ピラカンサ の山 9 月 3 週
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○Many school teachers(感) 英文のみのページ(翻訳用)
Many school teachers point out that the more children enjoy reading, the more skilled they become in reading. And literature, they say, is most useful for developing childrens reading skills. It should be welcomed that more and more teachers use literature for utilizing skills in joyful, purposeful reading. Care must be taken, however, to make certain that all literature falls within the reading levels of the children for whom it is provided. Although children will read different things at different levels, the frustrating experience of trying to read literature that is too hard may discourage a child from making attempts to read at all. Any literature that interests children, but that is too difficult for them to read, should be read or told to them by the teacher.
The children's interest contributes a great deal to fluency and speed in reading. Even word-by-word readers forget to loiter over each symbol when they become absorbed in a story. Instead, such readers race over the pages to find what will happen next, and in their eagerness they take in whole meaningful groups of words. Folktales are particularly valuable for reluctant readers. Repetition of phrases, simplicity of characterization and swiftness of plot make for easy reading. Also, the simple conversation in folktales helps to bridge the gap between oral reading and silent reading, a gap that the inexperienced reader often finds difficult to bridge.
Thus, literature serves children in many valuable ways. Many people today, realizing the essential worth of literature in this mechanized and troubled era of history, are combining their efforts to make the stimulating influences of literature more widely available. Educators are urging more abundant supplies of literature for classrooms and more skilful use of literature by teachers. Publishers, trained librarians, literary people, and childhood specialists are cooperating wholeheartedly in advancing and spreading literary values. All these efforts are evidence of a growing realization of the unlimited value of literature.

★高齢化社会には(感)
 【1】――高齢化社会には暗いイメージがつきまとっていますが。

 まず、高齢化現象というのは日本社会が成し遂げた素晴らしい大成果だということを強調したい。【2】寿命が世界一、乳幼児死亡率が非常に低い、お年寄りがたくさんいて飢えもせずに生活できるということは文句なしに日本の経済、社会が成し遂げた大成果です。【3】海外で生活した人ならばみなさん同意されると思いますが、どんな外国にいっても手放しで自慢できるのが日本の平均寿命が世界で一番だということ。日本製の自動車が世界で一番売れているといったことを自慢しても、それがどうしたと反感を買いかねない。【4】しかし平均寿命が世界で一番長いというと無条件でそれはすごいと言ってもらえます。
 詳しく言うと、人口の高齢化には平均寿命が延びたことと、出生率が低下したという二つの要因がありますが、この二つはともに経済成長の成果です。【5】現在でも、発展途上国では人口爆発が問題になっているように、子供をたくさんつくって労働力のあてにするという経済構造が戦前までの日本にもあった。乳児死亡率の高かった昔は子供をたくさん産んだという背景もあります。【6】しかし、日本も豊かになるにつれ、人々は子供の数を少なくし一人ひとりの教育におカネをかけ、質の高い子供を育てようとするようになった。そういう意味で、出生率の低下は経済成長の結果といえます。
 【7】いうまでもなく、寿命が大きく延びたことは生活水準の向上を物語っています。一般的な健康水準が上がったのはもちろん、高度な医療に資源を注ぎ込むことができるようになった。これは、経済成長があったからにほかなりません。【8】このように高齢化そのものは日本が世界に無条件で誇れる成果だということを忘れてはいけない。
 もっとも、高齢化が進むにつれ経済、社会面でいろいろな問題は起きるでしょう。【9】高齢化社会が無条件ではうまくいかないこともまた事実です。重要なのは、高齢化に合ったように社会・経済の仕組みを素早くつくりかえていくことができるかどうかです。∵
 私は高齢化に伴うさまざまな問題を調整問題だと捉えています。【0】高齢化というのは年寄りがたくさんいる状態。その状態に行き着いてしまえば、雇用でも社会保障でもそれに合うような合理的なシステムがつくりだされるはずです。問題は高齢者の比率がどんどんと増えていくプロセスにあります。高齢化が進む過程では高齢者が少なかった時代に効率的だった仕組みがまだ残っているので、古い仕組みと新しい人口構造の間の摩擦が起こりやすい。古い仕組みをいかにすばやく新しい人口構造に合わせていくかが問題なのです。

 ――高齢化に伴う成長減速を生産性向上である程度カバーできるにしても、やはり高齢者の扶養や医療・年金など社会保障負担が若年世代の重荷となるという声が多いですが。

 たしかに、負担のあり方をめぐる世代間の対立などの問題も高齢化のプロセスのなかでは出てくるでしょう。ただ、それも高齢化に伴う調整問題の一部です。つまり、高齢化が進むところまで進んで人口構造が安定してしまえば、負担をめぐる不公正というのは「個人が人生のいつの時期にいい思いをするか」というだけの問題になり、世代間の対立にはなりません。若い人が年寄りのために重い負担を強いられたとしても、その人が年寄りになったときに同じ数の人口の若い人たちが負担してくれることがルールとして決まっていれば納得を得ることもできるでしょう。そうなれば、個人が若いうちいい思いをしたいのか、年をとってからいい思いをしたいのかという時間選択だけの問題になります。(中略)
 だから、いまの高齢者世代というのは、自分たちの貢献によってつくりあげた高い生産性の成果を後の世代を通じて受け取っていると考えることもできます。単に「われわれ現役の賃金から多額の社会保障費用がとられていてそれが高齢者にいってるのはおかしいんじゃないか」とする議論は言い過ぎだと思います。われわれのもらっている高い賃金はいまの高齢者の貢献によって可能になった部分も少なくないのですから。
(清家篤「高齢化社会陰鬱論を排す」より)