レンギョウ の山 3 月 4 週
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○自由な題名

★清書(せいしょ)

○要するに、ニューヨークは
 要するに、ニューヨークは何もない街らしい。だから、その点、東京によく似ているといえる。実際、商店の飾り窓のかざりつけだの、道路から直接二階へ上る狭い階段の入り口だの、そんな何でもない街のたたずまいの中に、ときどき「おや」と思うほど東京にそっくりの情景が眼につく。そう思って眺めると、東京がニューヨークを真似しているのか、ニューヨークが東京を取り入れたのか、一瞬どっちがどっちだかわからなくなるようだ。私の前を、ゴムの半長靴をはいた女が一人、前かがみの姿勢で歩いて行く。踏み荒らされた舗道は毀れてデコボコだし、おまけに一週間まえに降った雪が凍りついたり溶けかかったりして、よほど気をつけないと滑ってころぶか、氷まじりのヌカルミにぞっぷり足のクルブシまでつかってしまう。道の片側に高い板塀がつづき、中ではコンクリート建築の作業をやっている。間断なしに響く重苦しい金属音。道路をうめつくしてやっと動いているタクシーや乗用車。……
 見るものは何もない(その気になれば芝居でも、美術品でも、世界の一級品がふんだんにあるにもかかわらず)、ぼんやり休んでもいられない、そのくせ黙って空気を吸っているだけでも金がへって行くようなニューヨークの街は、およそ観光客には不向きのようだが、住んでみたら案外暮らし好いかもしれないと思わせるところもある。近代美術館がそうだったように、ここには伝統や権威や際立った性格的なものは何もないかわり、外来者が眼に見えぬ圧迫感を加えられることもなさそうだ。ナッシュヴィルのようにホテルのロビーでまわり中から眺められることもないし、どんな恰好をして歩いていても平気だ。黒人の男が白人の女とつれだっているのを見掛けたが、これはナッシュヴィルでは夢みたいなことだ。……朝、コーヒー・ショップで食事をしていると、眼にクマどりのある顔色の悪い女の子がドーナッツを半分だけ惜しそうに食べ、あとの半分を紙ナフキンに包んで、木綿のワンピース一枚の姿で雪と氷の戸外へ、ゆっくりと出て行った。彼女の痩せた肩先には、無残で優美な都会の無関心さが肩掛けのようにかかっている。∵
 アベイ・ホテルの地下室にはストックホルムの海賊料理のレストランがある。その他、ちょっと足をはこべばヨーロッパの各国から集まった各国の料理店がそれぞれ軒を並べている。しかし前を通っても別段、どの店へ入ろうという気もしない。アメリカへ来て「戦前並み」のフランス料理を食うというのが馬鹿馬鹿しいからではなく、興味がまったくわかないからだ。それなら日本料理屋はどうかというと、最初から私はこれに最も反発を感じた。話に聞くだけでもイヤなことだと思っていた。しかし一度でも誘われて入ってみると、ここには麻薬のような吸引力がある。先月末、アメリカに着いて三日目だったが、M紙の特派員Y氏につれられて行った店で、ミソ汁を一と口すすった瞬間、私は嘘もかくしもなく、全身から一時にシコリが脱(ぬ)けて行くのを感じた。まるで毛穴が全部ひらいて、そこから自由な空気がいっぺんに流通しはじめるみたいだった。それに給仕人に母国語で注文を発し、母国語でこたえられるのは何としても避けがたい魅力だ。汽車や劇場の中などで同国人に出会うと、本当のところ顔をそむけたくなる気持ちがある。それが食い物屋では逆の作用をあらわしてしまうのは、どういうわけだろう。ドルが円で呼ばれ、51 streetが五十一丁目と言いなおされるようなことを、どうしてうれしがるのかわからない。けれども腹が空いてくると、脚が自然に日本料理店の方へ向いてしいまうのである。

(安岡章太郎「アメリカ感情旅行」)