ネコヤナギ2 の山 3 月 4 週
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○自由な題名
★清書(せいしょ)
○じっさい、日本人にとって
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【1】じっさい、日本人にとって、いちばん使いにくい言葉は「ノー」なのである。むろん、日本人も「いいえ」とか「いや」とかいうが、どんな否定の言葉も、「ノー」のように、はっきりしていない。「ノー」というのは、きっぱりと否定することである。【2】はっきりと断わることでもある。ところが、日本人はどうもそれが苦手なのだ。げんに「きっぱりと断わる」というような表現がその間の心情をよく語っている。
断わるというのは、そもそも「はっきりと断わる」ことではないか。【3】それなのに、「きっぱり」とか「はっきり」などという限定詞をつけるのは、日本人にとって「断わる」ということが「きっぱり」「はっきり」した否定を意味していないということを語っている。もし、そんなふうにきっぱり断わったなら、相手はつれないと思うだろう。【4】「すげなく断わられた」と思われるにちがいない。そんなふうに思われたらやりきれないので、まずは一応断わっておくのだ。つまり、いくばくかの可能性を残しておくわけである。そして、徐々に相手にこちらの否定の意志を感じとらせるというやり方を取る。
(中略)
【5】ある販売会社の壁に、こんな標語が貼ってあるのを見かけた。「セールスは断わられたときに始まる」。それを見て私は、あっぱれな精神!と大いに感心したのだが、同時に、なんと日本的なスローガンだろうか、と思った。【6】なぜなら、この標語は「日本人にとって断わるということは、けっしてきっぱりと断わることではない」といっているように思えたからである。もし断わることが、きっぱり断わるのと同義であるなら、こんな標語は成り立つわけがない。【7】いくら説得しても、客は最後まで「ノー」というであろうからだ。ところが、こうしたスローガンが立派に通用し、社員を鼓舞∵しているところを見ると、日本人の否定は完全な否定ではなく、あくまで一応の否定であって、その否定はいつか肯定に転じる可能性を持っていることが、わかる。【8】別言すれば、日本人にとってきっぱり断わること、最後まで「ノー」といいつづけること、それがいかに困難であるか、この標語が見事にいい当てているのである。
【9】このように、日本人は完全な否定を言明することをためらい、つねにいくばくかの肯定の余地を残すのを美徳と考えるから、外国人とのあいだでしばしばトラブルが起きる。たいていの民族は、否定は否定、肯定は肯定と、それこそイエス、ノーをはっきりと区別している。【0】否定だか肯定だかわからないと、いらいらし、勝手にどちらかにきめて行動する。すると日本人はびっくりして、じつはそうではないんです、などと訂正する破目(はめ)になる。外国人のあいだで通念のようになっている日本人は不可解だというイメージは、このような日本人の否定のあいまいさに大半をおうている。
(森本哲郎『日本語 表と裏』「新潮文庫」)