チカラシバ2 の山 7 月 4 週
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○自由な題名
★清書(せいしょ)
○言葉は風景のようなものだ
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【1】言葉は風景のようなものだ。いや、山や野に咲く生きた花畠のような気もする。種子は同じでも、時と場所によって、咲かせる花は違う。
たとえば今、東京・新宿には高層ビルが林立して、まるで二十一世紀の未来都市のように見える。【2】戦後、新宿西口がまだ闇市の時代に、私は、フランス文学科の学生だったが、駅前マーケットの間を詩を書こうとしてほっつき歩いていたから、今日の街の風景を見ると、まったく隔世の感がある。
【3】本当にバラック建築つづきのごった煮の街で、混乱をきわめていたが、しかし一種の活気があった。戦争の暗い時代から解放されたということで、文学や芸術、自由が沸騰していた。【4】しかも、アメリカ軍の占領下にあって、言葉には米語スラングが氾濫していた。
そうした混乱の一時期ののち、朝鮮戦争を境に、また、だんだん世の中が静まり、しだいに日本の社会も姿を整えていった。
【5】かくて今や、新宿の空を見上げれば、忽然として夢のような東京都庁をはじめ超高層ビルが立ちならび、ビルの谷間を、朝晩通勤の人々の列が埋めている。【6】まことに、夢か現(うつつ)かという想いがする。
その間に私たちの日本語も変わった。これは当然のことだ。世の中が変わり都市ができれば、文明の、こうした風景が出現する。人間の生活も変わる。【7】ビル街ができれば歩き方も違ってくるし、ファッションも変わるというものだろう。人間の生活が変われば言葉も変わる。当然話し方も違ってくる。人それぞれの考え方も、環境によって変わっていくことであろう。
【8】このごろ、日本語が乱れている、敬語が目茶苦茶だ、外来語の∵カタカナが多すぎる、若者の変な造語がさっぱりわからない、日本語はこの先どうなるんだと、よく話題になる。たしかにそういう気がしないわけでもない。だが、本当にそうだろうか。
【9】ここで、正しい言葉とは一体何だろうと、もう一度考えてみる必要がある。もし正しい言葉というものが、一つだけはっきり定まっているのであれば、たしかに、皆がそれだけを使えば用は足りることになる。
【0】たとえば水を飲みたいということを言いたいとき、意味が伝わりさえすればいいのであれば、「水が飲みたい」という言い方が一つあれば充分だ。しかし、現実はどうだろうか。そんな簡単なものではない。
人間の生活や心は限りなく豊かだ。そこで言葉にもひねりをかけようとする。「ああ、水が飲みてぇな」とか「喉がからっからだ」とか、なぜか一本調子の言い方から外してみたくなる。
特に、若者は言葉の冒険をすることで自己主張をしたり、目立ちたがる。また、自分たちの遊び心や、グループの仲間意識などを満足させようとする。
若者ばかりでない。職人さんなども、自分たちの職業の特色を表わすために、言葉にひねりをかけることがある。
正しい言葉というものは、たしかにある。しかし、実際に生活のなかで言葉が活きているのは、ひねりをかけて、そこからちょっと外した姿である。だから、逆に活きている言葉は、正しい言葉の外側にあるともいえる。
(栗田 勇『日本文化のキーワード――七つのやまと言葉でその宝庫を開く』(祥伝社))