リンゴ の山 8 月 4 週
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○自由な題名
★清書(せいしょ)
○島崎藤村の事を
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島崎藤村の事を考えると、私の頭に先ず浮かんで来るのは、「夜明け前」の出版祝賀会の席上で、氏が諸家の祝賀の言葉に対して答えた挨拶を述べた態度である。
人々のテーブルスピーチが終わると、藤村(とうそん)は感慨に耽り込んだような、そのために少しぼんやりしたような顔附(かおつき)で静かに立ち上がり、暫くうつむき加減に黙って佇(たたず)んでいたが、やがて顔をもたげ、太い眉をきりりと上げて、そしてゆっくりした口調でこういったのである。
「わたしは皆さんがもっとほんとうの事をいって下さると思っていましたが、どなたもほんとうの事はいって下さらない……」
そのまま又眼を伏せて暫く黙ってしまった。人々は粛然と静まり返った。
実際諸家の言葉は月並でない事はなかったが、由来こういう出版記念会などにいわれる言葉は、普通作者に対する祝賀の言葉かねぎらいの言葉かであるのが例なので、そういうものとして無神経に聴き流してしまえば、別段とがめ立てしなければならないものでもなかったように思われる。併(しか)しそれをほんとうに聴き、その中から自分の努力に対する忌憚なき批評をほんとうに探ろうという気になれば、諸家の言葉が余りに形式的である、月並なお世辞であったという事が、藤村(とうそん)の心を寂しくしたとしても、これまた無理ではないかも知れないという気がする。
それは藤村(とうそん)流の静かないい方ではあったが、何処かにぴしりと人を打つような辛いものを含んでいた。月並なお世辞に対する苦笑に充ちた抗議を持っていた。それだから突然叱られたといった感じが黙り込んだ人々の顔に現れたわけである。実際叱られて見れば、もっともの話である。叱られなかったら叱られなくても好いようなことだけれども、叱られて見るとその理由がない事はないので、急に人々は襟を掻き合わせて坐り直さなければならなくなったと云った感じであった。
藤村(とうそん)は暫く黙った後で、再び顔をもたげ、太い眉を再びきりりと∵上げ沈んだ調子で言葉を継いだ。
「大体わたしという人間は、人に窮屈な感じを与えるのですか、近づき難いような感じを与えるのですか、誰もわたしに近づいてほんとうの事を云ってはくれません……実は決してそうではなく、わたしは人に近づきたいのですけれど……」(中略)
氏はそこで語調を変えて、人々の方を見まわし、こう結語としていった。
「今夜のように盛大にわたしのために皆さんに集まって頂こうとは、わたしには全く思いがけない事でした。わたしはわたしのために皆さんに集まって頂いた事がわたしの生涯にもう一度ありました。それはわたしが洋行した時の事です。わたしは前の新橋の停車場から発って行きましたが、田山君や柳田君が途中まで送ってくれるといって、一緒に汽車に乗り込んで来ました。その時柳田君がわたしに向かってこんな事をいったのです。『人間がこうして自分のために沢山の人に集まって貰うのは、まあ洋行する時ぐらいのものだね。それともう一つある。それはその人間の葬式の時さ』と。……わたしは今夜皆さんがこうして集まって下さった事を、わたしに対する文壇の告別式だと思っています」
右の藤村(とうそん)の挨拶は、その時も今も私の頭に相当強い印象を残している。私はたゆまずに一歩一歩と、意志的に自分を鞭うちつつ、とうとう書きたいものをみんな書いてしまったという強い自信を持った人でなければ、そういう言葉はいわれないと思った。書きたいものをみんな書いてしまったと、静かに云い切れる作家を目の前に見たという事は、私には全く一個の驚異であった。私はその事に深い感動を受け、暫くはその感動のために、自分が圧迫されるのを感じた程である。
(広津和郎『藤村(とうそん)覚え書き』)