ギンナン の山 8 月 4 週
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○自由な題名
★清書(せいしょ)
○俗に言う重箱のすみを
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俗に言う重箱のすみを突っつくたぐいの学術論文は別にして、歴史書を書くほどの人は学者でも、ということは世界的に有名な大学の教授の地位にある研究者でも、その人たちの歴史著作を読めば、必ずしも「イフ」は禁句ではないということがわかる。
もちろん彼らでも、カエサルがブルータスらに殺されずにあと十年生きていたら、ローマはどうなっていたか、とは書かない。しかし、カエサルの暗殺以後のローマの分析は、「イフ」的な思考を経ないかぎり到達不可能な分析になっている。ということは、書かなくても頭の中では考えていたということである。
では、専門の学者でもなぜ、「イフ」を頭の中だけにしてももてあそぶのか。
それは、歴史を学んだり楽しんだりする知的行為の意義の半ばが、「イフ」的思考にあるからである。ちなみに残りの半ばは、知識を増やすことにある。「誰が」、「いつ」、「どこで」、「何を」、「いかに」、行ったか、だけを書くならば、今や流行りのインターネットでも駆使して、世界中の大学や研究所からデータを集めまくれば簡単に書ける。ところが史書が簡単に書けないのは、これらに加えて「なぜ」に肉迫(にくはく)しなければならないからである。
ギボンは、『ローマ帝国衰亡史』の最後を、東ローマ帝国の首都コンスタンティノープルの陥落で終えた。だが、五十余日にわたった攻防戦を日々刻々記録したあるヴェネツィアの医師が残した史料は、ギボンの死んだ後で発見されたのである。それを基にして今世紀、現在では世界的権威とされているランシマン著の『コンスタンティノープルの陥落』が書かれたのだった。
この二書を読み比べてみると、たしかにランシマンの著作のほうが、五十余日の移り変わりが明確になっている。だが、本質的にはまったく差はない。ギボンの鋭く深い史観は、一級史料なしでも歴史の本質への肉迫(にくはく)を可能にしたのである。つまり、「なぜ」の考察に関しては、データの量はおろか質でさえも、決定要因にはならないということだ。歴史書の良否を決するのは、「なぜ」にどれほど∵肉迫(にくはく)できたか、につきると私は確信している。
そして、史書の良否に加えて史書の魅力の面でも、「なぜ」は大変に重要だ。誰が、いつ、どこで、何を、いかに、まではデータに属するが、それゆえに著者から読者への一方通行にならざるをえないが、「なぜ」になってはじめて、読者も参加してくるからである。その理由は、「なぜ」のみが書く側の全知力を投入しての判断、つまり、勝負であるために、読む側も全知力を投入して、考えるという知的作業に参加することになるからだ。書物の魅力は、絶対に著者からの一方通行では生れない。読者も、感動とか知的刺激を受けるとかで、「参加」するからこそ生れるのである。
そこで、「なぜ」という著者・読者双方にとっての知的作業には、必然的に「イフ」的な思考法が必要になってくる。
私の言いたいのは、なぜ信長は本能寺で死なねばならなかったのか、の「なぜ」ではなく、生前の信長はなぜ、これこれしかじかの政策を考え実行したのか、に肉迫(にくはく)する「なぜ」である。
それには、信長の立場に立って考えることが必要だ。彼だって、本能寺で死ぬとは予想していなかったのだから。ゆえに、もしも信長があそこで死なずに十年生きていたら、と考えることではじめて、生きていた頃の信長の意図に肉迫(にくはく)できるようになる。反対に「イフ」的思考を排除すると、話は本能寺で終ってしまい、日本史上空前の政策家信長の真意も、連続する線上で捕えることが困難になってしまうのだ。
われわれは大学から給料をもらっている身でもないし、それゆえに学術論文を書く義務もない。彼らが禁句にしているからといって、われわれまでが恐縮して従う必要はないのである。歴史を、著者・読者双方ともが生きる現代に活かすのにも、「イフ」的思考は有効である。
(塩野七生「『イフ』的思考のすすめ」)