フジ の山 11 月 3 週
◆▲をクリックすると長文だけを表示します。ルビ付き表示

○自由な題名
○寒い日や雨の日


★誰もがよく知っている(感)
 【1】誰もがよく知っているお伽噺「桃太郎」は、「ある日おじいさんは山へ柴刈りに、おばあさんは川へ洗濯に行きました」という語り出しから始まっている。【2】このお伽噺が昔から変わることなく子供たちをひきつけてきたのは、波乱に富んだ冒険談の幕あけを、かつての日本人にとってもっともありふれた日常生活の一場面に置いた、その巧みな語り出しにあるのではなかろうか。
 【3】年寄りが行けるような身近な所に、薪採りのできる林があり、また、家のすぐそばには洗濯のできるきれいな小川が流れているといった、この素朴な集落の光景は、日本人にとっての一つの原風景といってもよいだろう。【4】東アジアの季節風地帯に属し、気候が湿潤であるために豊かな森林と川に恵まれたこの国では、住民の生活は、この森と川の恩恵のもとに営まれてきたのであった。
 (中略)
 【5】そこで思いあたるのは、この国のもともとの集落形成が、多くの場合、扇状地から始められてきたことだ。扇状地は、山地の渓流が平野に注(そそ)ぎ込む地点で砂礫が堆積して作られた、なだらかな地形である。
 【6】背後に山を背負い前には平野をのぞむこの扇状地は、水はけのよい土に恵まれ、またその末端のあちこちからは、一度伏流した谷川の水の一部が再び穏やかな小川となって流れ出している。【7】それは、日本の自然のなかでもっとも人間にやさしい部分といってよいだろう。人びとはここに拠ることによって「荒々しい湿潤」がその反面に持つ豊穣を享受してきたのであった。
 【8】おじいさんは山に、おばあさんは川に、という描写は、まさにこのような集落の情景を表している。【9】ここでは、集落をとりまく山麓の森林は薪炭材、日用材や農用材のほか、緑肥、木の実、山菜から家畜飼料などに至るまで、さまざまな生活資源を引き出せる宝の山であり、また、そこから流れ出す川は、良質な生活用水を供給する母なる川だったのだ。∵
 【0】こうした人間の身近にあって生活のさまざまな面で利用されるような森林を、日本人は里山と呼んできた。この里山の特色は、人間によってきわめて集約的に利用されながら、しかし、けっして消滅することなく、長く維持されてきたことにある。(中略)
 しかし里山が長く維持されてきたもう一つの理由は、里山が、さきにも述べたような木材以外の、さまざまな資源採取の場としても利用され続けてきたからである。しかも、そうしたものの採取は、つねに取りつくす「刈り取り」でなしに、必要な時に必要な分だけを求める「摘(つ)み採り」によってきた。
 刈り取りは、弥生時代以来の農耕文化のもっとも基本的な収穫の方式である。しかし日本人の里山の利用には、いわば縄文時代以来の伝統ともいうべき多様な摘(つ)み採り行為が含まれていたのだった。この国では長い間、農耕地からの刈り取りと里山からの摘(つ)み採りによって人びとの生活が成り立ってきたのである。
 また、こうした里山への働きかけの底流には、自然への畏敬があった。西洋の宗教と日本の宗教の大きな違いは、前者が排他的な一神教であるのに対し、後者は多神教であることにある。そこで、天上に唯一の神が在って世界を支配するのではなく、地上のあらゆるものに神々が宿るとみる心から、山や川までが素朴な信仰の対象になっていたのであった。このことが、西洋における自然の合理的制御とは異なる、自然への順応を支えてきたとみてよいだろう。
 その象徴が、集落を囲む里山の一角に必ずあった、鎮守の森である。鎮守の森は、村人の信仰の場であると同時に、里山のなかに巧みに織り込まれた、今でいえば保存林にあたる聖域でもあった。集落一帯の環境保全の急所ともいえる場所に鎮守の森が配置されていたことが今では知られている。

(石城謙吉()「森はよみがえる」による)