ゲンゲ の山 2 月 4 週
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○自由な題名
○階層と平等
★清書(せいしょ)
★英語にキャノンCanonという
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英語にキャノンCanonという単語がある。もとはギリシャ語で、尺度、基準の意味だった。それがキリスト教の正統的戒律、聖書の正典の意味になり、さらに文学・文化の標準ないし標準的作品を意味する言葉となっている。
アメリカでは近ごろ、このキャノンの見直しが話題になっている。社会現象としてはこれまで正義とされてきたものが不正とされ、野蛮とされていたものが逆に崇高と見なされるたぐいのことが多い。西部劇映画における騎兵隊と先住民(インディアン)の描き方など、その典型的な例となるだろう。そういう傾向を反映して、歴史の書き換えの要求は広範になされているらしい。文学でも同様である。古典とされていた作品がわきに押しやられ、従来無視されていた作品がキャノンの座に押し上げられる。そういう文学史の本や教科書が相次いで現われ、大学などにおける文学・文化教育にも大幅な変革を迫っている。
これに呼応して、日本におけるアメリカ研究も根本的に変わらなければならない、という声が学会などでよく聞かれるようになった。だがまた、そんなに急に変われるものか、といった不安の声もよく耳にする。
キャノンの見直しは、本当は別に新しいことではない。かりに日本文学で『万葉集』や芭蕉は不動の地位を占めてきたとしても、『古今集』や『新古今集』、西鶴や蕪村の地位は、しばしば揺らいできたのではなかろうか。一世を風靡した紅露逍鴎()のうち、いまも衆目の認める「文豪」は森鴎外のみで、他は特別の愛好家以外にはなかなか読もうとしない。そしてこの四人の陰にかくれていた夏目漱石が、いまでは日本近代文学を代表する地位を占めているように思われる。
アメリカでも同様である。十九世紀に最高の詩人と仰がれていたロングフェローは、二十世紀に入ると神聖な座から引きずり降ろされてしまった。彼を含めて、文学界に君臨した「ケンブリッジ・ブラーミン」いまいずこだ。そして、粗野で猥雑とされていたホイットマンが、アメリカの代表的詩人と見なされるようになった。アメ∵リカで最初のノーベル文学賞受賞作家シンクレア・ルイスをはじめ、いまでは研究者にも読まれなくなってしまった文学者も数多い。
だが最近のアメリカでのキャノンの見直しは、個々の人物や事件の長い時間をかけた見直しとは違う。それはアメリカの社会や文化の全体的見直しと結びついているのだ。一九六〇年代からのアメリカの激変、つまり公民権運動、さまざまな少数派人種の台頭、あるいはフェミニズムの進展などがあり、かつての白人男性中心の文化は打倒の目標とされ、多文化主義が唱えられるようになった。ポストモダニズムなど、伝統的価値の権威を否定する批評理論も、この動きを助けているといってよい。
(中略)
このように見てくると、キャノン見直し運動は、現代のアメリカにおける価値観の動揺と文化の正統性をめぐる戦いであることが分かる。私たちがそれを理解し、その見直しの方向に注意を払う必要は、間違いなくある。それを日本に適用して役立てられる部分も多いように思う。
(亀井俊介『わがアメリカ文学誌』より)