久助君の身体のなかに漠然とした悲しみがただよっていた。
昼のなごりの光と、夜のさきぶれの闇とが、地上でうまくとけあわないような、妙にちぐはぐな感じのひとときであった。
久助君の魂は、長い悲しみの連鎖のつづきをくたびれはてながら、旅人のようにたどっていた。
六月の日暮の、微妙な、そして豊富な物音が、戸外にみちていた。それでいて静かだった。
久助君は目を開いて、柱にもたれていた。何かよいことがあるような気がした。いやいやまだ悲しみはつづくのだという気もした。
すると遠いざわめきのなかに、一こえ仔山羊のなき声がまじったのをききとめた。久助君はしまったと思った。生まれてからまだ二十日ばかりの仔山羊を、ひるま川上へつれていって、昆虫を追っかけているうちついわすれてきてしまったのだ。しまった。それと同時に、仔山羊はひとりで帰ってきたのだと確信をもって思った。
久助君は山羊小屋の横へかけ出していった。川上の方をみた。
仔山羊は向こうからやってくる。
久助君にはほかのものは何も眼にはいらなかった。仔山羊の白いかれんな姿だけが、――仔山羊と自分の地点をつなぐ距離だけがみえた。
仔山羊は立ちどまっては川縁の草をすこし喰み、またすこし走っては立ちどまり、無心に遊びながらやってくる。
久助君はむかえにいこうとは思わなかった。もうたしかにここまでくるのだ。
仔山羊は電車道もこえてきたのだ。電車にもひかれずに。あの土手のこわれたところもうまくわたったのだ。よく川に落ちもせずに。
久助君は胸が熱くなり、なみだが眼にあふれ、ぽとぽとと落ちた。
仔山羊はひとりで帰ってきたのだ。
久助君の胸に、今年になってからはじめての春がやってきたよ
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