黄ウツギ の山 11 月 3 週
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○自由な題名
◎草
○
★クルト・ネットーが(感)
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クルト・ネットーが日本にやってきたのは、前述の通り明治六年、十二月の雪の舞う寒い季節であった。横浜から船を乗り継いで釜石に到着した。彼は、政府の役人たちと一緒にさらに一路小坂鉱山へ向かった。もちろん、徒歩である。吹雪のなか、一行はひたすら前へ前へと足を進めた。少しでも立ち止まってしまえば、凍えてしまうのではないかと思うくらい、寒さは厳しかったのである。
突然、目の前が開けた。眼下には大きな川が水飛沫(みずしぶき)をあげ、渦巻いていた。彼はそこでこの世のものとは思えない凄まじい光景と遭遇した。ガクガクと膝が震えてくるのを止めることはできなかった。その震えは、寒さによるものだけではなかった。
その厳寒の川のなかで一体何がうごめいているのか、初め彼にはわからなかった。川辺に近づくにつれ、その正体が明らかになっていった。なんと、年老いた日本人労働者たちが首まで水につかり、流されまいと必死でこらえていたのである。労働者たちは一枚の板の上にクルト・ネットーを乗せて川を渡すために、長い時間水のなかで待っていたのであった。
「何という国であろうか」とクルト・ネットーは強烈な衝撃を受けた。自分のような若者を川の水につからせないために、自分の親ともいえる年配の人たちを厳寒の激流の川のなかに待たせておくなんて……。
彼は政府の案内人が止めるのも聞かず、その激流の川のなかに飛び込んだ。その老いた労働者たちの支える板に、彼はどうしても乗ることができなかったのである。川を渡り終え、水から上がったとき、衣服はガチンガチンに凍りついていた。
遠い異国の地で、しかも寒さの厳しい山奥でのこの強烈な体験は、その後もずっと彼の胸に刻み込まれていた。冷たい川の水のなかにたたずみ、自分を見上げる労働者たちの目、目、目……。彼は悪夢にうなされ、夜中にハッと目覚めるのであった。背中は汗でびっしょり濡れ、呼吸は荒かった。
彼は自分がこの国に何のためにきたのか、考えずにはいられなかった。そしてあのような労働者のためにも、自分はこの国の近代化のために身を捧げなければいけないと強い使命を感じたのであった。
鉱山から帰ってきた彼は、連日深夜まで机に向かうようになった。日本の発展は鉱業のみならず、橋なくしてはありえないと考えたのである。技術者であるクルト・ネットーは橋の設計図を完成させた。そして政府に無償で提供し、全国に橋をかけることを進言したのであった。
日本の川に橋がかけられるようになったのには、このようないきさつがあったのである。
(中略)
冷たい水につかり、板を差し出している人々は世の中にたくさんいる。あなただったら、そのような人々に対してどう振る舞うだろうか。「そういうときは寒いから、風邪をひくから板の上に乗りなさい」。そんな悪魔のささやきが、日本に汚職事件をはじめ、さまざまな問題を引き起こしたのではないだろうか。
私はそのような声に断固首を振り、自ら冷たい水のなかに入り、橋をかけようと努力しなければならないと思う。そして私たち日本人にもっとも必要なのは「クルト・ネットー」の精神である「真心」を未来永劫受け継いでいくことであると思うのだ。
(「致知」九十七年六月号 木村慶一氏の文章より)