ヤマブキ2 の山 4 月 4 週
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○自由な題名
○運
★清書(せいしょ)

○話を元に戻そう。
 【1】話を元に戻そう。以上述べてきたように、海牛類とクジラ類では鼻の位置がかくの如く違うのだが、クジラのように鼻が頭のてっぺんにある哺乳類はほかにはいない(おそらくほかの動物群「綱(こう)」でもそうなのかもしれない)。【2】とすれば、(現生の)クジラの定義として、
(一) 哺乳類である。
(二) 一生を水の中で過ごす。
の二条件に加えて、
(三) 鼻の孔が頭頂「頭のてっぺん」に位置する。とすれば、クジラ以外にこれに該当する生き物はいないことになる。【3】さらにいえば、(三)は非常に有力なキーであるから、(二)の「一生を水の中で過ごす」という定義がなくても、無事にクジラ類にまで検索が行き着くのである。(中略)
 クジラの体型をクラシックにまとめると、「紡錘形にしてひれ状の前肢を持ち、後肢(こうし)を欠くが尾部末線に半月状の尾びれが付属する。【4】また、背部後半に背びれを有するものもいる」とでもなる。クジラ類の体型は多かれ少なかれこの字句で包括できてしまうのだが、一方、「ちょっと待てよ、こりゃ、何もクジラだけの特徴でもねーんじゃねえーか?」という疑問がわきおこる。いや、じつにそうなのである。【5】ここでまとめたクジラの体の基本的な特徴は、まさに海の先輩である魚類にもあてはまることなのである。
 著名な進化学者であるハウエルによれば、ホオジロザメ(魚類代表)、イクチオザウルス(通称魚竜・爬虫類代表)そしてバンドウイルカ・ナガスクジラ(クジラ類・哺乳類代表)はいずれも、基本体型が大変似通っている。【6】これらは、進化系統的にはまったく赤の他人のようなものだが、共通しているのは、いずれも生活圏がまったく水の中にあること、とりわけ一生を水の中で過ごすことである。つまり、このような生活環境の故にこの体つきになったということである。【7】この四者の比較は、学術的には系統的に異なる生物が同一の環境下で過ごすことによって体型が似てくる(生物∵学的)収斂現象の例としてしばしば取り上げられる。
 この収斂現象は、自然科学的にも人文科学的にも広範に真理をついているように思える。【8】環境を条件に見立てれば、空を飛ぶためには鳥とコウモリさらに飛行機の収斂になり、さらに形を文化にたとえれば、上りたいという条件は、互いに交流がなくても東西の階段の形や使い方が似てくるという例に置き換えられる。
 【9】言い換えれば、収斂とは「互いに独立して努力しても、合理性を追求してゆくと、結果が類似してくる」ということなのである。
 クジラ類が、一体いつごろ水界に入ったかは依然として謎が多い。【0】従来、最古のクジラであるムカシクジラ類パキセタスの化石が現れるのがおよそ五〇〇〇万年前といわれていたが、近年発見されたアンプロケタスの化石は、これを上回る五二〇〇万年前の地層から見いだされている。いずれにしても、ため息の出るような悠久の時を経ていることには変わりがない。この間には、幾多のクジラの種類が現れては消えていったはずであるが、クジラ類というグループとしてはひたすらたゆまぬ努力を重ねて地球上のあらゆる水界に進出する一方、地球が生んだ最も高等な哺乳類という生物の一族でありながら、自らの記憶すらない遠い遠い祖先「海の大先輩」である魚類を凌ぐほどに体を変えて水になじんだのである。私が前段でこだわった「鼻の位置」も、もちろんこの一環にすぎない。
 クジラ類とは、哺乳類でありながら、本来の生活の場から水界に生息場所を移し、そこでの生残りを果たしただけでなく、なおかつ合理性を追求している生き物であり、このような「クジラ的な生き物」はやはりクジラしかいない。

(加藤秀弘編著『ニタリクジラの自然誌』による)