ガジュマロ2 の山 4 月 4 週
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○自由な題名
○運
★清書(せいしょ)
○近代日本の悲劇は
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【1】近代日本の悲劇は、自分を育て、自分が発展させた文化と、まるでちがった歴史と伝統をもつヨーロッパ文化に支えられた文明を、是が非でもとりいれなければならぬ羽目におちこんだというところに、大きな原因があるのは、多くの人の説く通りである。【2】私たちは、紀元六世紀にかつて日本が圧倒的に優勢なアジア大陸の文化に接し、それを模倣することになった時、どんな大きな眩惑を覚えたか、今となってはこれを如実に心に浮かべることができない。【3】混乱は大きかったに相違ないし、また、そこには、彼らのかつて感じたことのない深く大きな歓喜と恐れの入りまじっていた未聞の眩惑があったろう。
ところで、日本が今も昔も先進国を模倣したといっても、十九世紀日本がヨーロッパ文化に接した場合と、この六世紀の経験とでは、そこにいくつかの違いがある。【4】第一に、私たちの祖先が十三世紀以上前に、大陸文化に接した時は、彼らはほとんど文化らしい文化を何ももっていなかった。日本には、文字がなかったし、鉄器もなく、第一、こちら側には国家の機構もまだ整わず、官僚も組織されてなかった。【5】日本人は、徹底的に無条件に、大陸文化をとり入れざるをえなかった。そうして、その影響は、『古事記』のかかれた八世紀から計算しても、十九世紀まで、十世紀以上におよんだ。
ところが十九世紀になって、ヨーロッパ文化が、日本に渡来した時には、日本はもうまったくの非文明国ではなかった。【6】そこには、たとえ荷風のいう本店と支店の関係はあったにしたところで、とにかく、それになりの宗教、哲学、政治、芸術の独自の体系ができあがっていた。だから、西洋文化の影響は、当然、昔の場合より、大きな抵抗にぶつかったわけだし、自分の独立を救うために黒船の前に降伏を決意した日本側の態度は、ある種の条件つきだった。【7】これは、たとえ、国民の一部が昔と同じ無条件降伏をすすんで希望したとしても、なお、不可避的に、そうならざるをえなかった。そのうえ、この西洋の影響は時間的にみても、まだ一世紀に∵もたりない。【8】いまから半世紀以前に、荷風がどんなに苛立ったにせよ、日本人の多くが、根本的に彼とちがう目で、西洋を見、日本を保存していたことは、やむをえないことでもあったわけだ。
(中略)
模倣が生産的でありうるということを、私が今ここで詳しくのべる必要もないであろう。【9】たとえば漢字の採用一つとってみても、それが日本人の思考の仕方にどんな複雑な得失をあたえたかは、現代の日本人を考える場合にも、たいせつな問題を含んでいる。【0】かりに七世紀の日本人が漢字を採用しなかったら――というのは、すでに、愚かしい設問であるけれども――、日本はより独自の文化を生みだしていたろうという結論を出すことは、不可能ではないだろう。二十世紀日本のある人たちは、漢字漢文を採用している限り、日本人は正確にものを考えることができないと、主張しているようにみえる。しかし、その場合の「正確な考え方」という観点が、すでに西洋の影響であって、けっして日本人の自発的なものでないことは別にしても――そうでなければ、日本人はシナ文化渡来前は正確な考え方をしていたことになるはずだが、そんなことは滑稽である――、現代の日本人のなかには、すでに、そういう「正確な考え方」をしている人びとがいる。その人たちは、すべて、西洋の考え方を消化し身につけているから、漢字と漢文を本店とする国文・日本文をもって、正確に考える力をもつようになったのだ。しかし、彼はその能力を身につけるまでには、漢字の模倣にはじまった日本語の働きが不可欠だった。簡単にいってしまえば、今の日本語の状態にしても、考えるべきことは考えられるのだ。ただ、それには、現在では「西洋」の消化を絶対に必要とする。「わが日本は今も昔も、先進国の模倣による」必要がある所以だ。
(吉田秀和『荷風を読んで』より、一部改変。)