レンギョウ2 の山 2 月 4 週
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○自由な題名
○ひとりでいることと友達といること
★清書(せいしょ)
○私たちは生きていく中で
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【1】私たちは生きていく中で私たち自身の「生きる意味」を変化させていく。人生地図の濃淡の具合が変わっていくのだ。例えば、小さいときはお母さんが世界の中心で、学校に行きだすと友達が大切になり、【2】その後バンドにはまった青春期が続き、就職したら仕事がものすごく面白くなり、しかし「釣り」と出会ってからはそれがもう一生の友……といったように、私たちはひとりひとり別々の「生きる意味」の遍歴を持っているものだ。【3】そして、その「生きる意味」の歴史は積み重なり、人生経験となって私たちの生きる意味をさらに深めていく。私たちの人生とは、「生きる意味」の成長とともにあるのである。
ところが、私は何の「内的成長」もなかったと自分自身を振り返る人もいる。
【4】「私は結局ずっと人の目を気にして「いい子」をやってきたんだと思います。小さいときは親にとっての「いい子」そのものでした。クラスでもいつも優等生でしたが、それも先生や友達の前で「いい子」をやっていたのだと思います。【5】それから「いい妻」になり「いい母」になりました。だから周りの人はみんな「よくできた人だね」って言うんですよ、私のこと。でも、このごろ気づいたんです。私って小さいときから成長してないって。いつも周りの人の目を気にして「いい子」をやり続けてきた。【6】もしかしたら子どものままなんじゃないかって」。
彼女は人生でたくさんのことをやってきたはずだ。学校では優等生だし、友達にもきっと優しかったことだろう。絵に描()いたような幸せな家庭を築いてきたのかもしれない。【7】しかし、周囲からは幸せそのものと見えていても、本人が悩んでいるということはよくあることだ。私は何か不自由だ。自分自身が自分でないような気がする。【8】そして、その不満に直面し、自分の人生を見つめ直したとき、自分はいろいろなことをやってきたけれども、「生きる意味」においては全く成長していなかったのではないか、常に「人の目を気にするいい子」を生きてきたのではないかと気づく。【9】そしてそこから彼女の人生の転機が始まるのだ。
人生の「創造性」、それは、私たちが常に新しい「生きる意味」に開かれて生きていることを意味している。私たちが「生きる意味」の創造者であり、人生の節目節目で「生きる意味」の再創造を行うことができること、それが人生の創造性なのだ。
【0】それは「あなたがこの社会で創造性を発揮すれば、その分、あ∵なたに報酬が得られるような、創造的な社会にしましょう」といった、一見「創造的」に見えながら「閉ざされた意味」へと駆り立てていくような、閉じた「創造性」とは違う。小さいときから、最大限効率的に生きることをたたき込み、一生自分が効率的かどうかチェックしながら生きるような社会は、実は創造性を欠き、「内的成長」をもたらさない社会なのだ。
私たちの社会はもはや物質的には十分豊かだ。いま真に求められているのは、生きることの創造性、「内的成長」の豊かさなのである。
さて、そうした「内的成長」のきっかけとなるものは一体何だろうか。言い換えれば、私たちはどうやって私たちの「生きる意味」に気づくのだろうか。いま私が真に求めているものにどのように出会うのだろうか。
それは私たちひとりひとりが、二つのものへの感性を研ぎすますことから始まる。それは、「ワクワクすること」と「苦悩」の二つである。
(上田紀行「生きる意味」による)