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a 長文 7.2週 1i
 丸山真男東大名誉めいよ教授が八月十五日亡くなられました。かれとは昭和六年、一高入学以来の親しい友人でした。高校三年間同じクラスで学び、大学も同じ学部に進みました。大学を出てからかれは東京大学に残り学究生活に、私は大阪おおさかでサラリーマン生活をすることになりました。思想的には必ずしも同じではありませんでしたが、交友は生涯しょうがい変わらず、「機会があったら貴兄と儒教じゅきょう談義、いな諸子百家談義をしたら楽しいだろうな……」という手紙をもらったのは三年前でした。その楽しみも果たさず他界され、惜しみお  ても余りあります。心からご冥福めいふく祈りいの ます。
 昭和十四年、私はノモンハン事件で戦傷を負いました。東京第一陸軍病院に収容された時、かれから一通の葉書をもらいました。そこにはただ、
 Durch Leiden Freude−L.v.Beethoven
 と書いてあるだけでした。隻脚そうきゃくになった私の前途ぜんとは苦難に満ちたものであろうが、ベートーベンのようにその苦悩くのう克服こくふくして強く生きてくれという、かれの友情にあふれる力強い激励げきれいの言葉と私は受け取りました。「苦しみを通じて喜びへ」、かれに教えてもらったこの言葉が心のかてとなり私の今日までの人生を支えてくれました。
 また、見舞いみま に来てくれた時、
「おい、靖国神社やすくにじんじゃに行かなくてよかったな」
 と手を取って心の底から喜んでくれたことは忘れられぬ思い出です。
 拙著せっちょ『古教、心を照らす』が出版された時、かれからこんな手紙が届きました。
「……貴著をひもときながら一九六〇年代にオックスフォードに滞在たいざいしていた時のことを思い出しました。そのころは、オックスフォード大学に経営学の講義がなかったので、どうしてなのかと、教授の一人に聞いたところ、
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『経営なんていうものは古典と歴史をしっかり勉強すればできるものだ。わざわざ教える必要はない』
というのが答えでした。
 アメリカの経営学を日本が盛んに輸入しているころでしたから、かれの返答が非常に印象的でした。イギリス人の痩せ我慢や がまんといってしまえばそれまでのことですが、やはり一つの見識で、いかにもオックスフォードらしいなと思ったものです。」
 私は経営学は勉強したほうがいいと思います。しかし、「古典と歴史を勉強すれば経営はできる」という見識には首肯しゅこうされるものがあります。
 「もっと古典と歴史を」
 そういっているかれの声が聞こえるような気がいたします。

 (月刊「知」新井あらい正明氏の文章より)
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a 長文 7.3週 1i
 孟子もうしは、孔子こうしより遅れおく てこの世に生をうけた中国古代の思想家だが、かれに、
忍びしの ざるのこころ」
という考えがある。忍びしの ざるのこころというのは、
「他人の不幸や悲しみを、そのままみるに忍びしの ないこころ」
をいう。
 たとえば、川のほとりを歩いている時に、車椅子くるまいすの人や老人や、あるいは小さな子供がいましも落ちかかっている光景を目にしたとする。通りかかった人は、普通ふつうの人間ならすべて、
忍びしの ざるのこころ」
を持っているから、すぐ、
「助けなければ」
と思って走り出す。そのときためらって、
「助けなかったらだれかにあとから批判されるだろうか。それとも助けたら、家族がお礼に何かくれるだろうか」
などというさもしいことは考えない。無計算で駆け出しか だ ていく。それが孟子もうしの、
忍びしの ざるのこころ」
である。
 しかし、孟子もうしはこの忍びしの ざるのこころについてこういうことをいう。
忍びしの ざるのこころは、人間がつねに持たなければいけないから、これを恒心こうしんと名づけよう。しかしこの恒心こうしんも、あるものがなければ保てない。あるものとは恒産こうさんをいう」
 と説明して、有名な
恒産こうさんなければ恒心こうしんなし」
といいきった。
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 いまリストラにあって、
「おまえはあしたから、会社にこなくていい。自宅待機だ」
といわれたとする。そのビジネスマンの子供が、春から私立の大学に行っている。学費が高い。これをどうするか。また、家を建てたローンが終わっていない。返済計画には、本給だけではなく時間外勤務手当や旅費や、ボーナスなどの雑給もすべてぶちこんできた。自宅勤務になると、これらのものも支給されないという。
「いったいおれと家族は、どうやって生きていけばいいんだ?」
というような、切実な悩みなや 襲わおそ れている人間に、
「おまえは少し、忍びしの ざるのこころが足りないぞ。もっと他人の悲しみや苦労に同情しろ」
というのは、いうほうが無理だ。
 いまから二千数百年前に、孟子もうしはこういう人情の機微きびをすでにいい当てているのだ。

 (月刊「知」童門冬二氏の文章より)
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 ところが、七十四さいになった宇野さんは『幸福』を発表します。この作品は女流文学賞、芸術院賞を受賞しました。その後の宇野千代さんの活躍かつやくぶりは、広く知られるところです。八十九さいでは『生きて行く私』という自伝的作品を発表して、おおいに世間の耳目を集めました。そして、宇野さんは天寿てんじゅをまっとうしたというにふさわしい人生を終えられたのでした。
 一度は書くことを断念した宇野さんが、どうしてこのようによみがえり、晩年を生き生きと書き続けることができたのか。そこには一つの出会いがありました。
 仲介ちゅうかいする人があって、宇野さんは中村天風に会ったのです。そのとき、中村天風は八十八さい、宇野千代さんは六十八さいでした。
 初め、宇野さんはそんな老人に会っても仕方がないと思いました。ところが、会ってみると、中村天風は姿勢がきちんとしていて、非常に穏やかおだ  雰囲気ふんいきで、静かな声で話し、本当に感じがよかったわけです。それで、弟子にしてくれと言うのですが、中村天風は弟子といったことではなしに話をしましょうと言い、それから毎日のように訪ねていって、一時間ほど話をして帰るようになったのでした。
 あるとき、中村天風は「あなたはもう小説を書かないのですか」と聞きました。「書かないのではなく書けないのだ」と宇野さん。すると、「書けないと思っている間は書けませんよ」と中村天風は言います。そういうことをいつも話し合っていたのでした。
 中村天風は昭和四十三年、九十二さいで亡くなりました。宇野さんとは四年間のつきあいだったわけです。そのとき、宇野さんは「自分は書ける」という気に、自然になっていたそうです。中村天風から「書けないと思っているうちは書けない」という話を繰り返しく かえ きいているうちに、いつか「自分はもう書けないのだ」という気持ちが消えていたわけです。そのいきさつを宇野さんは『天風先生座談』という本に詳しくくわ  書いています。
 「自分はもう小説は書けない」と思い込んおも こ だままだったら、宇野千代さんの晩年のきらきらと輝くかがや 作品は決して生まれなかったでしょう。心の持ち方がいかに大きな作用を及ぼすおよ  かを、この例は示しています。
 私たちも自分の生き方を限界づけるような心の持ち方をしていないでしょうか。そのことに気づきたいものです。

 (月刊「知」山下俊彦としひこ氏の文章より)
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a 長文 8.1週 1i
 私が森信三先生を知ったのは二十八年前の昭和四十三年、神戸市立魚崎うおざき中学校の教頭になったときでした。私たち新任の教頭たちの研修会に、森先生が講師として来られたのです。
 ところが、先生は一時間も遅刻ちこくされ、会場である市役所の会議室にみえたのは午前十一時。もう残り時間は三十分しかありません。そこで先生がお話しになったことは、
 「みなさんの学校ではゴミが落ちていませんか。落ちている紙くずに気がつかないで、子供の心がわかりますか。このゴミをね、だれに命じるのでもなく、みなさんが拾ってください。それも、黙っだま 黙々ともくもく 拾うのです」。
 ゴミ拾いのこと、ただそれだけでした。
 会場には六、七十人ほどいましたが、「遅れおく て来たうえに、ゴミ拾いの話とは何ごとだ」と非難の声もあがったようです。しかし、私にはなぜか理屈りくつ抜きぬ に心に響いひび てきた言葉でした。
 翌朝から紙くず拾いを始めました。朝早く学校に行き、教員室の机にカバンを置くと、そのままの恰好かっこうで校地の周りなどを歩いては黙っだま てゴミを拾いました。このことは昭和六十二年に定年退職するまで続きます。私にとっては単なるゴミ拾いではなく、教員生活の支えともなった大きな学びだったのです。
 こんなことがありました。問題校のT中学校に校長として赴任ふにんした朝、校庭のゴミ拾いをしていた私に、数人の男子生徒が十メートルもない距離きょりから石を投げてきたのです。
 私は、平静を装って立ち上がり、彼らかれ と対面しました。「うるさい」、「校長のバカ」。そんなことを叫んさけ で、彼らかれ は走り去りました。
 校長に石を投げてくるとは……初めての体験でした。しかし数日後、彼らかれ 行為こういの意味を考えているうちに、ハタと思い当たったのです。
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 彼らかれ は石を投げてきた。でも、私の体のどこにも石は当たっていない。石を当てようと思ったら、全部命中させられる距離きょりだった。では、なぜそうしなかったのか。あれは私へのサインではなかったか――と。
 先生がたにその生徒たちのことを聞いてみると、学業の成績が悪く、漢字もあまり書けないし、 掛け算か ざんの九九もおぼつかないとのこと。また欠席も目立ちます。そういう状態ですから、三年生にもなっていまだに進路も決まっていない。「やっぱり、そうか」と思いました。彼らかれ は新しくきた校長に「こんな自分たちをなんとかしてくれ」と訴えうった てきたのではなかったか。

 (月刊「知」田中繁男しげお氏の文章より)
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a 長文 8.2週 1i
 私は大田区のある町工場で、大企業きぎょうから持ち込まも こ れた試作品づくりの現場に出くわしたことがある。
 大企業きぎょうが示した設計図の問題点が指摘してきされる。この設計図では期待されるようには作動しない、この部分は曲線をもっと深くしないと噛み合わか あ ない、といったふうである。指摘してきするのは、作業衣を着た町工場のおっさんだ。
 すぐに発注元の大企業きぎょうに問い合わせがなされる。多分大学出の設計専門家がコンピューターを駆使くしして書き上げた設計図なのだろうが、町工場の面々が指摘してきしたとおりに、たちまち修正される。つまり、大企業きぎょうの示した設計図は使いものにならなかったのだ。
 この部分の材料になる鋼材は、どこそこでストックしているはずだ、ここの削りけず 出しはだれだれのところが得意だ、この旋盤せんばんはあそこにやってもらったほうがいい、ということで、町工場の面々は自転車に乗って飛び出していく。ここに出てくる「どこそこ」も「だれだれ」も「あそこ」も、すべて近隣きんりんの町工場である。
 コンピュータで情報を検索けんさくすることもなく、電話さえも使わず、自転車で行き来しているうちに、たちまち段取りができてしまう。これはさまざまな技術を持った町工場が集積し、お互いに たが  いわゆるツーカーの関係を保っていればこそである。
 そして、必要な材料や見事に加工された部分部分が寄せ集められ試作品が形をなしていく。
 私は息をのむ思いでことの成り行きを見つめていた。そして、経済大国日本の基盤きばんとなったモノづくりを根底で担った層がどこにいたのか、はっきりと見た思いがした。
 しかも、その層はいまだに健在なのである。
 時代は確かに変わる。だが、変わってはならないものもある。その一つがモノづくりではないだろうか。
 過去の歴史にモノづくりをしなかった社会、モノづくりをやめてしまった社会がある。そして、そういう社会は必ず荒廃こうはいし、衰亡すいぼうしている。社会の根底にモノづくりの基盤きばん据えす 、それを保持しているかどうかは、その社会の未来を占ううらな バロメータといえるだろう。
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 日本にはまだ、モノづくりを支える層が健在なのだ。これを時代に取り残されたなどと認識したら、大きな過ちを犯すことになる。
 経営学的視点からの批判にいたっては、見当はずれというべきだろう。企業きぎょう規模のふくらみにのみ評価の基準を置いて、成功不成功を判断することが唯一ゆいいつの物差しになっている悪癖あくへきのしからしむるものである。
 経営学的なものには最初から関心がなく欠落していたからこそ、技術の狭いせま 分野を特化して、モノづくりの基盤きばんを担うことができたということを知らなければならない。
 町工場の人びとに話を聞くと、決まって出てくるのが、モノづくりの喜びである。
 鋼材から思いどおりの曲面を削りけず 出すことができた。われながらほれぼれするような研磨けんまができた。そういう話をするときの彼らかれ の顔には、至福といっていい喜びが溢れあふ 出す。町工場の人びとを満たしているモノづくりの喜びに接するとき、私もまた幸福に感じずにはいられない。そして思うのである。モノづくりの喜びに満たされている町工場の人びとは、日本の宝だ、と。

 (月刊「知」中沢なかざわ孝夫氏の文章より)
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a 長文 8.3週 1i
 よく、教え方がよければ、子供の能力は伸びるの  、といわれる。だが、伸びるの  のはその子の持って生まれた能力に応じた学力である。ただし、先に述べたように、伸びの 方に限りがあるが……。早い話、有名受験じゅくがなぜ入塾にゅうじゅくテストを実施じっししているとお思いだろうか。素質のない子をいくら教えても、有名中学入試の高いハードルを越えこ させられないからである。
 どうして、この種の情報がきちんと示されないのか。オフレコの約束で(ほとんどの関係者がそうだった)「知能指数と学力は大いに関連がある」と認めた何人かの教育学者に、「教育改革の柱にいつも入試改革が掲げかか られるのは教育力に対する幻想げんそうがあるからだ。それを打ち砕くう くだ ためにも、その意見を公にしたほうがよい」と迫っせま たことがある。いずれの学者の答えも同工異曲だった。
 「そんなことをしたら、学界で袋叩きふくろだた にあいますよ。科学的に証明するのはかなり難しいですし」
 また、文部官僚かんりょうの多くはこういう表現をした。
 「それをいっちゃおしまいですよ」
 教育力が大きく見えたほうが都合がいい。国民が聞きたくないことをあえて声高にいう必要もないではないか、というわけだ。
 しかし、こんなことは専門家の言を待つ必要もない。われわれ自身の学校生活を振り返れふ かえ ば思い当たることである。
 それなのに、親たちは受験産業の「学習能力は伸びるの  」というかけ声に踊らおど されて、子供を遊ばせるべき時期にじゅくに通わせる。有名中には入れなくても、公立中に行けるのだから落ちてもともと、などと思うなかれ。その子の失ったものは大きい。傷ついたプライドを癒すいや のは大人でも大変な作業だ。運よく合格したとしても、その学校生活は、それまでに払っはら 犠牲ぎせいに見合うものといえるのかどうか。
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 意思決定の未熟な子供に深夜まで勉強をさせるのは壮大そうだいなるムダだ(たとえ希望校に合格したとしても)。教育で人間の素質が伸びるの  ということはあり得ない。教育には、そんな魔法まほうのような力はない。大学入学が目標なら、高校の段階で自分で判断させるのが最適だ。そのころには自分の能力も適性も漠然とばくぜん ながらわかっている。納得ずくの努力は、自立心を培うつちか 
 進学じゅく通いにはまた、次のような恐ろしおそ  さがある。それはコミュニティーのかくの一つである公立校の地盤じばん沈下ちんかの下地になっているからだ。進学じゅく通いの生徒は、学校生活において消極的な姿勢になりがちだ。大手のある進学じゅくでは公然と「学校では手を抜けぬ 」と親子に勧めすす ている。「とくに体育。運動会なんかで頑張るがんば のは、の骨頂」というわけだ。リーダーになるべき子供たちが(その親も)上の空の状態なのに、魅力みりょくある学校になんかできるわけがない。
 いま、普通ふつうの公立中学校が抱えるかか  問題は、迎え入れるむか い  母集団に素質のある子が抜けぬ ているうえ、有名中学不合格組を抱えかか ていることだ。不合格組は挫折ざせつ感を処理できず、問題行動に走る子も多い、という。生徒の母集団の力が弱まった学校をもり立てるのは容易なことではない。だから、親は子供を私立に駆り立てるか た  
 この循環じゅんかんを断ち切るのは簡単だ。親が常識を取り戻せと もど ばいい。午後十時、十一時に子供がじゅくのかばんを背負って街を歩いているのは異常だと思うささやかな常識を、だ。

 (月刊「知」石山茂利しげとし夫氏の文章より)
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a 長文 9.1週 1i
 二十年ぐらい前から、私は読書日記をつけています。それを見ますと、これまでに感銘かんめいを受けた本は、四書五経をはじめとして枚挙のいとまがありません。
 その中で一冊を挙げるとすれば、クリスチャンである私は聖書としたいところです。が、あえて推薦すいせんしたいのは、家内と私が共に感銘かんめいを受けた遠藤えんどう周作の『沈黙ちんもく』です。
 “沈黙ちんもく”といえば、キリスト教徒は、即座そくざ十字架じゅうじか上のキリストを思い出します。キリストは「何ぞ我を見捨てたもうや」と叫びさけ ますが、ついに神の救いは現れません。これを神の“沈黙ちんもく”といっています。
 実は、私は若いころからこの“沈黙ちんもく”に関して疑問を持っていました。その赤裸々せきららで根源的な疑問に人間味のある答えを出してくれたのが、遠藤えんどう周作の『沈黙ちんもく』だったのです。
 昭和四十七年に、私は住友銀行のロンドン支店に赴任ふにんしました。イギリスで、私は宗教上の悩みなや 抱えるかか  ようになったのです。英国の歴史をさかのぼ(さかのぼ)ると、宗教への疑問は増すばかりでした。
 一つは、女狂いおんなぐる で有名な国王へンリー八世です。かれは宗教上離婚りこんが認められないということで、七人のおきさきを次々と殺害して結婚けっこんを重ねたといわれています。かれのお城には、七人のおきさきのドレスが今でも物悲しく陳列ちんれつされていますが、かれはカトリック信者でありながら、なぜか罪を問われなかった。
 さらには、宗教上の対立が激しい、北アイルランド問題があります。私自身、駐在ちゅうざい中に「なんじの敵を愛せよ」といっているカトリックとプロテスタントが互いにたが  を向け合っている事実を目のあたりにしました。次第に、私の中には「神は果たして人間を救ってくれるものだろうか」という思いが頭をもたげてきたのです。そうした問題と相まって、“沈黙ちんもく”についても疑問は深まるばかりでした。そんなとき、タイトルに引かれてふと手にしたのが『沈黙ちんもく』です。読むと、まさに目からうろこが落ちる思いでした。
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 作者も主人公を通して「神は果たして存在するのか」と問いかけていました。遠藤えんどうさんは、キリスト教徒として、私と同じ問題を共有していたことを、ひしと感じたのです。
 小説は、「ローマ教会に一つの報告がもたらされた」という書き出しで始まります。鎖国さこくの日本に、三人の若いポルトガル人の司祭が日本上陸を果たした、その報告の形をとっています。
 当時の日本は、キリシタン禁制で島原の乱が鎮圧ちんあつされたばかりですから、命をかけた日本上陸でした。彼らかれ は間もなく捕らえと  られ、過酷かこく拷問ごうもんの責め苦に遭いあ 、背教を強いられるのです。
 そして踏絵ふみえに足をかけるとき、
「その(キリストの)顔は今、踏絵ふみえの木のなかで磨滅まめつ凹みへこ 哀しかな そうな眼をしてこちらを向いている。(踏むふ がいい)と哀しかな そうな眼差しは私にいった」。「主よ。あなたがいつも沈黙ちんもくしていられるのを恨んうら でいました」
「私は沈黙ちんもくしていたのではない。一緒いっしょに苦しんでいたのに」
 作者は、キリシタン禁制という信仰しんこうのけわしさの中で、キリストは踏絵ふみえ踏まふ れつつ教者をゆるしていたのだ――という一つの答えを提示することでカトリックの「普遍ふへん性」を問いかけています。私にとっての宗教とは、生きるための一つの指針であります。その思いを強くひびかせてくれたのが『沈黙ちんもく』だったのです。

 (月刊「知」伊藤いとう朝夫氏の文章より)
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a 長文 9.2週 1i
 たとえば、歴史は数多くの宗教上の殉教者じゅんきょうしゃを出している。キリスト教ではそもそもキリスト自身が殉教者じゅんきょうしゃである。そのあとに数多くの殉教者じゅんきょうしゃが続いたことは、聖書や数々の文献ぶんけんにおびただしく記録されている。
 十字軍はなぜ成立したのか。キリスト教徒であるヨーロッパ人がアラブ人が住んでいるところに攻め込みせ こ 占領せんりょうしようとしただけではないか、という見方もあるが、それだけのことではるばるアラブの地に出かけ、命を賭けか て戦う十字軍は成立しない。キリストにまつわる聖地が異教徒の手にあるのは耐えがたいた    と感じ、それをキリスト教徒の手に奪い返すうば かえ ことは命よりも価値があることだと信じる人びとがいたから、十字軍は成立したのである。
 キリスト教徒ばかりではない。仏教徒も数多く殉教じゅんきょうした。織田信長と対峙たいじして殺された一向宗門徒など、万を超えるこ  仏教徒たちが殉教じゅんきょうしている。
 これらの人びとはどうして死んでいったのか。命より重いものがある、命より尊い価値がある、と信じたからにほかならない。そう信じたからこそ、その価値に賭けか 殉じじゅん たのである。
 宗教上の殉教者じゅんきょうしゃだけではない。歴史には英雄えいゆう偉人いじんとされる人がたくさんいるが、これらの人びとの事蹟じせきをたどると、ほとんどが命以上に尊い価値があることを信じ、その価値に殉じじゅん た人びとであることに気づく。
 遠く時代をさかのぼる必要もないし、ヨーロッパやアメリカに例を引くまでもない。そういう人は私たち日本人の身近にたくさんいる。
 たとえば、明治維新めいじいしんの志士たちである。彼らかれ 維新いしん成し遂げるな と  ことが、命以上に価値のあることだと信じたのだ。だからこそ、命を的に活動し、殉じじゅん たのである。そして、維新いしん成し遂げるな と  ことに命以上の価値を信じた彼らかれ 活躍かつやくがあったからこそ、明治維新めいじいしんは成ったのである。
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 日清日の戦争もそうだった。国のために戦うことが命以上に価値のあることだと信じる日本人がたくさんいた。そして、勇敢ゆうかんに戦い、その価値に殉じじゅん た。だからこそ、日本は有色人種の国で唯一ゆいいつ、白人国家の植民地にされることを免れるまぬか  ことができたのである。
 このように見てくると、洋の東西を問わず、命より価値のあるものがあるというのはごく当たり前の普遍ふへん的な原理であり、人間はこの原理をテコにして生きてきたし、歴史を回転させてきたことがわかる。

 (月刊「知」渡部わたなべ昇一しょういち氏の文章より)
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a 長文 9.3週 1i
 知り合いの内科の医者が言うことにゃ、
「長生きの基本的な秘訣ひけつは、血液がサラサラしていることだね」
というんです。これはどういうことかというと、血液がネバネバしてくるのが短命のもとだということなんです。血液がねばってくると、高血圧、ガンなどの諸病のもとになる。だから、自分の血からねばり気をとるのが、成人病を防ぐコツだと言うのです。
「では、どうすりや、血はサラサラになるの?」
と聞くと、「くいものだよ。日常のくいものを変えるのさ」という返事です。では、どんな食物かというと
「まず、肉を止めるんだね。魚にするんだ。豆、いも、菜っ葉などのあっさりした味つけのものにする。グルメっていうやつ、あのうまいもん探しに夢中になっているのは、死に急いでいるようなもんだよ」
 なるほど、旨いうま ものに淫しいん ていると、命までも危なくなってくるんだなあ、と思い至ったわけです。
 といって、では、肉も砂糖も酒も絶対に止めて、というのもいかがなものでしょうか?
 ごく少量にするまでは良いのですが、完全に食べないというと、これも「止める」ことに淫しいん ていることにはならないでしょうか?
 こうして考えてみると、ストレスとは、どうも、何かに淫しいん 始めたあたりから発生し始めるようでもあります。
 考えてみれば、あれもほどほどに、これもほどほどに、と、すべて無事平穏へいおんばかり願って生きるのも、何か老人の知恵ちえばかりに終始していて、ちょっと面白くないような気もします。『論語』にも、「われ、七十にして、心の欲する所に従えども、のりをこえず」とありますが、孔子こうしさまといえども、こういう境地に到達とうたつしたのは七十さいで、それまでは大いにのりを越えこ 過ぎて、失敗と後悔こうかい多き人生だったのではないでしょうか?
 人間何事によらず、夢を持ち、その達成に懸命けんめいになると、しばしば、その言行が(かぶ)いてくることがあります。換言かんげんすれば、奇行きこうが多くなってくるのです。しかし、これも血の気の多い若いうちなればこそ、多少の行き過ぎもやむを得ないし、また面白味のあるところではないでしょうか。
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 ただ、ここでそのストッパーとして一言。「その行き過ぎは、はたを楽にするという一線においてとどめられなければならない」。すなわち、「はたを苦にする働きであるならば、その働きは淫しいん たものとして、改められなければならない」ということです。なぜならば、「はた苦」は、自分に近い者ばかりでなく、自分自身の幸福感をも損なってしまうからなのです。
 人生、自分のやりたいことを貫けるつらぬ  のは、たしかに素晴らしいことですが、それにしても、それは、「はた苦」を考慮こうりょした上のことでなければ、良く生きるのは難しいようです。
 昔、あるお婆さん ばあ  が面白いことわざを言ったのを覚えています。ここに紹介しょうかいしておきましょう。
「人もよかれ。我もよかれ。我は人より、ちょっとよかれ」

 (月刊「知」無能唱元氏の文章より)
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