門と教養
★知り合いの内科の医者が(感)
 知り合いの内科の医者が言うことにゃ、
「長生きの基本的な秘訣は、血液がサラサラしていることだね」
というんです。これはどういうことかというと、血液がネバネバしてくるのが短命のもとだということなんです。血液がねばってくると、高血圧、ガンなどの諸病のもとになる。だから、自分の血からねばり気をとるのが、成人病を防ぐコツだと言うのです。
「では、どうすりや、血はサラサラになるの?」
と聞くと、「くいものだよ。日常のくいものを変えるのさ」という返事です。では、どんな食物かというと
「まず、肉を止めるんだね。魚にするんだ。豆、芋、菜っ葉などのあっさりした味つけのものにする。グルメっていうやつ、あのうまいもん探しに夢中になっているのは、死に急いでいるようなもんだよ」
 なるほど、旨いものに淫していると、命までも危なくなってくるんだなあ、と思い至ったわけです。
 といって、では、肉も砂糖も酒も絶対に止めて、というのもいかがなものでしょうか?
 ごく少量にするまでは良いのですが、完全に食べないというと、これも「止める」ことに淫していることにはならないでしょうか?
 こうして考えてみると、ストレスとは、どうも、何かに淫し始めたあたりから発生し始めるようでもあります。
 考えてみれば、あれもほどほどに、これもほどほどに、と、すべて無事平穏ばかり願って生きるのも、何か老人の知恵ばかりに終始していて、ちょっと面白くないような気もします。『論語』にも、「吾、七十にして、心の欲する所に従えども、矩をこえず」とありますが、孔子さまといえども、こういう境地に到達したのは七十歳で、それまでは大いにのりを越え過ぎて、失敗と後悔多き人生だったのではないでしょうか?
 人間何事によらず、夢を持ち、その達成に懸命になると、しばしば、その言行が傾(かぶ)いてくることがあります。換言すれば、奇行が多くなってくるのです。しかし、これも血の気の多い若いうちなればこそ、多少の行き過ぎもやむを得ないし、また面白味のあるところではないでしょうか。∵
 ただ、ここでそのストッパーとして一言。「その行き過ぎは、はたを楽にするという一線においてとどめられなければならない」。すなわち、「はたを苦にする働きであるならば、その働きは淫したものとして、改められなければならない」ということです。なぜならば、「はた苦」は、自分に近い者ばかりでなく、自分自身の幸福感をも損なってしまうからなのです。
 人生、自分のやりたいことを貫けるのは、たしかに素晴らしいことですが、それにしても、それは、「はた苦」を考慮した上のことでなければ、良く生きるのは難しいようです。
 昔、あるお婆さんが面白いことわざを言ったのを覚えています。ここに紹介しておきましょう。
「人もよかれ。我もよかれ。我は人より、ちょっとよかれ」

 (月刊「致知」無能唱元氏の文章より)