ピラカンサ2 の山 7 月 4 週
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○自由な題名
★清書(せいしょ)
○数年前、F・フクヤマによる
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【1】数年前、F・フクヤマによる「歴史の終焉」をテーマとする論文が発表され、日本の言論界に、大きな反響を引き起こしたことは、なお記憶に新たなところであろう(「歴史は終わったのか」、月刊Asahi)。【2】フクヤマはその後、この論文を、さらに大部の著書へと発展させ、それも様々な議論を呼んだ。【3】フクヤマの論文は、十九世紀後半以降、世界の言論や思想と現実政治とをリードしてきたマルクス主義の歴史観の無効を公然と宣するものであり、とりわけ、冷戦の終了が語られ始めた時期に発表されたこともあって、多大な関心が寄せられることになったのである。【4】フクヤマによれば、冷戦が西側社会の勝利によって終結しつつあることは、資本主義社会の後に社会主義社会が到来するとしたマルクスの予言が誤っていたことを意味している。【5】すなわち、西側において、今日、既に成立しているか、あるいは成立しつつある自由民主主義的な統治と自由主義的な市場経済によって営まれるような社会こそが、歴史の進歩の最終段階に位置するものであり、【6】そうだとすれば、マルクスよりも、むしろ、彼に影響を及ぼしたヘーゲルによる世界史の構想の方が、現実の歴史の進行により、適合的であるということになる。
【7】実際、明治期以来、「文明」であれ、「社会主義」であれ、そして、「近代社会」であれ、こうした観念は、いずれも、特定の理想の社会についての理念を表現するものであり、かつ、そうした理想に向けての進歩の過程に関しても、具体的な発展の段階や経過を示す図式が与えられていた。【8】しかも、こうした発展の図式は、その到達目標が欧米その他の社会で既に実現されているものとされることで、より一層のリアリティを保っていた。【9】そして、日本の現状が問題になる際、こうした図式に照らしてそれを批判したり、あるいは将来に向けての行動を考慮するということが、いわば自明の前提になっていたのである。【0】しかるに、「歴史の終焉」という事態は、そうした発展の図式を提供してくれるものは、もはやないということを公然と告知するものであった。すなわち、遠い将来を展望した大いなる時間についての見取図を、われわれは、見失うことになったのである。F・フクヤマの言う「たいへん悲しい時期」、また「長く退屈な時代」は、そうである以上に、われわれ日∵本人にとっては、戸惑いと混乱を感じさせる時期なのかもしれない。
しかしながら、他方で、進歩の内実を規定するそれぞれの歴史の発展の図式は、明治以降の日本人の精神生活に一定の秩序と方向を与えるものでありながら、まさに、それゆえに、そこに特有の緊張感をもたらすものでもあった。その緊張感とは、進歩の目標に向けて、ある種の切迫感を伴って時間の経過を体験することに他ならない。すなわち、日本が文明化しなければ世界列強に伍していくことはできない、あるいは、社会主義の到来が必然であるとすれば、唯今現在如何なる行動に出なければならないのか、さらには、早急に前近代的な状態を脱して欧米なみの社会を建設しなければ、日本は再び破局への道を歩むことになるといった焦燥感が、近代日本人の精神生活に様々な影を投じてきたのである。そうだとすれば、そうした観念が、もはや現実的な意味を持たないとされることは、われわれ日本人の従来の精神の構えに弛緩をもたらすものであるとも言えよう。先に、「歴史の終焉」ということが、日本人に感慨をもたらすものだとしたのは、こうした、戸惑いと弛緩の入り交じった状態を指している。(中略)
改めて振り返ってみると、近代の日本において、「進歩」という観念が日本人の精神生活を大きく規定するなかで、実際の日本人の生活を特徴づけたものは、必ずしも、そうした進歩に向けての特定の時間図式のみではなく、むしろ、それを意識しながらも、様々な陰影をもってあらわれる多様な時間体験であった。そして、そこには、日本が欧米近代社会に接する以前の伝統的な時間体験のあり方が、様々な形で影を投じていた。そうだとすれば、われわれは、こうした近代の日本人の多様な時間体験のあり方のなかに、「歴史の終焉」の後の「たいへん悲しい時期」、あるいは「長く退屈な時代」において生を営んでいくうえでの何らかの示唆を見出せるかもしれないのである。 (坂本多加雄()『近代日本精神史論』より)