プラタナス の山 10 月 4 週
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◎自由な題名

★清書(せいしょ)

○「差別」や「平等」という
 「差別」や「平等」という言い方は、一種の序列構造を前提にしている。自然数のように、大小の順番がつけられるという性質を「順序関係」と呼ぶが、「差別」の対義語として「平等」を措定する思想的態度は、順序関係という写像への信奉によって非常に強く条件づけられている。
 「差異は上下という関係に写像される」という世界観の下では、できるだけその差異を隠蔽して、均質なものとみなそうという動機づけが生まれる。そこに立ち現れるのは、世界がお互いに比較などできない多様なものによって構成されているという豊潤さへの感謝ではなく、むしろすべてを中央集権的に価値づけようという「神の視点」につながる野望である。(略)
 差別語とされる言葉をことさら使う人は品性下劣であるが(とくに相手が嫌がる場合には、あえてそのような言葉を使う必要はないと思う)、その一方で思想警察のごとき極端な「差別語狩り」には、以前から違和感を持っていた。その根本的な理由は、以上述べたような、差別をことさらに隠蔽しようとする思想の背後にある、画一的なメンタリティにある。
 世界には魑魅魍魎のごとき実に多彩なものがあふれており、その間に単純なる順序関係(上下の序列)などつけることはできず、生肉を食べようが、目が細かろうが、箸でものをつまもうが、それは「個性」であって、「みんなちがって、みんないい」と称揚されるべき差異である。そのような「覚悟」をもって世界を見渡せば、美人だろうがブスだろうが、ハゲだろうがオヤジだろうが、別にいいだろう、と思えるはずだ。しかし、それは案外かなりラジカルで、それを生きることの難しいスタンスなのかもしれないとも思う。
 もともと、近代科学自体に世界観としての原罪がある。周知のとおり、ニュートンによる微積分の手法の発明、「万有引力」という構想自体が、世界の中の差異を消去し、すべてに普遍的に成り立つ法則を見出そうとする動機づけに基づいていた。目の前のリンゴと、天上に輝く月の間には、ナイーブに考えれば乗り超えがたい差異がある。両者が同じ万有引力の法則に従って運動するという∵衝撃的な着想の中にこそ、近代の科学を発展させた起爆剤はあった。しかし、それは同時に差異をどんどん無効化し、消去していく無限運動の始まりでもあった。
 それぞれ輝く個性をもって屹立しているかに見えた生物種の起源が「突然変異と自然選択」という一般原理で説明され、子が親に似るという現象はDNAという単一の物質のバリエーションの問題に帰着し、そしていまや世界の森羅万象が等しくネットワーク上のデジタル情報の中に映し出される。男も女も、老いも若きもすべては差異の隠蔽された平等の楽園に取り込まれていくという「政治的正しさ」のプログラムは、ニュートン以来の近代科学のすばらしき成果と思想的に明らかに連動しているのである。

 (茂木健一郎()「『みんないい』という覚悟」による)