ヌルデ2 の山 10 月 4 週
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◎自由な題名
★清書(せいしょ)
○道はやさしい道でした
○音楽に限らず(感)
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【1】音楽に限らず文化というものは、共有財産として皆が自由に使える形で常に身の回りにあってこそ発展するという面をもつ。【2】モーツァルトの音楽を聴くと牛の乳の出が良くなるとか、良い子が育つというような話が本当かどうかはともかくとして、音楽がコンサートの場だけでなく、様々な社会的局面で人間を育み、文化を涵養してゆく機能を果たすことを考えれば、それらが自由に使えるということは重要なことである。【3】少なくとも、モーツァルトの音楽を使うたびに著作権料を取られていたのでは、そのような文化の広がりが望めないばかりか、音楽の創作活動自体も窒息してしまうだろう。
【4】アフリカ諸国などでは、自国の音楽文化が西洋の音楽家にリソースとして勝手に使われることに対抗し、西洋の著作権の考え方を導入したことがかえって地元の人々の音楽活動を抑制する結果になってしまったりもしたようだ。【5】それらの地域には、皆が共通に使えるメロディなどの素材を共有財産としてストックし、使い回すことによって新しい音楽づくりをしてゆく文化があった。西洋の搾取をおそれるあまり、彼らの日常そのものが変質し、窒息させられてしまったのである。
【6】アフリカだけの問題ではない。西洋の近代文化は、作者個人の独創性をことさら重視する文化には違いないが、それが「文化」である限り、その独創性は決して作者一人のものではありえない。【7】バッハやモーツァルトなど、多くの先達たちの残した「遺産」に取り囲まれ、それらを模倣したり換骨奪胎したりして摂取する一方で、それらと対峙しのりこえることを通して、音楽文化は育まれてきた。
【8】「保護」して勝手に使わせないようにするだけでは文化は育たない。それらを共有財産として皆で分かち合い、余すところなく使い回すための公共の場が確保されていることは、文化を生み出す土壌には不可欠なのである。【9】著作物の保護年限がどんどん延ばさ∵れてゆく今日の風潮の中で、著者の「権利」に目を奪われるあまり、文化のそういう側面が忘れられてはいまいか。
【0】個人情報保護もそうだが、文化は社会全体で育ててゆくものだという視点を失い、個人の権利だけが暴走するのはこわいことだ。著作権という考え方自体、決して一枚岩的に成立したわけではなく、芸術の社会的位置や文化産業のあり方の変化の中で、西洋社会が皆で工夫を加えながら育んできたものだ。西洋社会がこのような考え方をなぜ必要とするにいたったか、それが日本の社会に何をもたらし、何を失わせたのか、そういうことをあらためて認識しなおすことが今求められている。
(渡辺裕『考える耳』(春秋社))