a 長文 1.1週 he
 わたしの家では、大晦日おおみそかに二つの「除夜じょやの音」が聞こえる。一つは除夜の鐘じょや かね、もう一つは「除夜じょやの汽笛」だ。わたし横浜よこはまに住んでいて、家は高台にある。だから年末には、近所の寺から響くひび 「ゴォーン、ゴォーン」というかねの音と、港で鳴らされる「ブォーウ、ブォーウ」という汽笛の音が聞こえてくるのだ。ベランダに出て、そんな二つの音に耳を傾けるかたむ  のが、毎年わたしのひそかな楽しみである。 
 大晦日おおみそかの夜の空気は、いつもと違うちが 普段ふだんなら「うう、寒い寒い、早くこたつに入りたい」と思うだけなのだが、この日ばかりはその寒さが、身も心も引き締めひ し てくれる感じがする。長かった一年が終わろうとしていることを、実感するからかもしれない。 
 ある友達は毎年、大晦日おおみそかにはアイドルのカウントダウンコンサートに行っているらしい。しかも、お姉さんやお母さんまで一緒いっしょだというから驚きおどろ だ。そして夜遅くおそ まで開いているお店で、豪華ごうかな外食をして帰ってくるのだという。それはそれでたいへんにぎやかで、楽しそうだと思う。しかしわたしにとっては、そういう大晦日おおみそかはなんだか落ち着かない。どこかに出かけるわけでも、何かをするわけでもなく、静かに過ごしたいと思うのだ。食事だって年越しとしこ そばで満足である。 
 これも聞いた話だが、大晦日おおみそかにそばを食べるのは「細く長く」生きていけるように、つまり来年も「大きな波乱はらんなく、平穏へいおん暮らせく  ますように」という意味があるのだという。母の手作りのそばをすすっていると、わたしもまさにそんな気分になる。
 どのように過ごすかは、人それぞれだ。しかし人間にとって、大晦日おおみそかが特別な日であることに違いちが はない。友達は「大晦日おおみそかぐらい、時間を忘れわす 大騒ぎおおさわ したい」と言っていた。わたしは逆に、「大晦日おおみそかぐらい、時間が過ぎるのを大切に感じたい」と考えている。そうやって、新年を迎えるむか  心の準備ができるのは、大晦日おおみそかという一日だけではないだろうか。「待てば海路の日和あり」というが、
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歳月さいげつ人を待たず」ともいう。楽しいお正月がやってくるが、のんびりしてばかりはいられない。 
 一年が過ぎ去ろうとする、大晦日おおみそかの夜。除夜じょやの汽笛を耳にするたび、わたし背中せなか押さお れるような、前向きな気持ちになる。勇気を持って、新しい一年へと「出航」していこう。

(言葉の森長文作成委員会 ι)
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a 長文 1.2週 he
 テレビが普及ふきゅうして、映画えいがを見る人が少なくなったというのはほんとうです。「視聴覚しちょうかく文化」が盛大せいだいにおもむき、本を読む人が少なくなるだろう、というのは、どうもほんとうらしくありません――ということは、およそ常識からも察せられるでしょう。
 娯楽ごらくとしてのテレビと映画えいがとはたいへんよく似ています。見るほうが受け身で、すわっていれば画面のほうがこちらを適当に料理してくれます。それほど似ているから、どちらか一方でたくさんだという考えのおこるのもむしろ当然のことでしょう。ところが本を読むのにはいくらか読む側に努力がいります。また読む速さをこちらが加減することもできるし、つまらぬところを省くこともできる。おもしろいところを二度読むこともできるし、むかしの人の言ったようにしばらくかんをおいて長嘆息ちょうたんそくすることもできます。そういう本をよみながらできることは、映画えいがやテレビを見物しながらは、どうしてもできません。要するに本を読むときのほうが、読む側の自由が大きい、自分の意志や努力で決めることのできる範囲はんいが広い、つまり態度が積極的だということになるでしょう。
 「今日は疲れつか たから、映画えいがでも見ようか」とはいいますが、「疲れつか たから本でも読もうか」という人があまりいないのはそのためであり、そもそも読書法ということは成りたっても、映画えいが・テレビ見物法ということが意味をなさないのもそのためです。一方は受け身のたのしみ、他方は積極的なたのしみで、受け身のたのしみが増えるということは、かならずしも積極的なたのしみを求めなくなるということではありません。娯楽ごらくの性質がまったく違うちが から、いわゆる視聴覚しちょうかく「文化」または「娯楽ごらく」は、読書のたのしみを妨げるさまた  ものではないでしょう。
 しかしテレビには娯楽ごらく番組のほかに、いくらか知的好奇こうき心を刺激しげきする番組もあります。たとえば憲法けんぽうについての座談ざだん会とか、ダム建設工事現場の写真とかいったものが「憲法けんぽう」や「ダム建設」に対する好奇こうき心を刺激しげきします。しかし、その好奇こうき心を十分に満足させるようなまとまった知識を与えあた てくれることは、ほとんどありません。そこで「憲法けんぽう」に関しまた「ダム建設」に関して、まとまった知識を読書によって得ようという欲求よっきゅうがおこっても、ふしぎではない。
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そうなればテレビは、読書を妨げさまた ないばかりでなく、むしろ助長するようにはたらくということになりましょう。少なくともそういう一面がありうると思います。
 新しい絵はわからないという人がよくあります。新しい絵というのは、抽象ちゅうしょう絵画のことでしょう。よくわからないというのは、その絵が本来、魚を描いえが たものか、女性を描いえが たものかわからないという意味でしょう。それならば、新しい絵はわかる必要のないものです。(中略)しかし、本を読むということになると、これはどうしてもわからなければ無意味です。魚のことを言っているのか、女性のことを言っているのかわからなくてはどうにもなりません。少なくとも、ある種の美術はわかる必要のないものです。音楽は絵と同じ意味ではなにものも表現していないので、そもそもわかるはずがない。読書だけが絵を見ることや音楽を聴くき ことと違うちが のです。すべての本は言葉からできあがっていて、すべての言葉はなにかを意味します。その意味をとらえて、意味相互そうごのあいだの関係を理解することが、本を読む法、つまり本をよくわかることでしょう。読むこととわかることとは切り離せき はな ません。
 しかし、世の中にはむずかしい本があります。どうすればたくさんの本を読んで、いつもそれをわかることができるようになるでしょうか。その方法は簡単かんたんです。しかし、おそらく読書においてもっとも大切なことの一つです。すなわち、自分のわからない本はいっさい読まないということ、そうすれば、絶えず本を読みながら、どの本もよくわかることができます。少しページをめくってみてあるいは少し読みかけてみて、考えてもわかりそうもない本は読まないことにするのが賢明けんめいでしょう。一さつの本がわからないということ、ただそれだけでは、あなたが悪いということにもならず、またその本が悪いということにもならない。これはよく心得ておくべきことで、そのことさえ十分に心得ていれば無用の努力、無用の虚栄きょえい心、または無用の劣等れっとう感をはぶき、時間のむだをはぶくことができるでしょう。だれにもわかりにくい本というのがあります。わたしにはわかりにくいけれども、ほかの人にはわかりやすい本というのがあります。また最後に、だれにもわかりやすい本というものがあるでしょう。
 (加藤かとう周一「読書術」より)
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a 長文 1.3週 he
 まさかソフィーは、世界をわかりきったものだと思っている人の仲間ではないよね? これはわたしにとって切実な問題なのです、親愛なるソフィー。だから念のため、想像のなかで二つ、体験をしてみましょう。
 さあ、想像してみて。ソフィーは森を散歩しています。突然とつぜん、行く手に小さな宇宙船うちゅうせんを見つけます。宇宙船うちゅうせんの上には一人の小さな火星人がよじ登ってソフィーをじっと見おろしている……。
 さあ、そんな時、ソフィーなら何を考えるだろう? まあ、それはどうでもいいとして。でも、自分を星人みたいに感じたことはない?
 ほかの惑星わくせいの生物にでくわすなんて、そんなにありそうなことではない。ほかの惑星わくせいに生命が存在そんざいするかどうかもわからないし。けれども、ソフィーがソフィー自身にでくわす、ということはあるかもしれない。ある晴れた日、ソフィーがソフィー自身をまったく新しく体験してはっとする、ということは。ちょうど森を散歩している時なんかにね。
 わたしっておかしなもの、とソフィーは考える。わたしはなぞめいた生き物、と……。
 ソフィーはまるで何年もつづいたいばらひめ眠りねむ から目覚めたように感じる。わたしはだれ? ソフィーはたずねる。ソフィーは自分が宇宙うちゅうのある惑星わくせいの上をごそごそ動きまわっているということは知っている。でも宇宙うちゅうとはなんだろう? なんであるのだろう? 
 もしもソフィーがこんな自分に気がついたなら、ソフィーは自分自身をさっきの火星人と同じくらいなぞめいたものとして発見したことになるのです。いえ、宇宙うちゅうからやってきたものを見てびっくりするほうが、まだましなくらいだ。ソフィーはソフィー自身をとびきりおかしなものとして、とっくりと深く感じるのです。
 わたしの話についてきている? ソフィー。もう一つ想像の体験をしますよ。
 ある朝、パパとママと小さなトーマスが、そう、二つか三つの男の子です、キッチンで朝食を食べている。ママが立ちあがり、流し台のほうに行く、するとそう、突然とつぜんパパが天井てんじょう近くまでふわっと浮かびう  あがる。
 トーマスはなんて言ったと思う? たぶんパパを指さして、「パ
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パが飛んでる!」と言うでしょう。
 もちろんトーマスはびっくりだけど、どうせトーマスはいつもびっくりしています。パパはいろいろおかしなことをするから、ちょっとばかり朝食のテーブルの上を飛ぶなんて、トーマスの目にはべつにたいしたことには映らうつ ない。パパは毎日へんてこな機械でひげをそるし、しょっちゅう屋根に登って、テレビのアンテナをあちこちひん曲げる。かと思うと、自動車に首をつっこんで、カラスみたいにまっ黒になって出てくる。
 さて、こんどはママの番です。ママはトーマスの声に、何気なくふり返る。ソフィーは、キッチンのテーブルの上を飛びまわるパパを見て、ママがどう反応すると思う?
 ママの手からジャムのガラスビンが落ち、ママはびっくり仰天ぎょうてんしてけたたましく叫びさけ ます。パパがいすに戻っもど たあと、ひょっとしたらママは医者にてもらわなければならないかもしれない。(パパがテーブルマナーを守らなかったばっかりに、とんだ大騒ぎおおさわ だ。)
 どうしてトーマスとママの反応はこんなにちがうのかな? ソフィーはどう思う?
 これは「習慣」の問題です。(このことば、メモして!)ママは人間は飛べないということをとっくに学んでいる。トーマスは学んでいない。トーマスはまだ、この世界では何がありで何がありではないか、よく知らない。
 でもソフィー、この世界そのものは、どうなっているんだったっけ? こんな世界はありかな? 世界もパパのように宇宙うちゅう空間にふわふわと漂っただよ ているんじゃなかったっけ……。
 悲しいことに、わたしたちはおとなになるにつれ、重力の法則になれっこになるだけではない。世界そのものになれっこになってしまうのです。
 わたしたちは子どものうちに、この世界に驚くおどろ 能力を失ってしまうらしい。それによって、わたしたちは大切な何かを失う。
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a 長文 1.4週 he
 十年ほど前、ボルドーの近くを走っていて、くるまの接触せっしょく事故をおこしたことがある。人身には何の影響えいきょうもなかったし、こちらの日本製の車体がへこんだくらいで、何と日本のくるまは弱いんだといまいましいくらいのものであったが、――それにこちらにも言い分があり、相手にも幾分いくぶんの非があったのだが――。
 それでも口をついて出たのは「すみません」ということばであった。相手は朴訥ぼくとつな農民夫婦で「はじめてパリへ行って無事故で帰ってきたのに……」と愚痴ぐちをさんざん並べなら ていた。
 しばらくして「しまった」と思った。「すみません」とは、あやまり文句である。こちらがあやまってしまえばもうそれでおしまい。非はすべて当方がかぶらねばならない。
 そのことは、フランスへ来て、くどく言われていたのだ。問題をおこしたら、ぜったいにあやまってはいけない。こちらの責任がいくら明白なときでも、まず「なんじとがガアル」(?ous avez tort.)と言うべきである。そうでないと、賠償ばいしょう責任はすべてこちらが負わねばならぬ。「すみません」とは口が裂けさ ても(――はちと大げさだが)言ってはならぬ。自動車保険の契約けいやくの注意書にさえ「事故のときにあやまってはならぬ」と書いてある。にもかかわらず、日本人であるわたしはつい「すみません」と言ってしまった。習慣はおそろしいものである。
 リリアーヌ・エルという女性は「あやまるということ」(『うしお』昭和五十三年四月号)というエッセイの中で、日仏比較ひかく文化のおもしろい観点を出している。日本人は簡単かんたんにあやまる。フランス人はなかなかあやまらない。どうしてか、という問題である。彼女かのじょの引いている例は、仲間を裏切っうらぎ たやくざが、のちに仲間にリンチを受けるというテレビドラマの場面である。彼女かのじょは同じ状況じょうきょう描いえが たドラマを日本とフランスで見た。状況じょうきょうと結果はまったく同じである。どちらも、見下げたやつとして仲間にまれ、ゆるされる。ところが、その過程の、みを乞うこ 文句がちがう。日本だと「悪かった! 許してくれ」と言い、フランスだと「おれが悪いんじゃない! 殺さないでくれ」と言う。まるで正反対である。
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 ここでわたしが言いたいのは、フランスでの「自分が悪かった」ということばの重みである。神の前で自己じこの全人格を否認ひにんするということ、それが自分の悪をみとめるということである。これは勇気ある行為こういである。もし、やくざがそんな勇気ある行為こういを示せば、人はかれ尊敬そんけいし、そして簡単かんたんに殺してしまうだろう。みを乞うこ たことにはならないのだ。みを乞うこ 場合は、状況じょうきょうが悪かったとくどくどと弁解しなければならないのだ。
 日本ではちょうど逆である。弁解すれば、みはかけてもらえぬ。弁解は理屈りくつであり、理屈りくつ卑怯ひきょうである。ただ一言、悪かったとあやまる。この頭を下げるというのが、日本社会でゆるしのえられる唯一ゆいいつ行為こういである。
 「悪かった」と言っても、日本では勇気ある行為こういとはいえない。みんな、いつでも「悪かった」とあやまる。つまり社会的定型である。人は、定型によってみを求め、定型によってみを与えるあた  。物を言っているのは、文化の型である。
(中略)
 絶対の罪というものはない。しかし、おたがいに小さな悪、小さな迷惑めいわくをかけあっている。それは無意識の領域りょういきにちらばっているので、いちいちとりたてては言えないくらいである。だから、たえず「すみません」と言う。「すみませんで済むす か」と言われればその通り、といった重大な場面では、「ではどうすれば済むす のですか、あなたの気持ちの済むす ようになさってください」という「すみません」の語源ごげん迫るせま ような科白せりふも出てくる。もっとも「どうすれば済むす のか」という反問じたい、あやまる文化の型にそむいている。これは日本では反抗はんこうであり皮肉である。
 というわけで、もっぱらわたしたちはこしを低くしている。日本文化の型になじんだ外国人のなかには、こしを――というよりをかがめて愛想笑いをふりまく人もいる。いつだったか、約束をたがえた外国人がおり、その人物、次にわたしに会ったとき、かれは「日本ふう」にを海老のようにまげ、謝罪したものである。その極端きょくたん姿勢しせい
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長文 1.4週 heのつづき
におどろいた。わたしたちは、外国人という鏡に映っうつ た自分たちの文化の姿すがたにおどろくのである。

 エルさんはフランス人の論理ろんり好きには、二つの種類があるという。客観的、普遍ふへん的な論理ろんりと、もう一つは、自分の立場をあくまで正当化しようとする論理ろんりへきと、である。後者の、いわばフランス人のくせのようなものが前者を形づくり、前者が逆に、後者のくせを助長するということがあるのだろう。
 とりあえずあやまるという日本文化には、人と人とのつながりをなめらかにするという普遍ふへん知恵ちえに通じるものがある。同時に、何でも「すみません」で通そうとするあつかましさもある。済むす とか済ます ないとか――そんなことを意識しないで、ともかく「すみません」と言っている。感謝でも謝罪でもない。「すみません」というのは、あやまる文化の型をつたえることばである。同時に、安直なことばでもある。後者はむしろ、伝統をなしくずしにする面がある。
 ひとつのことばをめぐって、伝統と、それをなしくずしにしようという力と、その双方そうほうがせめぎあっているようである。
 ことばはむずかしいものである。ことばの解釈かいしゃくもむずかしいものである。外国人は、あやまる文化に卑屈ひくつさを見いだして感心したりするが、事は(少なくとも今は)それほど簡単かんたんではないように思われる。

(多田道太郎みちたろう『日本語の作法』)
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a 長文 2.1週 he
 ぼくは、手の中にある小さなカードをにらみつけた。そこにはぼくの名前と、「受験番号008」という文字が印刷してある。そう、これは受験票なのだ。といっても、学校で開かれる「受験面接体験会」に使う、練習用のものである。 
 いよいよ中学受験が迫っせま ている。勉強はしっかりしてきたつもりだが、面接を受けるのは初めての経験だ。だから練習とはいえ、準備は入念にした。「尊敬そんけいしている人はだれですか」と聞かれたら「父です」、「日課はありますか」と言われたら「自習として読書と暗唱を続けています」と答えるように決めていた。 
 体験会の当日。廊下ろうかにたくさんの椅子いすが置かれ、顔をこわばらせた同級生たちがずらりと並んなら 座っすわ ている。一人一人、部屋に呼び込まよ こ れていき、自分の番が目に見えて近づいてくる。いつも見慣れているはずの教室への入り口が、別世界へのとびらか、大きく開いた怪物かいぶつの口のように思えてきた。 
 そして、ぼくの番が来た。返事をして、教室の入り口で一礼。「どうぞ」と言われるまで待ってから、静かに椅子いすこしを下ろし、受験票を提出する……ここまではイメージ通りだ。目の前に面接官役として、三人の先生が座っすわ ている。どんな難しいむずか  質問をされるのか……と身構えていたら、真ん中の先生が困っこま たように笑って、こう言った。 
「これは、逆だねえ。」 
ハッとしてつくえの上を見ると、「受験番号008」の文字が、ぼくの方を向いている。受験票は当然、それを見る面接官に向けて出すべきものだ。ぼく緊張きんちょうのあまり、まるで漫画まんがのようなミスをしてしまったのだった。 
 自分のしでかしたことが自分で信じられず、一気に顔が赤くなる。面接でのやりとりは、今でも「逆だねえ」以外には何も覚えていない。結局、あまりにも分かりやすい失敗だったせいか、とくに注意されることはなかった。とても恥ずかしいは    思いをしてしまったが、それだけに、本番で同じ間違いまちが をすることは決してないだろ
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う。緊張きんちょうしそうになったら「とりあえず、受験票を逆に出すなよ」と過去の自分に言い聞かせて、リラックスするつもりだ。 
 人間にとって、身が縮むちぢ ような緊張きんちょうの体験も、たまには必要だ。そうすることで自分と向き合い、思わぬ発見ができるかもしれないからだ。
「初心るべからず」。 
 この時の緊張きんちょう忘れるわす  ことなく、些細ささいな失敗は笑い話にしてしまえるように、本番では良い結果を残したい。ぼくは練習用の受験票を、つくえの引き出しにそっとしまい込んこ だ。

(言葉の森長文作成委員会 ι)
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a 長文 2.2週 he
 わたしの家は自動車がやっと通れるぐらいの路地に面している。三年前まではその路地は、さまざまな人や動物の散歩道として利用されていた。都内にはめずらしくほそうされていず、道ばたには草が生えていた。となり近所には古い家が多くて、敷地しきちからはみ出した樹木じゅもく茂みしげ が路上に日かげをつくった。
 それだけの道である。長さにして一〇〇メートル、石段いしだんを経て下の大きな道に出る。買物に行く主婦も、下のバス停に行く人も、ちょっと回り道をしてこの道を通っていった。毎朝定刻ていこくにつえをついてくるおじいさん、犬を連れたおくさんも通った。犬は大喜びで所々で地面に鼻をつけ、最後に足をあげて自分である印を残していった。ネコも走りぬけた。一度だけだがへびもはいだしてきた。わたしむすめたちは大学生になった今もなつかしげにこの道のことを話すが、実際近所の子供こどもたちのたまり場でもあった。
 何が彼らかれ をこの路地に引きつけたのだろう。女の子や小さい男の子が草の葉を引っぱっているのをわたしはよく見かけた。彼らかれ はこの路地で地球のかけらを発見していたのではなかったろうか。犬たちが鼻でその存在そんざいを確かめたように。
 わたし自身もコンクリートにはあきあきしていて、道ばたに草が生えている風景を心ひそかに楽しんでいた。ある秋、黄褐色かっしょく熟しじゅく たエノコログサをながめていると、となりの家のおばあちゃんが近づいてきた。片手かたてに花ばさみを持っている。おばあちゃんは昔は踊りおど の名手だったそうだから、背筋せすじがピンと伸びの ている。
「こんにちは。いいお天気ですね」
「ちょっとネコジャラシをいただきますよ。お花の材料に。それにしてもこんな所に生えてくるなんてねえ」
とおばあちゃんは感心している。
にさわってごらんなさいよ。気持ちのいいこと」
「でも近ごろの子供こどもはこれでネコと遊ぶなんて知らないみたい」
 わたしはすっかりとなりの家のおばあちゃんに仲間意識を持った。
 しかしほどなく人間とは矛盾むじゅんした生き物であることが証明される
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できごとが起こった。よくわたしの家の前にスミレがさいた。明るい赤むらさきの花は日を浴びるととりわけあざやかで、わたしはふまないように注意して出入りした。花が散ると葉が大きく伸びの てよく目だった。来年はもっとふえるだろう、とわたしは楽しみにしていた。ところがある日外出から帰ってくるとスミレがない! そういえば出がけにおばあちゃんがほうきとちりとりを持って立っていたので、あいさつを交わしたのだった。清潔好きのおばあちゃんは、自宅じたくの前からわたしの家にかけてていねいに草むしりをしてくださったのである。
 数年たって路地全体に異変いへんが起きた。下水道工事が始まって地面がほりかえされ、車の震動しんどうで下水管がこわれぬようにしっかりとほそうされてしまったのだ。ネコジャラシにスギナ、スミレもタチイヌノフグリもそれ以来路地から姿すがたを消してしまった。道は車向きの道路になり、地球のかけらではなくなってしまった。
 町中の雑草に対する人間の態度は時と場所によってさまざまである。ハイキングに行けば「緑がいっぱいで気持ちいいわねえ」と喜ぶ人も、自分の庭に出てきた雑草は血眼で引き抜いひ ぬ てしまう。
 「雑草のようにたくましい」「雑草のように生命力が強い」という表現がほめ言葉としてよく使われる。でも、「雑草のようにかわいい」とはぜったいに使われない。「あなたは雑草の花のようですね」などと言おうものなら、九九パーセント相手をまちがいなく怒らおこ せるにちがいない。言い方にもよるけれど、わたしなら残りの一パーセントの部類に入る。
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a 長文 2.3週 he
 ヨーロッパにおけるリンゴの栽培さいばいは『創世そうせい記』までさかのぼり、四千年を越えるこ  歴史をもっています。なえ木を導入して明治から始まった日本のそれは、ようやく百年を越えこ たばかりです。ウィリアム・テルが息子の頭上のリンゴを矢でぬいたときも、ニュートンがリンゴの落ちるのを見たときも、グリム兄弟が、「白雪姫しらゆきひめ」に毒リンゴを食べさせたときも、日本人はだれもこの果物を知りませんでした。
 こうした歴史の違いちが は、東西のリンゴのありように大きな差をもたらしました。欧米おうべいのリンゴは大衆たいしゅうの中で育ち、生食用、加工用、料理用と多彩たさい用途ようとに分かれ、小玉でも外観が悪くても、味がよければよしとするポリシーで今日に至っいた ています。それに対し、日本の場合は、病気見舞いみま のぜいたく品として出発し、生食用一本で、ひたすら外観重視じゅうしの「高級化」の道を歩いてきました。こうした流れは、リンゴが十分大衆たいしゅう化した今日まで、変わることなく続いています。
 外国を旅すると一目瞭然いちもくりょうぜんですが、今日、日本のリンゴほど見栄えのするリンゴは世界のどこにもありません。また、そうした外観への極度のこだわりは、リンゴだけではなく、日本の果樹かじゅ生産の一般いっぱん風潮ふうちょうにすらなっています。料理を目でも食べることが身についている日本人にとって、より美しい果物を食べたいというのは国民性といえるかもしれません。とくに、輸入自由化をひかえた今、国産果実の美観は日本の果樹かじゅ産業を外国の果樹かじゅ産業から防衛するための大きなセールスポイントになることでしょう。また、すべての食べ物は、見た目に汚いきたな よりはきれいな方が精神衛生にいいことも否定ひていできません。
 ただ、本末転倒ほんまつてんとうなのは、しばしば味よりも「見てくれ」の方が、「高品質化」の上位に座っすわ ていることです。外国から物や技術を導入してそれを独自に改変し、付加価値かちをつけて発展はってんさせるのは、いわば日本の「お家芸」で、貿易摩擦まさつの要因にもなっています。果
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実もその例外ではありません。
 昭和五十六年(一九八一年)の夏、カナダから数人の昆虫こんちゅう学者が来日して、盛岡もりおかで「リンゴ害虫の総合防衛」についてのシンポジウムが開催かいさいされました。これは日本とカナダの二国間科学技術協定に基づいて行ったものです。シンポジウムのあと、同伴どうはんの夫人たちともども、折から紅葉こうよう真っ盛りま さか の十和田湖を経由して、青森のリンゴ栽培さいばい地を視察しさつしてもらいました。夫人たちがびっくりしたのは紅葉こうようで、「これほど美しい紅葉こうようは生まれて初めて見た」と歓声かんせいしきりでした。冬になるといきなり葉が枯れか て色気もなく落葉してしまうカナダから来て、日本でも指折りの十和田の紅葉こうようを、それも最高の時期に見たのですから、あながちお世辞ではないようです。しかし、夫人たち以上に学者たちがびっくりしたのは、日本のリンゴ栽培さいばいのやり方でした。リンゴ園の地面を銀色のビニールで覆いおお 、反射光しゃこうでリンゴのしりを着色させたり、リンゴをひとつずつ手で一八〇度回してまんべんなく日に当てて着色させる技術は、欧米おうべいにはまったくないものです。
 日本では、いろいろな果物を紙袋かみぶくろ覆っおお て育てます。この労力を要する技術は・多雨・多湿たしつの風土の中で、病害虫の被害ひがい防止のために生み出されました。リンゴの場合も「ふくろかけ」は、幼虫ようちゅうが果実に深くあなを開けて致命ちめい的な害を与えるあた  シンクイムシ類の被害ひがい防止が目的でした。しかし、化学農薬が発達し、別の防除ぼうじょ技術が確立された現在でも、ふくろかけは根強く残っています。果実の葉緑素の形成を抑えおさ ふくろをはずした後の果実を鮮やかあざ  に着色させるためです。その代わり、糖度とうどは下がり、味は確実に落ちます。このような特異とくいな国産技術は、多かれ少なかれほとんどあらゆる果樹かじゅで見られますが、特にリンゴで目立ちます。
 これらのキメ細かな技術は、リンゴをおいしくするためでなく、ひたすら美しく色づかせる目的で開発されてきました。人工着色などは、ふつうなら人気品種をうまく作れない土地でも美しく色づか
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長文 2.3週 heのつづき
せるために編み出された苦しまぎれの技術で、確かに購買こうばい意欲いよくをそそるような見事に美しいリンゴが生まれます。もちろん味はがた落ちで、作っている生産者自身が食べないようなこんなリンゴを、消費者が何度もだまされて買うとはとても思えません。
 さすがにこうした味を悪くする技術は県の指導もあってすたれる傾向けいこうにありますが、一体この日本特有の現象はだれが悪いのでしょうか。美しくなければ買わない消費者が悪い、外観重視じゅうし値段ねだんをたたく流通機構に問題がある、まずくなるのを承知でやっている生産者が悪い……意見はさまざまでしょうが、はっきりしているのは、この奇妙きみょうな日本人の美意識には、いささかの軌道きどう修正の必要があることです。
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a 長文 2.4週 he
 保吉やすきちの海を知ったのは五さいか六さいころである。もっとも海とはいうものの、万里の大洋を知ったのではない。ただ大森の海岸に狭苦しいせまくる  東京湾とうきょうわんを知ったのである。しかし狭苦しいせまくる  東京湾とうきょうわんも当時の保吉やすきちには驚異きょういだった。奈良なら朝の歌人は海に寄せるこいを「大船の香取かとりの海にいかりおろしいかなる人かもの思わざらん」と歌った。保吉やすきちはもちろんこいも知らず、万葉集の歌などというものはなおさら一つも知らなかった。が、日の光に煙っけむ た海の何かみょうにもの悲しい神秘しんぴを感じさせたのは事実である。かれは海へ張り出したよしすだれ張りの茶屋の手すりにいつまでも海を眺めなが つづけた。海は白じろとかがやいたかけ船を何そう浮かべう  ている。長いけむりを空へ引いた二本のマストの汽船も浮かべう  ている。つばさの長い一群のかもめはちょうどねこのように啼きな かわしながら、海面を斜めなな に飛んで行った。あの船やかもめはどこから来、どこへ行ってしまうのであろう? 海はただ幾重いくえかの海苔のり粗朶そだの向こうに青あおと煙っけむ ているばかりである。……
 けれども海の不可思議をいっそう鮮やかあざ  に感じたのははだかになった父や叔父おじと遠浅のなぎさへ下りた時である。保吉やすきちは初めすなの上へ静かに寄せてくるさざ波をおそれた。が、それは父や叔父おじと海の中へはいりかけたほんの二、三分の感情だった。その後のかれはさざ波はもちろん、あらゆる海の幸を享楽きょうらくした。茶屋の手すりに眺めなが ていた海はどこか見知らぬ顔のように、珍しいめずら  と同時に無気味だった。しかし干潟ひがたに立って見る海は大きい玩具おもちゃ箱と同じことである。玩具おもちゃ箱! かれは実際神のように海という世界を玩具おもちゃにした。かにや寄生貝は眩いまばゆ 干潟ひがたを右往左往に歩いている。なみは今かれの前へ一ふさの海草を運んできた。あの喇叭らっぱに似ているのもやはり法螺貝ほらがいというのであろうか? このすなの中に隠れかく ているのは浅蜊あさりという貝に違いちが ない。……
 保吉やすきち享楽きょうらく壮大そうだいだった。けれどもこういう享楽きょうらくの中にも多少
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寂しさび さのなかったわけではない。かれ従来じゅうらい海の色を青いものと信じていた。両国の「大平」に売っている月耕や年方の錦絵にしきえをはじめ、当時流行の石版画の海はいずれも同じようにまっ青だった。殊にこと 縁日えんにちの「からくり」の見せる黄海の海戦の光景などは黄海というのにも関わらず、毒々しいほど青いなみに白いなみがしらを躍らおど せていた。しかし目前の海の色はなるほど目前の海の色もおきだけは青あおと煙っけむ ている。が、なぎさに近い海は少しも青い色を帯びていない。正にぬかるみのたまり水と選ぶところのないどろ色をしている。いや、ぬかるみのたまり水よりもいっそう鮮やかあざ  代赭色たいしゃいろをしている。かれはこの代赭色たいしゃいろの海に予期を裏切らうらぎ れた寂しさび さを感じた。しかしまた同時に勇敢ゆうかんにも残酷ざんこくな現実を承認しょうにんした。海を青いと考えるのはおきだけ見た大人の誤りあやま である。これはだれでもかれのように海水浴をしさえすれば、異存いぞんのない真理に違いちが ない。海は実は代赭色たいしゃいろをしている。バケツのさびに似た代赭色たいしゃいろをしている。
 三十年前の保吉やすきちの態度は三十年後の保吉やすきちにもそのまま当て嵌あ はままる態度である。代赭色たいしゃいろの海を承認しょうにんするのは一刻いっこくも早いのに越しこ たことはない。かつまたこの代赭色たいしゃいろの海を青い海に変えようとするのは所詮しょせん徒労にるだけである。それよりも代赭色たいしゃいろの海のなぎさに美しい貝を発見しよう。海もそのうちにはおきのように一面に青あおとなるかも知れない。が、将来しょうらい憧れるあこが  よりもむしろ現在に安住しよう。保吉やすきちは預言者的精神に富んだ二、三の友人を尊敬そんけいしながら、しかもなお心の一番底にはあいかわらずひとりこう思っている。
 大森の海から帰った後、母はどこかへ行った帰りに「日本昔はなし」の中にある「浦島うらしま太郎たろう」を買ってきてくれた。こういうお伽噺 とぎばなしを読んで貰うもら ことの楽しみだったのはもちろんである。が、かれはその外にももう一つ楽しみを持ち合わせていた。それはあり合わせの水絵の具に一々挿絵さしえ彩るいろど ことだった。かれはこの「浦島うらしま
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長文 2.4週 heのつづき
太郎たろう」にもさっそく彩色さいしきを加えることにした。「浦島うらしま太郎たろう」は一さつの中に十ばかりの挿絵さしえ含んふく でいる。かれはまず浦島うらしま太郎たろう籠宮りゅうぐうを去るの図を彩りいろど はじめた。(りゅう宮は緑の屋根(がわらに赤い柱のある宮殿きゅうでんである。乙姫おとひめかれはちょっと考えた後、乙姫おとひめもやはり衣裳いしょうだけは一面に赤い色を塗るぬ ことにした。浦島うらしま太郎たろうは考えずとも好い。漁夫の着物は濃いこ 藍色あいいろ腰蓑こしみの薄いうす 黄色である。ただ細い釣り竿つ ざおにずっと黄色をなするのは存外ぞんがいかれにはむずかしかった。みのかめも毛だけを緑に塗るぬ のはなかなかなまやさしい仕事ではない。最後に海は代赭色たいしゃいろである。バケツのさびに似た代赭色たいしゃいろである。保吉やすきちはこういう色彩しきさいの調和に芸術家らしい満足を感じた。殊にこと 乙姫おとひめ浦島うらしま太郎たろうの顔へうす赤い色を加えたのは頗るすこぶ 生動のおもむきでも伝えたもののように信じていた。
 保吉やすきちはそうそう母のところへかれの作品を見せに行った。何か縫いぬ ものをしていた母は老眼鏡の額越しご 挿絵さしえ彩色さいしきへ目を移した。かれは当然母の口から褒めほ 言葉の出るのを予期していた。しかし母はこの彩色さいしきにもかれほど感心しないらしかった。
「海の色はおかしいねえ。なぜ青い色に塗らぬ なかったの?」
「だって海はこういう色なんだもの。」
代赭色たいしゃいろの海なんぞあるものかね。」
「大森の海は代赭色たいしゃいろじゃないの?」
「大森の海だってまっ青だあね。」
「ううん、ちょうどこんな色をしていた。」
 母はかれの強情さ加減に驚嘆きょうたんを交えた微笑びしょう洩らしも  た。が、どんなに説明しても、いや、癇癪かんしゃくを起こしてかれの「浦島うらしま太郎たろう」を引き裂いひ さ た後でさえ、この疑ううたが 余地のない代赭色たいしゃいろの海だけは信じなかった。……

芥川あくたがわ龍之介りゅうのすけ「少年」)
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a 長文 3.1週 he
 ぼくの目の前に、テストの問題用紙が山積みされている。教室にはだれもおらず、ぼく一人。とても静かな、居残り勉強の時間である。いつもなら頭を抱えるかか  か、逃げ出しに だ てしまいたくなるところだ。しかし、この時のぼくはやる気に満ちていた。なぜなら、今まで休ませてもらったぶん、ここでがんばろうと決意していたからだ。 
 ぼくはつい昨日まで、北海道にいた。三日間、旅行へ行っていたのだ。両親が計画したこの旅行は、学校のテスト期間とぶつかってしまっていた。卒業と進学を控えひか たこの時に、テストを休んで遊びに行くなんて言ったら、怒らおこ れるんじゃないか……とぼくは思っていた。けれども担任たんにんの先生は、 
「学校の勉強より、旅行の方がずっと良い経験になります。ぜひ行ってきてください。」
と言ってくれた。ぼくはとても感動した。だからこそ、旅行から帰った後、テストをまとめて受けることになっても、いやだなんて感じなかったのだ。 
 この旅行は本当に楽しく、新鮮しんせんなことばかりだった。飛行機に乗るのは初めてで、はじめは不安もあった。墜落ついらくしたらどうしよう、という心配はもちろん、それ以上に、海外旅行の経験がある友達から「暗いし、混んでいるし、とても窮屈きゅうくつだった」と聞いていたからだ。 
 だが、僕たちぼく  の乗った飛行機はビックリするくらい空いていた。時季を外れていたからで、両親の計画のうちだったらしい。ばたばたと座席ざせきを移動して、色々な方向から雲の下の景色を楽しむことができた。昔、母が滑りすべ に行ったという蔵王ざおうのスキー場も見えた。国内の移動だから、二時間も乗っていられないのが、残念だったくらいだ。
 北海道では、最初に摩周湖ましゅうこを見た。雪ときりで一面が真っ白、それは綺麗きれいだったのだが、積もった雪が太陽の光を照り返して、すごくまぶしかったことの方が忘れわす られない。そこで撮っと た写真では、
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ぼくは目を細めて、まるでとても機嫌きげんが悪いかのような表情をしている。
 他にも、アイヌ族の村を見たり、凍っこお た湖の上を歩いたり、スノーモービルに乗ったりした。どれも、先生の言っていたとおり、同じ冬でも東京にいたのでは決してできない経験ばかりだった。 
 気がつけば、ぼくはいつも以上にサッサッと問題を解いていた。一番苦手な、算数のテストも片付いかたづ た。人間は、楽しい思い出があるからこそ、やらなければならない辛いつら 勉強にも取り組むことができるのだろう。あと、つくえの上に残っているのは、数まいの作文用紙だけ。最後は、「この冬の思い出」という課題の作文テストだ。書くことはもう決まっている。「鉄は熱いうちに打て」という。思い出を文章に残すのも、きっと早い方がいいに違いちが ない。ぼくは笑顔でペンを握りにぎ 直した。

(言葉の森長文作成委員会 ι)
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a 長文 3.2週 he
 端的たんてきにいって、わたしたちは、お話を文学――文学のうちでも、文字によらず、声によって伝達される文学――と考えています。口承文学ということばもありますが、そういうかたいことばをさけるとすれば、文学作品を、語り手が、おもに声によって表現し、それを聞き手ともども楽しむことだといってもよいでしょう。ですから、たとえば交差点の正しい渡りわた 方を教えるためのお話、あるいは、幼稚園ようちえんなどでよくやるような、集団生活のルールを教えたり、衛生上のしつけをするために聞かせるお話など、何かを教える方便としてのお話は、ここでは一応のぞいて考えます。母親や教師が、自分の見聞きしたこと感じ考えたことを話すのも同じです。これらの話は、子どもにたいへん喜ばれますし、子どもとの気持ちの交流という点からいうと非常に貴重きちょうですが、内容や表現が吟味ぎんみされ、個人的なつながりをもっている人だけでなく、もっと一般いっぱんに通用する文学的な価値かちをもつ場合を除いのぞ て、ここでいうお話には含めふく ません。
 したがって、ここで扱うあつか お話は、話そのものに文学的な価値かちがあることを前提とします。この文学的価値かちということは、たいへんむつかしい問題で、論じろん だせばきりがありませんが、ここでは、ひとまず、文学的に価値かちのある作品とは、「わたしたちの心を楽しませ、人間についてのわたしたちの理解を助けてくれるもの」と、表現しておきましょう。そして、この「心を楽しませる」ことの中には、内容だけでなく、その表現の形式からくる美しさが、わたしたちの心を楽しませることが含まふく れていることを、とくに指摘してきしておきたいと思います。
 さて、ではそういう作品をどこに求めるかということになりますと、具体的には昔話と創作そうさく(主として子ども向きの短編)ということになります。そして、語るという点からいえば、このうち、とくに昔話が重要になってきます。昔話は、なんといっても本来語りつたえられてきたものなので、語って聞かせる話のそなえていなければならない基本的な条件を満たしているからです。また、昔話は、一般いっぱん大衆たいしゅうの文学でしたから、とり扱うあつか テーマは、普遍ふへん的、根源こんげん的ですし、その表現形式は、簡潔かんけつでそぼくな心の持ち主にもよ
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くわかるようになっています。つまり、今日の子どもの興味や心理や理解能力によく合うのです。昔話が、今日では、もっぱら子どものための文学になっているのはこのためでしょう。
 昔話の中には、単に語ることから生じた表現の形式や民衆みんしゅうの文学であることからくる内容の普遍ふへん性ということだけでなく、何かもっと大きな力がかくされているような気がしてなりません。昔話は、文学のもとの形といってよいものですから、そこには、人間が物語を生み出し、それを支えてきた心の動きや力のもとが内蔵ないぞうされています。昔話のもつこのふしぎな力の本質を解き明かすことは、わたしにはとうていできませんが、子どもの時代に、少しも昔話にふれることなく育ったら、文学を味わい楽しむために必要な、何か非常に大切な要素が欠けおちてしまうのではないか、とだけはいうことができます。
 語り手としても、もし、よい語り手になりたいと願うなら、たえず昔話にふれている必要があるとわたしは思います。それは、単に、そこから話の材料が得られるからというだけでなく、昔話に親しむことによって、「物語」やそれを「語る」ことの意味が少しずつわかってくるように思えるからです。お話に興味をもつ者にとっては、昔話は、たえずそこに自分をうるおしにかえっていかなければならないいずみのようなものだと思います。
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a 長文 3.3週 he
 わたしが市場へゆく道は、いかにも自然発生的な細いやさしい道だ。家と家との間に何となく作られた人間のふみならした道だ。ところが、その道は最近アスファルトがしかれてしまった。夏の日など、かごを下げて歩いてみると、いかにもむんむんして照りかえしがきつい。それに何ともふぜいがなくなった。
 わたし舗装ほそうされたのを残念に思った。新たに作った高速道路のようなものならまことにりっぱな舗装ほそうがあってしかるべきだと思う。しかしほとんど車も通らない昔ながらの通り路のようなものまで舗装ほそうする必要は果たしてあるのだろうか。いちおう石ころで足うらがごろごろすることもなくて歩きやすいようではあるが、はば一メートルありやなしやのこんな細道がべタッと黒くアスファルトを塗らぬ れているのはいたましくさえある。弱いはだにこってりドーラン(おしろいの一種)をぬって皮膚ひふ呼吸こきゅうをふさいでしまった感じがする。
 わたしがこどものころはいていた皮くつは、たいていどれもこれも(つまさきがけばだっていた。石けりをしながら歩くせいだ。これときめた小石を、小さくけりつづけながら学校へゆき家に帰る。車の心配などほとんどせず、けとばした石のゆくてのまにまに、よろけながら歩くのである。いま、こんなことをしたら、それはもういっぺんに車にひかれてしまうが、昔はそんなことをしながらにぎやかにこどもは道を歩いた。
 道にはいろいろなものがあった。しゃれた石、虫の死がい、雑草の可憐かれんな花、ラムネびんの破片はへん、石炭のかけら、鳥の羽。そんなものにいちいち心をとめながら、ゆっくりとこどもは楽しみながら歩くのであった。舗装ほそうされた道にはそんな、手にとりたいようなものは何にもないのだ。
 最近ある方から石を一ついただいた。ダイヤモンドやルビーでもない、また当然石ブームでさわがれるきく石とか赤石とかのしろものでもない。平べったい薄茶うすちゃ色の石で、手のひらに軽く乗る大きさ、重さである。
 ただおもしろいのは、全体にキララ(光る鉱物の一種)が入っていることで、光を受けて小さく一せいにまたたく。太陽にあてると楽しいですと言われて、わたしは日の光にも、また月の光にも照ら
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してみた。チカチカとかわいらしくきらめくのをみると、いわゆる童話の世界のおもむきがある。その人は、道で拾いましたと言った。どんな道だろう。ゆたかな気持ちで、ものみなすべてにいとしみを感じながら歩く土の道にちがいない。無味乾燥かんそうなアスファルト道路、車が通るだけのための道にはこんな石はないのだ。
 もちろん舗装ほそうされた道も場合によっては大切である。ほこりをあびせかけられる街道筋(かいどうすじの家などは気の毒で見られない。一刻いっこくも早く舗装ほそうしなければ、道すじの家はまども開けられない。だが、道が一番道らしいのは、人間のくらしをあたたかに支え、いろいろなものを発見することのできるふみしめられた道である。この事だけは忘れわす てはならないのだ。
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a 長文 3.4週 he
 オーストラリアのヨーク半島のつけね、西側にいたイル=イヨロント族の変化を見てみます。
 かれらは食料採集民で、狩りか をしたり木の実を集めたりという生活をしていました。かれらにとっても石斧いしおのは男のものでした。奥さんおく  子供こどもが借りることはできましたけれど、借りるとき、返すときのあいさつは、夫は妻に、父は子に優位ゆういに立っていることを確かめる機会でした。そこへ白人がやってきて、鉄のおのが入ってきました。イル=イヨロント族の人びとが白人の手助けをすると、その代償だいしょうとして鉄のおのをくれたりします。ときには、奥さんおく  が鉄のおのをもらうことがあります。夫のほうは石のおのしかもっていないのに、奥さんおく  が鉄のおのをもっていることになります。そうすると、「すまんけど、おまえの鉄のおのを貸してくれ」ということもおきてきます。これが石が鉄に代わったことでおきたさまざまな結果の一つです。
 もっと重要なことは、イル=イヨロント族が浮いう た時間をどう使ったかということです。この点にいまわたしは大きな関心をもっています。
 浮いう た時間を使って、なんとかれらは昼ねをしたのです。わたしはじつは、その部分を読んだときに吹き出しふ だ てしまいました。この笑いには軽蔑けいべつの意味もふくまれていたと思うのです。ところが、わたしのこの感想はじつはまちがっていた、といまは思っています。
 二千年前、日本ではどうだったでしょうか。石から鉄へと変わってきたときに、弥生やよい人はおそらく浮いう た時間で宴会えんかいに出席することも、昼寝ひるねをすることもしませんでした。石から鉄への変化を、生産力の飛躍ひやく的な増大につなげたのです。いままで石のおのが一本倒したお ている時間で、四本倒すたお というぐあいに、すごく生産力を高めたのです。
 四世紀、六世紀(古墳こふん時代)の農民が働き者だったことは、群馬県で火山の噴火ふんか洪水こうずいの直後に復旧工事にとりくんだ証拠しょうこからわかっています。また、日本の農業が草をとればとるほど、よい収穫しゅうかく
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を約束される農業であることから、弥生やよい農民が働き者だったことを、わたしは予測しています。
 パプア=ニューギニアやオーストラリアでは浮いう た時間を遊びに使ったのに、日本では労働に使ったということで、日本人は勤勉きんべんだと先祖をほめたたえるつもりか、と思われるかもしれません。そうではありません。
 道具や技術は、毎年のようにどんどんすぐれたものになっていきます。なんのためだと思いますか。質問すると、すこしでも楽になるようにとか、効率がよくなるようにとか、企業きぎょうがもうけるためだとかいう答えがよくもどってきます。しかし、結果から見ると、わたしはそうではない面もあると思うのです。
 じつは、わたしたちを忙しくいそが  するために道具や技術は発達してきているのではないでしょうか。それまで十時間かかったところを、三時間で行くことができるようになったとします。浮いう た七時間をどう使うかと考えてみると、ほかの仕事をしているのです。
 すくなくともつい最近までは、歩いている時間とか車に乗っている時間はボケーッとしていることができました。あるいは空想にふけることができました。しかし、いまや携帯けいたい電話ができたのです。歩いていても、車に乗っていても、いつ電話がかかてくるかわかりません。相手からだけでなくて、自分からもかけます。なにもそんなときまでと思うのですが、そんな大人たちが増えています。
 わたしたちは、技術や道具の発達は自分たちを解放するためだと思っていますが、じつは大きな誤解ごかいで、自分たちを忙しくいそが  するために技術や道具が発達している面もあるのではないかと思うのです。そこでわたしは思うのです。オーストラリアのイル=イヨロント族が浮いう た時間をたというのは、正解だ、と。
 多田道太郎みちたろうさんは、つぎのようなことをわたしに語ってくれました。
『日本には「休む」とか「怠けるなま  」ということばがあるけれども、みんな悪い意味で使われている。しかし、わたしたちは、むしろ強制されたことはなにもしないという状況じょうきょうに自分をおくことがたいせつだ。そういう状況じょうきょうのなかで、自由にしたいことをする、それが
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長文 3.4週 heのつづき
遊びだ。』
 多田さんのいうことのなかに、わたしにとってひじょうに重要なことがふくまれていました。それは、強制されている状況じょうきょうからは空想力がはばたくはずがない、休んではじめて人間の構想力とか空想力がはばたくのだということです。働きづめに働いていると、そのあげくに出てくることは、しょせんたいしたことはないのだということです。空想力は想像力とおきかえてもいい。アインシュタインが知識よりも想像力のほうがずっとたいせつだ、といっていることを思いだします。
 たしかに日本人は働きすぎると思います。わたしたちはもうすこし余裕よゆうをもって、いい意味での怠惰たいだの精神、遊びの精神で生きていくべきではないでしょうか。これをなによりもまず自分自身にいいたいと思います。もっと余裕よゆうをもって、遊びをもって生きていったらいいのではないか、それをイル=イヨロント族に学びたいという思いなのです。

佐原さはら真「遺跡いせきが語る日本人のくらし」)
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