ヤマブキ2 の山 6 月 4 週
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○自由な題名
○マスコミ
★清書(せいしょ)
○民主主義を一度も
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【1】民主主義を一度も体験したことのない社会や世代は、民主主義をとにもかくにも「素晴らしいもの」と考え、そうした立場に立ってそれを描き、讃えようとします。しかし、長い間にわたって民主主義を実践し、体験し、その実情を目にすることが増えてくると、こうした議論はなかなか人々の賛成を得られなくなります。【2】いろいろと「訳の分からない」ことや、いい加減なことが数多くあることを否定できなくなるからです。多くの人々は、先程例にあげたような民主主義批判が、あながち見当外れとばかり言えないことを肌で感じています。【3】問題はその先です。「それでは他にどんな方法があるのか」ということへの回答がなければ、議論は先に進まないからです。
二十世紀は「民主主義の世紀」と呼ばれたように、人類は実にたくさんの政治上の実験を行ってきました。【4】整然とした政治の実現のための仕組みや、本当の意味での「人民のための政治」を実現するための試みも行われました。ファシズムや共産主義はその代表例だったと言えます。【5】しかし、民主主義に対するさまざまな批判は、確かに鋭く説得的に見えたにもかかわらず、それに代えて実行に移した代案をみると、その結果は決して芳しいものではなく、民主主義以上に惨憺たるものでした。そこで再び民主主義へと舞い戻ることになったのです。【6】二十世紀後半以降の歴史は精神的にはこの舞い戻りの歴史であり、民主主義は初恋の相手のように胸躍るものではなかったにせよ、どこかにどうしても捨てがたいものがあったということでしょう。
日本も相当長い間にわたって民主主義を実践してきました。【7】こうした体験を重ねてくれば、民主主義の「素晴らしさ」を説く議論があるかと思えば、他方ではそれを先のように「けなす」議論をしていい気分になっているという向きもあります。しかし、それもそろそろ卒業すべきでしょう。【8】日本の民主主義はまさに、こうした段階の真っ只中にいるのです。つまり、そろそろその欠陥や「訳の分からなさ」を見据えながら、それを具体的に改善する方法を探らなければなりません。民主主義の「素晴らしさ」を讃える議論とそれを「冷やかす」「けなす」議論とのやりとりは、いわば空中戦というべきものです。【9】しかし、本当に必要なのは、地道に一歩一歩何をどう変えていくかという地上戦なのです。∵
ここでは「あれか、これか」式の空中戦ではなく、「より良く」が合言葉になります。人生の多くの局面において大事なことは、「より良く」を心がけ、実行することです。【0】「あれか、これか」に比べると、「より良く」を探求することは派手ではなく、あまり魅力のないもののように見えるかもしれません。しかし、人間の社会や個人の人生において大事なことは、ちょっとの違いが大きな違いにつながるということです。継続的な努力が必要なのはそのためです。五十歩百歩だからといって馬鹿にしてはなりません。何も、欠陥があるのは民主主義だけではないのです。われわれ個々人も社会などの組織も、欠陥のないものはありません。それを継続的な努力によって「より良く」していくことが大切なのであり、民主主義も例外ではないはずです。もちろん、人生や組織を「壊すこと」が目的でないならばですが……。
(佐々木毅(たけし)『民主主義という不思議な仕組み』より)