ナツメ2 の山 5 月 4 週
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○自由な題名
○落書き
★清書(せいしょ)

○樹木は生命の危険を感じると
 【1】樹木は生命の危険を感じると早く子孫を残さなければと多くの種子をつける。実際、柿の実やどんぐりが豊作になるようにと子どものころ木の幹を思いっきり蹴飛ばした経験がある。
 戦後せっせと植えたスギも、林業が儲からなくなって手入れがされなくなった。【2】とくに間伐がされていないスギ林は、スギ同士の過酷な生存競争でひょろひょろな木となり、ストレスが大きくなっている。こんな環境によって、スギの木も生命の危険を感じ、種子をたくさん残そうと雄花をたくさん付け、花粉を大量に撒き散らしているということなのではないだろうか。
 【3】九州の熊本から九州自動車道を南下すると、八代インターチェンジを過ぎてから道路は山間に分け入っていく。多くのトンネルと急カーブが続き、全長約六キロメートルの肥後トンネルを抜けると、九州で有数の林業地である人吉盆地に入る。【4】道路の両側は急峻な山地が空を狭め、森林が天に伸びている。しかし、近年、その風景に変化が現れている。何気なく通る多くの人たちは気付くことはないのかもしれないが、職業柄、私にはどうしても気になってしまう。【5】それは、至るところでかなりの面積にわたり森林が伐採されていることだ。戦後、せっせと先人たちが植林したスギの林がようやく伐採できるまでになって、利用されるようになったという意味では好ましい現象だが、問題なのは、伐採された箇所に植林された形跡がないことだ。
 【6】私たち、森林・林業にかかわるものからすれば、「伐(き)ったら植える」が常識である。しかし、今やこのような常識が常識でなくなってきている。それどころか、これら植林放棄地の状況をみると、森林所有者が森林を土地ごと手放すケースが増えている。【7】これは、森林を買う木材生産業者が、木材価格の下落に伴い、採算性を維持するためにより大きな面積の森林を買い入れようとする意∵向があり、これが森林所有者の森林を所有することへの負担感と相まって、土地ごとの売却を後押ししているようだ。
 【8】日本の文化は森と木の文化であるといわれる。
 森林に恵まれた国土で、その資源を巧みに利用してきたというのは当たり前だが、とくに日本では、森林を形づくる樹木の種類が豊富であることから、樹(じゅ)種の違いによる木材の性質も様々であり、その違いを上手に使い分けてきた。【9】住まいや身の回りの道具に至るまで、こんなものにはどの木を使うという知恵は、すべての人がもっていた。お櫃にコウヤマキ、まな板にイチョウ、つまようじにはクロモジ、下駄やたんすはキリ、家の土台はクリなどだ。【0】
 また、木材を無駄なく使うということにも意を用いてきた。まさに、日本人は木とともに生き、木によって生活を維持し、木の上手な使い方をあみ出してきた民族である。
 しかし、ここ数十年、木の文化は急速に失われつつある。安価で均質に大量生産できる石油化学製品などの代替品が私たちの日常に氾濫するようになったからだ。木材にしても、外国からやってくるものが八割以上を占めるようになっている。このままでは、日本の木の文化は、文化財や美術品などの特殊な伝統文化に残されるだけになるのかもしれない。
 こうなると、国内の木材はますます使われず、価格も下落していくだろう。結果、国内の森林を守ってきた林業も立ち行かなくなる。そして、間伐などの手入れもされず森林の放棄が拡大していくことになる。
 私たちにとってなくてはならない森林が、今、危機に瀕している。

(矢部三雄『恵みの森 癒しの木』(講談社+α新書)より)