ベニバナ の山 1 月 4 週
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○自由な題名
○規則のよい点悪い点
★清書(せいしょ)

○旅に出て
 旅に出て未知の風景に接し、感動する前に、「ああ、絵はがきとそっくり。」というセリフを口にする人をよく見かける。また、最近のように飛行機利用のたびが盛んになると、若い女性が下界を見ながら、「まあ、地図とそっくりね。」という歓声をあげる。しかし人間は、飛行機を発明してから百年とは経過していないのに、今や、驚異的な速さのジェット機を考え出し、それが人間を苦しめようと疲労させようとおかまいなしに、ますますスピードを速めようとつとめている。一昔前は船でインド洋を横断して、はるばると欧州を目指したのに、それが、現在はどうだ。あっという間に目的地に着いてしまう。
 思うに、人々は旅というものへの導入部を持つことが少ない。この導入部が実は旅だったのだが、今では目的の地へ着くことだけが旅のように思われてしまった。そして、それが旅だと思いこんでしまう現代人は気の毒だ。乗り物は極めて速くなり、時間の節約といちはやく目的地へ着くことは実現されたが、旅情はそれに比例するとはいえないからだ。
 そのうち、人々はもうわかってしまっているから、旅に出る必要はないなどといいかねない。旅とは未知のものを知るだけの行為ではないのである。旅をして、「絵はがきそっくりの風景」という感想を口にするような人にとっては、いっそ旅などしない方がいいのだ。
 旅は心の中でもできる。病床に臥している人でも、現実にそこを旅した人よりも旅情を味わっている場合がある。それは想像力が豊かだからだ。逆に、小説の中に描かれた風景や土地にあこがれてそこへ行き、現実には失望したといって帰ってくるような人もいる。それは、小説家がうそをついたのではない。現実が先行して実景を変えたのでもない。
 旅情というものは、意外に、その人の心の中にあるものだということである。ある土地へ旅をして、何が心に残ったか、胸に手をあててそれを思い返してみるとわかる。旅先での、絵はがきや小説では体験できなかった未知の人との出会い、その人のおしゃべりやアクセント、そして、そのとき自分が味わった何ともいえない感情、そうしたものが旅の忘れ得ぬ一こまではなかったか。そういうイメージは常に自分の心の側にある。心が風景をみるのである。

(岡田喜秋(きしゅう)「旅に出る日」)