ミズキ の山 8 月 4 週
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○自由な題名
○計画と自由
★清書(せいしょ)

○その少年はまるまると
 その少年はまるまると太っていて、いつも腕白であった。クラスの中でもとりわけ貧しい家の子供で、給食費などは期限どおりに納めたことは一度もなかった。あるとき、私は少年に、
「おまえ、なんでそないに太ってるねん?」
 と訊(き)いた。小さい頃から「青びょうたん」とあだ名をつけられていた痩せっぽちの私は、なんとか人並に太りたいと子供心に念じつづけていた。雪深い富山から、兵庫県の尼崎に引っ越してきて一カ月ばかりたった頃、私が小学校五年生のときである。
「寝る前に、たこ焼きを食べるんや」
 少年はそう教えてくれた。毎晩、夕刊を売って歩き、その稼ぎでたこ焼きを買うのだと、誰にも内緒にしていた秘密まで打ち明けてくれたのだった。酒乱の父と、どんな仕事をしているのか判らないが、めったに家に帰ってこない母を待つその少年が、いたしかたなく自力で金を稼ぎ出し、毎夜毎夜、たこ焼きばかりを食べつづけていたことなど私は知る由もなかった。
「僕も夕刊を売って、たこ焼きを買うんや」
 私がそう言うと、母は血相を変えて反対した。父は笑って、
「ぎょうさん儲けて、お父ちゃんにもおごってや」
 と許してくれた。
 当時、阪神電車の尼崎駅周辺には、小さい屋台や小料理店が軒を並べ、ならず者たちが凍てつく露地のあちこちにたむろしていた。私は少年とつれだって、夕刊の束を小脇に、飲み屋のノレンをくぐっていった。
 誰も夕刊を買ってはくれなかった。しつこく売りつけようとして酔っぱらいに突き飛ばされたり、尻を蹴られたりもした。寒風の吹きすさぶ大通りから、裸電球のともる薄暗い露地にもぐり込み、一軒一軒新聞を売り歩いているうちに、私はだんだん情けなくなり、家に帰りたくなってきた。だが、断られても断られても夕刊売りをやめようとしない少年に引きずられて、夜更けまで場末の飲み屋街を歩きつづけたのだった。∵
「きょうは調子が悪いなァ……」
 と少年が立ち停まった。
「……僕、もう帰らんと怒られる」
 その言葉で、少年は私から新聞の束を受け取り、
「僕はもうちょっとねばってみるさかい」
と言い残して、再び暗い露地へと消えて行った。私は体中が凍えていた。夜道を震えながら帰った。家に入ろうとしたとき、誰かの歩いて来る音が聞こえた。父であった。父は「おかえり」と言って私の耳を掌で包んでくれた。その夜、銭湯からの帰り道、父がさとすように呟いた。
「おまえのたこ焼きと、あの子のたこ焼きとは、味が違うんやでェ」
 それからちょうど十年後に父は死んだ。父の死後、何かの折に、夕刊を売り歩いた一夜の思い出を母に語った。そしてそのとき母から、あの夜、尼崎の歓楽街で新聞を売り歩く私のあとを、父が最初から最後までずっと尾(つ)けていてくれたことを聞いたのであった。
 いまでもときおり、場末の歓楽街を歩いているときなど、露地のくらがりからまるまると太ったあの少年が、夕刊の束をかかえて走り出てくる幻想にかられる。そんなとき、オーバーで身を包んだ父が、物陰からじっと私を見ているような気もするのである。

(宮本輝『夕刊とたこ焼』)