ムベ の山 11 月 4 週
◆▲をクリックすると長文だけを表示します。ルビ付き表示

◎自由な題名

★清書(せいしょ)

○人間が自由で平等だというようなことが
 人間が自由で平等だというようなことが、原則として認められている社会、これが、近代だといってよいでしょう。
 それでは、そういうものが果たして我々日本人に固有のものか、我々自身の生活の中から出てきたものかというと、これはそうではないということが、すぐお分かりになると思います。近代的なものは、生活の観念にしろ、社会生活の形にしろ、みな西洋から来ています。西洋人にとって近代は、つまり自分の中から出たものです。自分たちのものの考え方、あるいは感じ方の必然の結果です。ところが、我々にとっては、それはよそから受け入れたものだ。そこのところが、同じ近代でも甚だ違うのです。 (中略)
 森鴎外は、晩年に徳川時代の漢方医で明治時代にはほとんど忘れられてしまって、そしてもし鴎外が書き残さなかったら、我々は全然知らないだろうと思うような人たちの伝記を非常な熱情をこめて書いています。(中略)
 恐らく、日本人は西洋の影響を受けてから悪くなった、今の文明のあり方を見ると、日本人に将来救いがあるかどうか分からない。ただ、そういう西洋の影響を受けない前の日本人のある人々の生き方に、自分は非常な尊敬を感じて、そういう人たちの生き方に及ばずながら自分も従ってゆこうという気持ちに、やっと自分の救いを見いだすというのが鴎外の考えであったようです。鴎外のように、西洋もよく知っており、自然科学の知識もあり、最も日本の近代化ということを評価してもいいような人が、非常に否定的であった、これは我々が記憶しておいてよいことだと思います。
 同じようなことが漱石についても言えます。漱石は、鴎外よりよほどおしゃべりですから、自分の思想をはっきり述べているのですが、その中で有名なのは、この人が和歌山県でやった「現代日本の開化」という講演でしょう。これは、漱石の思想の核心に触れている講演です。読んでもなかなかおもしろい。洒脱で、ユーモアにも富んでいて、時々、聴衆をうまく笑わせたりしています。しかし、内容は近代日本の文明について非常に悲観的な見方をしています。漱石は、そこでまず文明というものあるいは文化(開化という言葉を使っていますが)は、内発的な開化と、外発的な開化と二つある。外発的というのは内部から出るものでなくて、外からの刺激によって文化が大きく変わるということです。内発的とは、∵ちょうと時候が暖かくなって花が開くとか、雲が大空を飛んでいくとか、これは漱石の比喩なのですが、そんなふうに、内から自然の力に押されて何かができあがるということです。
 ところで、日本の開化はどうか。漱石の見るところでは、徳川時代の終わりまではだいたい内発的に進んできた、と言う。これにはだいぶ問題があるでしょう。なぜなら、日本は古代から外来文化を輸入し続けてきた、という事実があるわけです。しかし結局のところ、私は漱石の考えが正しいのではないかと思います。
 日本は島国で荒い海に囲まれている。外国が現実の力になって襲ってくるということは何百年、何千年に一度くらいの例外はあるが、ふだんは適当にその海が、ちょうどフィルターのような役割を果たしてくれる。したがって、外国は敵対する力としてでなく、いつも文化として入ってくる。仏教も儒教もそうでした。外国人というのは、いつも珍しいお客さんであって、歓迎してかえせばよい。気に入らない時は殺してしまえばよい。キリシタンが入ってきた時はそれをやった。江戸時代ごろまでの外国との接触は、いつも自然によって守られていたのです。
 ところが十九世紀になって、蒸気船ができる。海という自然の力を征服してしまうような交通機関が発明され、それによって外国は初めて現実の力、侵略的な力として我々の周りに迫ってきた。そうした力に動かされて、明治維新が達成されたわけです。今から見れば、ずいぶんのんきなものであったにしろ、当時の日本としては大事件でした。
 明治維新は、つまり日本の近代化の出発点は、単に優れた文化に接してこれを学ぶというような穏やかなものでは決してなかった。それを学ばなければ、こっちがやられてしまう、国としての独立を維持してゆくことができない、という事情があったのです。こっちが生活あるいは社会組織を西洋風に改めなければ、逆に、西洋人の力によって、こっちがいやおうなく西洋風にされてしまう、そういう危機として、外国が現実の力を振るったわけです。ですから、日本が初めて外発的な力に動かされた、と漱石が言うのも、決して誇張ではなかったのです。(中村光夫の文章より)