ニシキギ の山 9 月 3 週
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○自由な題名


○くたびれた思い出
 一つのエピソードを

 一つのエピソードをお話ししましょう。静岡(しずおか)県をながれる大井川の中流に、中川根町(なかかわねちょう)という小さな町があります。このあたりはお茶の産地で、町には茶畑がひろがっています。
 ところで、町のそばをながれる大井川は、まだむかしのままに、堤防がとぎれとぎれになっていました。そのため川の水が、ふえるたびに、茶畑や学校の校庭は、水につかってしまうのでした。
 県のお役人たちは、気のどくに思いました。なんとかして早く、こうずいから守ってあげたいと考えました。そこで堤防工事の計画を立て、町の人たちにいいました。
「堤防で、川をしめきってあげましょう。」
 すると、町のおとしよりたちはいいました。
「ここをしめきったら、こんどはむこう岸や、下流の町があぶなくなるではありませんか。いまのままで、けっこうです。」
 こういって、堤防工事をことわったのです。自然とつきあうには、人間のつごうばかりをおしとおすわけには、いかないものだということを、川とともにくらしてきたこの町の人たちは、よく知っていたのでした。この町ばかりではありません。おなじように考えて、水となかよくくらしている町や村が、このあたりにはいくつもあります。たがいに、あいてのことを考えあいながら、川を守っているのです。
 この話は、川とつきあうということはどういうことかを、わたしたちに考えさせてくれますね。

「川は生きている」(富山和子)より抜粋編集

★人間および動物を通して(感)
 【1】人間および動物を通して、広義のあいさつ行動は、一体どのような時に起こるものだろうか。第一に考えられるのは、個体と個体との出会いである。【2】互いに見知らぬ者どうしが出会う時は言うまでもなく、すでに知り合っている者の間でも、出会いがある程度の離別の後で起こった場合には、動物・人間を問わず一般にあいさつ行動が見られる。
 【3】未知の者どうしの出会いでは、相手の素性や気持ちがわからぬことからくる不安と警戒の念が、特にあいさつ行動を要求するのである。【4】そこであいさつを行なうことによって、何よりもまず、相手に対して敵意、害意のないことを示し、同時に不安からくる相手の攻撃本能の発動を抑える、つまり、相手をなだめ、安心させるのである。
 【5】人間の場合、出会いのあいさつ行為は、相手が以後仲よく共に行動してゆける仲間かどうかの、身元確認にもつながっている。そのためには、あいさつがそれぞれの社会で、文化的に慣習化されている一定の形式にしたがって行なわれることが必要となる。【6】この性質を強くもった、やや特殊なあいさつとしては、仁義や敵味方を暗闇で判別するのに用いられる合言葉などがあげられる。
 毎日一緒に暮らしている家族の場合でも、また同じ学校や職場に通うものどうしでも、一夜明けた朝の出会いの時には、必ずあいさつをする。【7】社会生活を営む人間にとって、別れて時を過ごすということは、私たちが思っている以上に、他者に対する言い知れぬ不安をつのらせるものらしい。
 【8】たしかに誰かと一緒にいるときは、その人の気持ちの変化についていきやすいし、同じ状況の下にいるわけだから、自分と相手との相互関係もわかっている。【9】ところがいったん離れてしまうと、その間は、二人別々の経験をすることになるため、気持ちのズレや考え方の食い違いが生じてしまう可能性がある。だからこそ∵再び出会ったとき、両者の気持ちや関係が、別れる前と同じで変わっていないことを確認したいのである。【0】このことは、なぜ人間は別れる時にもあいさつをするのかという問題にもつながっていく。
 私たちが別れの際にあいさつをする理由は、再び会う時まで、今別れる時と同じ親愛の気持ち、同一の帰属感を相手が抱き続けることを、あらかじめ確認しておきたいのである。
 このような解釈が正しいと思われる理由は、次のような事実の意味を考えてみればわかる。人間でも動物でも、短い別れの後の出会いの際のあいさつと、長い別離の後に起こった再会時のあいさつとでは、その入念さ、強さが異なるのである。(中略)
 動物の場合も同じで、旅行などで主人が長い間家をあけた後帰宅したようなとき、飼犬が喜びのあまり飛び跳ねて主人を迎えることは、犬を飼ったことのある人なら誰でも知っているとおりである。しかし毎日何度も主人の顔が見える時は、これほどの大騒ぎはしない。人間と動物のあいさつ行動で大きく違う点は、動物は先の予測ができないため、別離のあいさつがないことである。
 さて長期間の別れの前後のあいさつは、いま述べたように長く複雑なものとなる上に、餞別とかおみやげといった物的なしるしを贈ることによって、さらなる補強を受けることも多い。このように見てくると、私たちにとって互いに別れているということが、どれほど不安で心配なものなのかが、よく理解できると思う。

(鈴木孝夫の文章による)