ススキ2 の山 12 月 3 週
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○自由な題名
○もうすぐクリスマス(お正月)
★エジソンの父の時代には(感)
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【1】エジソンの父の時代にはアメリカ独立戦争があり、自身は南北戦争のさいちゅうにそだち、戦争のしげきをうけることもおおかったエジソンが、兵器の研究をしなかったということは、たいへんりっぱな信念をもっていたことをしめすものといえるのです。
【2】エジソンは、いろいろな発明につよいきょうみをもち、また、事業心もなかなかさかんでしたが、じぶんの発明は、あくまで「人類のためにある」、という精神をすてなかったのです。【3】また、その信念があればこそ、むずかしい研究に、あれだけの努力もはらえたのでしょう。
エジソンはほんとうに平和を愛する人でした。そうして戦争をきらっていました。
【4】エジソンは、いろいろなべんりな発明で、世界の国々がゆたかになれば、戦争などはなくなるものだ、というかんがえをもっていました。電灯・蓄音機・映画などといった発明には、そのことがよくあらわれています。
【5】一九一四年の七月に、ヨーロッパで第一次世界大戦がはじまりました。
そのころ、科学や工業の研究では、世界でドイツがいちばんすすんでいました。ことに化学製品は、ほかのどの国より、とくにすぐれていました。【6】ドイツの染料・医薬・ガラス、マグネシウムなどの金属類、そういったものを、アメリカの産業界では、ドイツからたくさん輸入していました。
それが、戦争がはじまると同時に、ぴったりはいってこなくなったのです。【7】アメリカはまだ、ドイツと戦争はしていなかったのですが、イギリスの海軍がドイツを封鎖して、ドイツの商船のうごきをとめてしまったからです。
アメリカの工業界は、たいへんこまりました。【8】ことにおりもの業やそめもの業は、ドイツの染料がはいらなくなっては、どう∵しようもありません。そこでなんとかして、アメリカでその原料をつくろうと、大いそぎで研究しはじめたのです。
【9】しかし、おいそれと、すぐにはとてもまにあいません。ことに、エジソンの蓄音機工場では、レコードの原料につかう石炭酸が、ぜひ必要なのですが、ほうぼうの薬品会社に注文してみましても、これから研究して製造をはじめるのだから、すくなくとも一年ぐらいたたなければできないというへんじです。
【0】そこでエジソンは、
「よし、それなら、われわれの手でひとつつくってみることにしよう。」
というわけで、すぐ、蓄電池のニッケルをつくっていたシルバーレークの化学工場をひろげて、その研究にとりかかりました。研究所の人たちは、はりきって、二十四時間三こうたいで、ぶっつづけのしごとととりくみました。その努力のけっか、それから二十日めには、はやくも石炭酸がとれるようになりました。
(「エジソン」 崎川(さきかわ)範行著 講談社 火の鳥伝記文庫より)