テイカカズラ の山 1 月 4 週
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○自由な題名
○親切をしたこと
★清書(せいしょ)
○誰だって失敗なんか
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誰だって失敗なんかしたくない。
失敗することははずかしいことだと思っている。だから、なるべくなら失敗しないように、細心の注意をはらう。 (中略)
失敗することは、そんなに悪いことなんだろうか。そんなにはずかしいことなんだろうか。
私のところにアルバイトにきてくれていた女の子は、とても優秀で、なにをしても完ぺきに近い仕事ぶりだった。
そんな彼女だから、たまには小さなミスでもして、注意されたりすると、さぁたいへん、全然たいしたことでもないのに、ぽろぽろと涙を流し、その日は一日中落ちこんでいる。
これでは注意したほうもたまらない。「これ、まちがってるんじゃない?」と言い、「あっ、そうか。いっけなーい」ですんじゃう会話が、突然泣きだされ、あげくにしょんぼりされてしまってはなにも言えなくなってしまう。
実際、おこられることを極端に恐れる人がいる。おこられると思っただけで心臓がとまりそうになったり、じんわりと涙がうかんできたり……。必要以上に反発する人もいる。そういう人たちは、心のどこかで、自分がおこられるようなことをするはずがない、おこられたりする自分はゆるせない、と思っているのではないだろうか。
私が出版社で働いていたころ、おこられない日は一日もなかった。
作業がおそいといってどなられ、センスがないといってののしられ、ミスでもしようものなら、「バカヤロー」と大きな雷が落ちた。 いちいち気にしていたり、落ちこんでいたりしたら、三日もつづかなかっただろうと思う。
もちろん、あまりおこられるので、自分はこの仕事にむいていないのではないかと、けっこう真剣に悩んだこともあったけれど、なにより、それでもこの仕事が好き、という気もちが優先した。
それなら、おこられるにしても、おなじことでおこられないようにしよう。そのための改善策を考えるしかない。 ∵
作業がおそいのは、手順が悪いせいではないか。センスが悪いといわれるのは、想像力がかけているからではないか。ミスが多いのは、あせりながらとりかかっているせいではないか……。
おこられるポイントを、ひとつずつ整理して考えていくと、案外挽回できるものだ。少しずつだけど、おこられる回数もへってくる。あげく、私のことをどなりつづけた雷オヤジから、こう言われた。
「おまえって、ほんとにおこりがいのあるやつだな。おまえみたいなのをおこるのは、楽しくってしかたがない」
「どういうことですか!」
さすがにむっとなる。人の気も知らないで、楽しいとはなにごとか。
「あのな。よーくおぼえておけよ。人はおこられなくなったら終わりだ。おこられることは自分をのばすチャンスなんだ。だから、おこられなくなったら、自分が見はなされたか期待されていないと思え」
彼はそう答えた。それから、私もだんだん年をかさねて、人に注意する立場になったとき、彼が言ったことの意味がよくわかった。
こちらが注意して、すぐに泣いたり、落ちこんだり、言いわけばかりする人のことは、もう二度と注意なんてしたくないと思う。
それより、多少優秀じゃなくっても、おこられたことを逆手にとってがんばる人のほうに注目する。そしてそういう人のほうが、確実にのびるのだ。
なぜ失敗したのか。どうしておこられたのか。
その理由を考え、それじゃぁこうしてみようと思うからこそ、つぎにつながる。そうして成長していくのではないだろうか。
(倉橋耀子「くよくよしないで、笑っちゃえ!」)