黄ウツギ の山 12 月 4 週
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◎自由な題名

★清書(せいしょ)


 長嶋茂雄さんの監督としての評価にはさまざまな見方があるようです。しかし、長嶋さんの持つあの天性の明るさ、前向きの姿勢は、集団を一つの空気に巻き込んでいくリーダーとしての重要な資質である、と私は見ています。あの無邪気とも言えるひたむきさは、集団を一体化させるカリスマ性さえ感じさせます。
 だが、私はあるとき、間近でバッティングを指導している長嶋監督を見て、驚いたことがあります。長嶋監督がトスを上げ、それを選手がネットに打ち込む練習をしていたのですが、一球ごとに長嶋監督はあの甲高い声でアドバイスを送ります。それが「だめだめ、スパッと」「そう、スパッと振り抜く」「パシッとインパクトを決める」「スパッと振り出してパシッと」といったふうに、オーバーな身振りで注意を与えるのですが、その言葉の大半が擬声音なのです。これはどうしたものだろう、選手はこのような感覚的な表現で、果たして長嶋監督が伝えようとしているものをつかみとれるのだろうか、と私は思ったものでした。
 選手としての長嶋監督は掛け値なしの天才でした。無意識に振り出すバットが理にかなったスイングになっており、多くの選手が苦労して身につけるものを、天賦のものとして備えていた選手でした。だから、選手としての長嶋さんはああでもないこうでもないとバッティングについて考えたこともなかっただろうし、理屈よりも感覚で把握できていたのでしょう。
 しかし、長嶋監督と同じレベルの資質を持った選手ならそれで十分に理解できるでしょうが、そのようなレベルの選手など、そうそういるものではありません。長嶋監督の熱血指導を受けても、わかったようなわからないような、なんだか半信半疑といった感じで終わってしまう選手が多いのではないでしょうか。
 これと対照的に思い浮かぶのは、ヤクルトの野村監督です。野村監督が打撃指導をしているのをやはり間近に見たことがありますが、長嶋監督とは対照的に、少ない口数ながら、実に具体的なのです。「右肩が上がってる。右肘を下に引け」といった具合で、教えるポイントも一点か二点です。
 野村監督も三冠王を獲得した、まぎれもない名選手です。だが、野村監督は天才型ではありませんでした。こつこつと努力して、一歩一歩踏み登ってきた刻苦勉励の人です。それだけに、選手のレベルに合わせて伝えるべきことを表現する技術を持っているのでしょう。
 リーダーは部下が理解できるような表現力を備えていることが、不可欠の条件ではないでしょうか。
(「致知」九十七年五月号 北森義明氏の文章より)