フジ の山 10 月 3 週
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○自由な題名
○野山に出かけたこと
★「笑う門には福が来る」(感)
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【1】「笑う門には福が来る」のであって、福が来るから笑うのではない。自分から運を寄せつけないでおいて、「私は運が悪い」となげいている人は多い。いつも暗い顔をしていれば運もにげていく。悪口ばかり言っていても、運はにげていく。【2】ビジネスで成功したければ、「悲観論者とは付き合うな」と運について書いた人が言っている。
運と見えるものは日常の生き方の結果である。【3】ある格言集に「本をおくる時は表紙の見返しに短いメッセージを書くこと」というのがあった。これはだれでもが思う、どうというようなことばではない。しかし心がないと短いメッセージでもなかなか書けない。【4】そして実はそのような日常の積み重ねが幸運を呼んでくるのである。日常生活のこまごましたことをいい加減にしておいて大きな幸運を望んでも無理である。毎日のささいな生活上の連続が大きな幸運や不運を運んでくる。
【5】もし、幸運がほしいなら、日常のおくり物一つにも心があることが大切である。手紙一つそえるにも、びんせんからふうとう、切手にまで細かな心づかいの行き届いた人もいる。それが相手への最高のおくり物である。【6】物事を安易に考えないで、苦労をいとわない人は、幸運のほうが追いかけてくる。「あの人なら」とおくられた方が信頼するからである。こうして幸運を運んでくれる人脈はできてくる。
【7】研究室から大切な本を借りて返さない学生が最近多い。こうした社会性を欠いた人はいずれその代償を社会からはらわされる。人びとはあいつと付き合うのはいやだと思うからである。
つまり、彼はまともな人からは相手にされなくなる。
【8】その時に社会性を欠いた人は、「私は運が悪い」と言う。何が原因で自分に世の中がつらく当たるのかが理解できないのである。しかし、社会性を欠いた毎日の生活の積み重ねでそうなっていくのである。
【9】そして、「私の人生はどうしてこんなに苦しいことばかりあるのだ」と自分自身が招いた不運をただなげいている。その困難や不幸を招いたのは自分の過去の行いの集積であることにはさいごまで気がつかない。【0】人は成功や失敗の原因というのはよく分かる。しかし「日々の積み重ねの結果そうなった」という、かくされた部分はなかなか理解できない。∵
こうして、幸運や不運の環境はできてくる。人はそこの場所と時だけでそうしたことをしているのではない。他の場所や時でもそうしている。そうした行動をする心をその人は持っているのだから、他でもそうした行動をする。その結果、そのような人の周りには質のいい人が集まらない。だから幸運もドアをたたかない。
アメリカに今から七十年も前に、運についてカソンという人が書いた興味ある本がある。幸運を呼び寄せるための十三の知恵とでも言うべき本である。その十三の知恵のうちの第二の知恵が「見つけ出す」である。「なぜうまくいかないのか?」の理由を見つけ出すことである。かれはすべてのことには理由があるという。ニュートンはリンゴが木から落ちた時に、「これには理由がなければならない」と知っていた。これがトップにたつ人たちの質であるという。
著者は運命を信じる人はなまけ者でおろか者であるという。運命を信じる人は自らのベストをつくすことをしないための言いわけとして運命を信じるのだと言う。すわって不運をなげいている人は、幸運が自分を見つけるべきだと考えて、自分が幸運を見つけるべきだとは考えていない。
川にきた時にすわって川の水がなくなることを待っていてはならない。橋をかけるしかない。すわって川の水がなくなることを待っていた人が、橋をかけて向こう側にいき幸運を見つけた人を見て、幸運の人と言うのである。努力と忍耐なくして幸運はありえない。
人知れず苦労をしていない人はすぐに物事を幸運とか不運とかでかたづけてしまう。しかし幸運と見えても、うまくことを運ぶにはかげでそれなりの長い長い努力や苦労がいる。「人生の消耗にたえられる人は、幸運な人である」とカソンは言う。困難のない人生などない、これが人生の運を考える時の大前提である。
(桐蔭学園中)