ガジュマロ の山 4 月 4 週
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○自由な題名
○運
★清書(せいしょ)
○近代日本の悲劇は
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【長文が二つある場合、読解問題用の長文は一番目の長文です。】
すなわち、人間の社会的欲望には、他人を模倣して他人と同一の存在であると認めてもらいたい模倣への欲望と、他人との差異を際立たせて自己の独自性を認めてもらいたい差異化への欲望との二つの形態があるのである。いずれも、一体どのような他人によってどのように認めてもらうかという点では大いに異なるが、他人に認めてもらいたいという社会的な欲望である点では変りがない。しかも、それらは往々にして同一の個人の中に共存している。
当然、このような社会的欲望の二つの形態のちがいに応じて、モノに対する人々の欲求の形態も異なってくる。模倣への欲望は、人々に、他人が既に所有しているモノを求めさせ、他人と同じように消費させるであろう。また、差異化への欲望は、人々に、他の多くの人が所有できないモノや他の多くの人が未だ所有していないモノを求めさせ、また他人と異なった仕方で消費させるであろう。実際、すべての人間社会は、それぞれ独自の方法で、この二つの形態の社会的欲望の存在、とくにそのうちの第二の形態である差異化への欲望に対処してきたはずである。たとえば、多くの共同体的社会においては、共同体の内部では差異化への欲望は抑圧され、外部と接触する機会である祭やポトラッチや戦争においてのみ一時的にそれを満たしていたであろう。また、階級社会においては、この差異化への欲望は支配者階級のみが全面的に満たしうるものであったろう。実は、社会的欲望の対処の仕方として今あげた二つの例は、それぞれ大雑把に言って、商業資本的な利潤の創出方法と産業資本的な利潤の創出方法とに形式的に対応しているのである。そして、外部も階級差も失いつつある現代の資本主義においても、利潤の創出方法と社会的欲望への対処の仕方にやはり形式的な対応関係が見出しうることは、今までの議論から当然察しがつくにちがいない。
現代の資本主義においては、だれもが差異化への欲望をもち、それを満たしたがっている。一体どのようにすればよいのか。もちろん、差異性という価値をもっている商品を買えばよい。だが、そのためには単に他人と異なった商品を買っても意味がない。他人が買っていなくて、しかも他人が価値あると認める商品を見つけ出さなければならないのである。もちろん市場には商品の種類は無数にあり、犬も歩けば棒にあたる。「いや、広告を通じて、棒の方が犬に向ってあたってくる。」そこで、だれかがどこかでそのような商品に行き当たり、差異化への欲望を満足したとしょう。これは、購買∵における一種の革新である。しかし、その購買における革新の効果も決して永続するものではない。なぜならば、ある人がある商品を所有することによって差異化への社会的な欲望を満足しているということは、同時に、まだその商品を買っていない他の人々がそれに価値を認めたことでもあるからだ。それは当然これらの人々の心の中に模倣への社会的欲望をひきおこすであろう。それゆえ、購買力が許すならば、かれらもその商品を買い始めるにちがいない。その結果、その商品の社会的な価値はますます高まり、さらに多くの人の中に模倣への欲望をひきおこし、模倣の群によって商品のブームが生れる。だが、このようなブームの中で、次第に差異性としての商品の価値は失われ、差異性への人々の欲望は再び不満足の状態に引きもどされる。それゆえ、また人々は差異性という価値をもつ新たな商品を探し求めていくことになる。そのような商品が再び見出されると、模倣によるブームがおこり、このブームの中でその商品も差異性という価値を失っていく。そしてまた……。
ここでも、差異性の発見と模倣による差異性の喪失という、シシフォスの神話に似た反復の過程が支配しているのである。それは結局、他人に認められたいという人間にとっては絶対的である社会的欲望が、モノのもつ差異性という相対的な価値を媒介としてしか満たされないという、人間の欲望のはらむ根源的なパラドクスの産物であり、その部分的で一時的でしかありえない解決の終わることなき反復なのである。
(岩井克人(かつひと)『ヴェニスの商人の資本論』による)
∵
【1】近代日本の悲劇は、自分を育て、自分が発展させた文化と、まるでちがった歴史と伝統をもつヨーロッパ文化に支えられた文明を、是が非でもとりいれなければならぬ羽目におちこんだというところに、大きな原因があるのは、多くの人の説く通りである。【2】私たちは、紀元六世紀にかつて日本が圧倒的に優勢なアジア大陸の文化に接し、それを模倣することになった時、どんな大きな眩惑を覚えたか、今となってはこれを如実に心に浮かべることができない。【3】混乱は大きかったに相違ないし、また、そこには、彼らのかつて感じたことのない深く大きな歓喜と恐れの入りまじっていた未聞の眩惑があったろう。
ところで、日本が今も昔も先進国を模倣したといっても、十九世紀日本がヨーロッパ文化に接した場合と、この六世紀の経験とでは、そこにいくつかの違いがある。【4】第一に、私たちの祖先が十三世紀以上前に、大陸文化に接した時は、彼らはほとんど文化らしい文化を何ももっていなかった。日本には、文字がなかったし、鉄器もなく、第一、こちら側には国家の機構もまだ整わず、官僚も組織されてなかった。【5】日本人は、徹底的に無条件に、大陸文化をとり入れざるをえなかった。そうして、その影響は、『古事記』のかかれた八世紀から計算しても、十九世紀まで、十世紀以上におよんだ。
ところが十九世紀になって、ヨーロッパ文化が、日本に渡来した時には、日本はもうまったくの非文明国ではなかった。【6】そこには、たとえ荷風のいう本店と支店の関係はあったにしたところで、とにかく、それになりの宗教、哲学、政治、芸術の独自の体系ができあがっていた。だから、西洋文化の影響は、当然、昔の場合より、大きな抵抗にぶつかったわけだし、自分の独立を救うために黒船の前に降伏を決意した日本側の態度は、ある種の条件つきだった。【7】これは、たとえ、国民の一部が昔と同じ無条件降伏をすすんで希望したとしても、なお、不可避的に、そうならざるをえなかった。そのうえ、この西洋の影響は時間的にみても、まだ一世紀に∵もたりない。【8】いまから半世紀以前に、荷風がどんなに苛立ったにせよ、日本人の多くが、根本的に彼とちがう目で、西洋を見、日本を保存していたことは、やむをえないことでもあったわけだ。
(中略)
模倣が生産的でありうるということを、私が今ここで詳しくのべる必要もないであろう。【9】たとえば漢字の採用一つとってみても、それが日本人の思考の仕方にどんな複雑な得失をあたえたかは、現代の日本人を考える場合にも、たいせつな問題を含んでいる。【0】かりに七世紀の日本人が漢字を採用しなかったら――というのは、すでに、愚かしい設問であるけれども――、日本はより独自の文化を生みだしていたろうという結論を出すことは、不可能ではないだろう。二十世紀日本のある人たちは、漢字漢文を採用している限り、日本人は正確にものを考えることができないと、主張しているようにみえる。しかし、その場合の「正確な考え方」という観点が、すでに西洋の影響であって、けっして日本人の自発的なものでないことは別にしても――そうでなければ、日本人はシナ文化渡来前は正確な考え方をしていたことになるはずだが、そんなことは滑稽である――、現代の日本人のなかには、すでに、そういう「正確な考え方」をしている人びとがいる。その人たちは、すべて、西洋の考え方を消化し身につけているから、漢字と漢文を本店とする国文・日本文をもって、正確に考える力をもつようになったのだ。しかし、彼はその能力を身につけるまでには、漢字の模倣にはじまった日本語の働きが不可欠だった。簡単にいってしまえば、今の日本語の状態にしても、考えるべきことは考えられるのだ。ただ、それには、現在では「西洋」の消化を絶対に必要とする。「わが日本は今も昔も、先進国の模倣による」必要がある所以だ。
(吉田秀和『荷風を読んで』より、一部改変。)