ガジュマロ の山 6 月 4 週
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○自由な題名
○マスコミ
★清書(せいしょ)
○人間が、他の動物においては
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パリとロンドンを往復したたくさんの書簡において、熊楠が書いていることの中でも、もっとも重要なのは、事という概念をめぐる彼の思考である。ここには、とても現代的な思考法を、みいだすことができる。熊楠はその考えを、まず自分の考える学問の方法論として、語り出している。
熊楠の考えでは、事は心と物がまじわるところに生まれる。たとえば、建築などというものも、事である。その場合、建築家は自分の頭の中に生まれた非物質的なプランを、土や木やセメントや鉄を使って現実化しようとするだろう。建築物そのものは物だけれども、それは心界でおこる想像や夢のような出来事を実現すべくつくりだされた。つまり、それはひとつの事として、心と物があいまじわる境界面のようなところにあらわれてくる現象にほかならないことになる。
このプロセスは、もっと精密に研究してみることもできる。建築家は設計図を描(か)く。そして、その設計図をもとにして、建築の物質化が実行される。このときの設計図もまた、事なのである。設計図は、建築家の頭の中に浮かんだアイディアを、明確な構造をもった透視法の中に定着させるものだ。ここでは「設計図の描(か)き方」という表現法自体が、アイディアの物質化をたすけている。だから、そこでも心と物が、出会っている。そうなると、建築という行為そのものが、幾重にも積み重ねあわされた事の連鎖として、できあがっていることがわかる。記号や表象が関係しているものは、こうして考えてみると、すべて事なのだということが、はっきりしてくる。
いまの学問にいちばん欠けているものは、この事の本質についての洞察だ、と熊楠は考えた。彼の考えでは、純粋なただ心だけのものとか、純粋にただ物だけのもの、というのは、人間の世界にとっては意味をもたず、あらゆるものが心と物のまじわりあうところに生まれる事として、現象している。しかも、心界における運動は、物界の運動をつかさどっているものとは、違う流れと原理にしたがっている。このために物界では、因果応報ということが確実におこるのに、純粋な心界でも因果応報がおこるとは限らないのだ。たとえその人の心に悪い考えがおこったとしても、その考えが物界と出会って、そこにたしかな事の痕跡をつくりだし、物界の流∵れの中に巻き込まれてしまうことがなかったとしたら、そのことだけでは、けっして将来に報いをつくりだすとは限らない。
事は異質なものの出会いのうちに、生成される。そして、その事が、ふたたび心や物にフィードバックして働きかける過程の積み重ねとして、人間にとって意味のある世界は、つくりだされてくる。熊楠はこの事の連鎖の中から、ひとつの原則がみいだせるはずだと考えた。
ここで熊楠が考えていることは、とても大きな現代的な意味をもっている。まず彼は、人間の心の働きが関係するいっさいの現象についての学問にとって、いちばん重要な意味をもつのは事であるけれども、この事は対象として分離することができない構造をもっている、と言っているのだ、心界におこる動きが、それとは異質な物界に出会ったとき、そこに事の痕跡がつくりだされる。しかし、その事はもともと心界の動きにつながっているものだから、心界の働きである知性には、事を物のように対象化してあつかうことはできないのだ。しかし、その分離不可能、対象化不可能なダイナミックな運動である事をあつかうことができなければ、どんな学問でも、自分は世界をあつかっているなどと、大口をたたくことはできなくなるわけだ。
ここには、二十世紀の自然科学が量子論の誕生をまって、はじめて直面することになった「観測問題」の要点が、すでに熊楠独自の言い回しによって、はっきりと先取りされている。
(中沢新一『森のバロック』による)
∵
【1】人間が、他の動物においては例外なくそうであるような、完全に特殊化された器官や本能をそなえていないこと、自然のままの状況に適応することによって生存してゆくことはできないこと、このことは、人間にとっては環境世界なるものが存しないことを意味している。【2】動物が個々の状況に面していかに行動してゆくべきかを決定するのは、彼の内なる自然そのものであった。それに反して、人間が自然のなかで生存しうるためには、彼自身が自分の行動によって状況を変えてゆかなければならない。【3】言いかえれば、動物に対しては自然が、始めからそれぞれの環境世界をあたえているのであるが、人間は自然に対してはたらきかけることによって、初めて自分の生活環境を作り出さなければならない。【4】この人間のはたらきによって形成されるもの、それが広い意味での文化とよばれうるならば、文化をもつことは人間にとって生物学的に必然である。そしてこの文化世界のほかに、自然のままの環境世界なるものは人間にとって本来的に存しえない。【5】極言すれば、人間には自然はないのである。しかも環境世界と違って、もはや人間という種に共通のものとして一定の文化世界があるわけではなく、それぞれの民族や社会集団がそれぞれ別の文化形態を作るのである。
【6】このように見てくると、人間においては動物の場合とは本質的に違った意味での自発性ということが考えられなければならない。すなわち、環境世界からの刺戟に対する反応として、すでに自分のなかにそなわっている本能によって行動するという意味での自発性「物体の運動との対比において」ではなくて、【7】むしろ逆に、本能的な直接性が欠如していることにおいて成立する自発性、少し逆説的な言い方になるが、直接の動因が与えられていないがゆえに行われなければならぬ自発性である。これは知覚の面でも運動の面でも見られる。
【8】われわれの知覚世界は、たんに受動的に成立しているものではなく、われわれによって構成されたものである。動物は生存に必要な刺戟しかうけないのに反して、人間はもともと刺戟過剰の状態にあり、生活を順調にいとなむためにはこの不均衡を何らかの形で∵克服してゆかねばならない。【9】幼児心理学によれば、産児は最初のうちはたいていの刺戟に対して不快感の反応を示す。うぶ声も苦痛感の表現にほかならないと言われている。そこでまずこの「制戟」の充満がいちおう遮蔽されることになる。【0】ある実験報告によれば、音の刺戟に対し、二ヵ月目にはかなりの程度まで不快さなしに耐えるようになり、さらに三ヵ月目頃からは無関心でいることができるようになる。この無関心さの程度は、拒否的および志向的な「反応」との割合において、始めは増大してゆき、八ヵ月目頃最大になる。この段階を経たうえで、こんどはそれらの「制戟」を加工してゆく能力が発達し始める。それはほぼ十ヵ月目頃から見られ、積極的に外界に向かう態度が明確になって、手でものをつかむ運動が発達してゆくのと並行している。幼児におけるこの経過はもちろん「無意識的に」おこなわれることである。しかし人間が生活の必要にとっては過剰の刺戟に対し、それを自分のはたらきによって処理し秩序づけ加工して、みずからの知覚世界を構成してゆく、その最初の段階がここに見られるのである。そのはたらきのより進んだ段階における重要な道具が言語にほかならない。われわれは知覚されるさまざまのものに対して言語その他の記号をもっておきかえ、その記号にともなう表象とその意味の理解によって対象世界を体系化してゆく。これがわれわれの認識活動である。
(山本信『形而上学の可能性』より)