ルピナス の山 10 月 4 週
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◎自由な題名

★清書(せいしょ)

○自分が、いままさに
 自分が、いままさに死にゆかんとしていることを知らないままに死んでいく人間などいないと、ぼくは思う。そうでなければ、人間が死ぬ必要などどこにもないではないか。人間は、そのことを思い知るために、死んでいくのだ。有吉の死後、ぼくが読書すら投げ出して考え続けたことは、それだった。だが何のために、そんなことを思い知らなくてはならないのか、ぼくには分からなかった。それを考えるとなぜかぼくは何かに祈りたくなるのだった。有吉が死んでからは、ぼくと草間とは疎遠になった。草間はその猛烈な勉強ぶりに拍車をかけ始めたし、ぼくはぼくで、ある新しい情熱を駆られて小説に読みふけるようになったからだ。その情熱とは、すでにとうの昔にこの世からいなくなった多くの作家たちが、生きているときに何を書かんとしたのかを知りたいという願望だった。死人が小説を書けるはずなどなかったから、ぼくが捜し出そうとしていたことはばかげたお遊びに近かった。だが、そのばかげたお遊びは、有吉の死がぼくに与えた後遺症だったのだ。ぼくはまもなく後遺症から立ち直り、あらゆる物語を死から切り離して考えるようになった。すべては死を裏づけにしていたが、死がすべてである物語は存在しなかったからである。
 寒い朝、ぼくは草間からの電話で起こされた。「新聞に、あの絵のことが載ってるぞォ」と草間は言った。ぼくは電話を切らずに、そのままにしたまま、階段を降りて茶の間に行き、父が読んでいる新聞をひったくって二階に駆けのぼった。そして「消えた幻の名画」と見出しがついたコラムに見入った。それは事件としてではなく、ちょっとした町の話題として載せられたもので、ある日忽然と誰かに持ち去られてしまった百号の油絵の由来が紹介され、持ち主の談話が簡単につけ足されていた。喫茶店の店内から絵を盗み出してから、すでに八ヶ月がたっていたから、まさかいま頃(ごろ)になって新聞ざたになろうとは思いもかけないことだった。作者の島崎久雄は幼い頃からじん臓を患い、長い闘病生活の果てに逝った青年だった。多くのデッサンとペン画が残っているが、油彩の大きな作品としては、盗まれた「星々の悲しみ」のファンも多かったので、何とか手元に帰って来てくれないものかと思っていると持ち∵主は語っていた。「用事が済んだら、ちゃんと返しとくのがルールやて言うたやろ。志水がいつまでも返さへんから、こんなことになったんや」と草間はそれほど慌てている様子もなさそうに言った。警察ざたになった訳ではなかったので、ぼくもそんなに動揺はしなかったが、そろそろ潮時だという気がして、草間に言った。「頼む、絵を返してきてくれよォ」「俺一人でか? アホなこと言うなよ。新聞に載ったとたんにおかしな動き方をしたら余計に危ない。もうちょっと時間をあけてから考えたらええがな」「店の中の、元の壁に返しとくというのは、なんぼ草間でも無理やろなァ……」草間の笑い声が、電話口から聞こえてきた。ぼくたちはその話は一応打ち切って、互いの近況を語り合った。「もう、へとへとや」草間は言った。「今が一番つらいときや。もうちょっとやないか」それから、ぼくはふいに感傷的になって、ほんの少しの間涙ぐんだ。……「K大の医学部絶対に通れよ。癌なんかやっつけてしまう医者になってくれ」
 ぼくはニ、三日、落ち着かない日を過ごした。「星々の悲しみ」から、出来るだけ遠ざかっていたかった。だが、そうなるといっときも早く、絵を持ち主に返してしまいたくて仕方がないようになってしまった。ぼくは意を決して、妹の加奈子に新聞の記事を見せた。そして妹に手伝わせて、壁に掛けてある油絵を降ろし、畳の上に立てかけた。そして、八ヶ月前の雨の日、図書館の横の古い橋の上で、初めて草間と有吉の二人と言葉を交わしたときのことを話して聞かせた。「あれから、たったの八ヶ月やぞォ」そう言ってしまってから、ぼくはその間に読んだたくさんの小説の行方を思った。悲劇も喜劇も、悪も善も、恋愛も官能も、心理も行動も、ことごとく陰翳を失って、ぼくの中に潜り込んでしまっていた。ぼくは何も得なかったようでもあったし、積み重なった透明な後光を体中に巻きつけているようでもあった。加奈子が自分の部屋に戻ってしまうと、ぼくは古新聞を集めてきて、絵の包装に取りかかった。乾いたタオルで額についた埃を拭いた。それから、もう二度とぼくの手元に戻ってくることのない「星々の悲しみ」を見た。∵「凄いなァ」死んだ有吉は、この絵を見てつぶやいたのだった。
 「この絵、もっとほかの題がついていたら、何でもないただの絵かも知れへんなァ」――絵はいつになく光っていた。蛍光灯の光を受けて、樹木の葉は水に濡れたように色づき、初夏の陽光は真夏の日差しに変わってまばゆく輝いた。どこからか蝉しぐれも聞こえてくるようだった。ぼくは、結局いつかの加奈子の解釈が、いちばん正しかったのではないかと思った。加奈子は、麦わら帽で顔を覆って大木の下でうたたねしている青年を、死んでいるのだと思ったのである。絵の作者は、自分の死んでいる姿を描いたのだと。もし本当にそうだとしたら、この絵にもっともふさわしい題名は確かに「星々の悲しみ」以外ないではないか。ぼくは、葉の繁った大木の下に有吉を横たわらせ、そのとてもきれいな死に顔を麦わら帽で隠した。

(宮本輝「星々の悲しみ」)