a 長文 7.1週 hi
1「いただきます。」
 私(わたし)は、世界の食べ物の中でカレーがいちばん好きだ。カレーだと、必ずおかわりをしなくては気が済ま(す )ない。カレーのどこが好きなのかと聞かれてもおいしいものはおいしいのだから理由などない。
 この前、学校の林間学校で、飯盒(はんごう)炊さん(すい  )をしてカレーライスを作ることになった。2まず、学校の授業で、カレーに使われる材料や、カレールーの歴史などについて調べ、発表をした。そこで、カレーの材料にはいろいろな人が関わっていること、また、長い歴史があることが分かった。そして、自分の家で、一人でカレーライスを作ることが夏休みの宿題の一つとなった。
 3カレーが大好きな私(わたし)でも、生まれてから一度もカレーを自分で作ったことはなかった。母に教えてもらいながらやっとのことで作り上げたが、その時、こんなに大変なのに林間学校で自分たちだけで作れるのかと不安になった。
 4その不安を抱え(かか )たまま、林間学校が始まり、二日目の夜に飯盒(はんごう)炊さん(すい  )が行われた。もし、作ることができなかったら、私(わたし)たちのその日の夜ご飯はなしになってしまう。私(わたし)は薪(まき)の係りだった。お米を研ぎ、野菜を全て切り終わった後に火をつけた。5その火はまるで、紅葉(こうよう)したモミジのように真っ赤だった。途中(とちゅう)で、火が消えそうになって慌て(あわ )たが、以前、火を作る練習をした時、火が消えそうになったらうちわであおげばよいと習ったのを思い出した。みんなで、一生懸命(いっしょうけんめい)うちわであおぐと、消えかけていた火が勢いを盛り返し(も かえ )た。6しばらくすると、飯盒(はんごう)から、水滴(すいてき)がたれてきた。薪(まき)でさわってみると、ぐつぐついっている振動(しんどう)が手にも響い(ひび )てくる。
「やったあ。」
なぜみんなが喜んでいるのかというと、そうなったらご飯が炊け(た )たという合図だからだ。7本当にできているか確かめるために、火から下ろし、軍手をした手で飯盒(はんごう)のふたを開けてみた。すると、真珠(しんじゅ)
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のような真っ白なご飯が姿(すがた)を現した。そのご飯を見たとき、私(わたし)はとにかくうれしかった。
 ご飯は、飯盒(はんごう)ごと逆さにして蒸し(む )ておき、私(わたし)たちはカレーの鍋(なべ)の方に取り組んだ。8しかし、このあと、私(わたし)たちは小さな失敗をしてしまった。水を多く入れ過ぎてしまったのだ。鍋(なべ)の中はびちゃびちゃになっていたが、私(わたし)たちはあまり気にすることなく作業を続けた。そして、やっとカレーの方も完成した。
9「いただきます。」
と声をそろえ、一斉(いっせい)に食べ始めた。私(わたし)は水が多すぎて、おいしくないカレーになっていないかと思っていたが、その心配は無用だった。なぜなら、家のカレーよりもおいしかったからだ。私(わたし)は、もちろん、それをおかわりした。
 0この飯盒(はんごう)炊さん(すい  )以来、私(わたし)はもっとカレーが好きになった。母が、今日の夕飯もカレーだと言っていたので、とても楽しみだ。

(言葉の森長文作成委員会 Λ)
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a 長文 7.2週 hi
 1こうしてケーキミックスは大ヒットした。アメリカ国内で売りつくすと、ヨーロッパやオーストラリアにも進出した。どこでも大当たりだった。そして次の有望な市場として日本に目が向けられた。
 2調査してみると、日本はすっかり欧米(おうべい)化しているようだった。日本人の食生活の洋風化はきわだっており、インスタントコーヒー、粉末スープなどの市場がすくすくと成長していた。和菓子(わがし)がおとろえ、洋菓子(ようがし)に人気が集まっていた。3洋菓子(ようがし)の売り上げ全体の一割(わり)でも獲得(かくとく)できれば、利益はじゅうぶん得られる。
 ただし、そのころの日本にはオーブンを持っている家庭がほとんどなく、従来(じゅうらい)のケーキミックスをそのまま持ちこむわけにはいかなかった。4しかし、オーブンはなくても、電気釜(でんきがま)(自動炊飯(すいはん)器)ならどの家庭にもある。そこで、電気釜(でんきがま)で作れるように改良することがケーキミックスの技術的な課題になった。アメリカの優秀(ゆうしゅう)な技術陣(じん)は、この課題を解決し、りっぱな製品を作り上げた。
 5そして、日本の主婦にモニター(意見を述べる役)を依頼(いらい)して、実際に電気釜(でんきがま)でケーキを作ってもらった。評判は上々だった。
 この結果をふまえ、ケーキミックスの製造会社は自信満々で日本市場に進出することを決定し、日本の大手企業(きぎょう)との合弁会社(資金を出し合って作る会社)が設立された。6かなりの宣伝(せんでん)費をかけて売り出すと、たちまちまねをする会社が現れて似たような製品を発売するほどで、成功はまちがいないように思われた。
 ところが、ケーキミックスは日本の市場では完全な失敗だった。7さっぱり売れなかった。
 この段階(だんかい)になって、初めて私(わたし)に原因調査の依頼(いらい)があった。私(わたし)は主婦を集めてグループに分け、雑談形式で話を進めてもらった。最初は建て前ばかりでも、だんだんうちとけて本音を言うようになるものである。8初めのうち、ケーキミックスを使ったことのない人は、「おもしろそうね。」「作ってみたい。」などと言っていたし、使用経験者も「なかなかよくできてる。」などと好意的な意見を言っていた。9しかし、話が進むうちに、
「でも、あれは、バニラ(香料(こうりょう)の一種)やチョコレートが入っているのよね。」
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という発言があった。これをきっかけに、いっきょに、売れない理由が解明されることになった。
 0日本の食文化におけるお米の重要さはいうまでもない。食生活が欧米(おうべい)化したといっても、一日のうちでいちばん大事な夕食が、いまだにお米中心であるということは、最近の厚生省の調査でも明らかだ。欧米(おうべい)の若い(わか )女性が手作りのケーキのよしあしで判断されたように、日本のおよめさんにとっては、ふっくらした白い御飯(ごはん)をたくことが重要な課題なのだ。
 ライス・カルチャー(お米の文化)といわれる日本文化の中で、お米は純粋(じゅんすい)さの象徴(しょうちょう)なのである。白米が尊重(そんちょう)され、カレーなどもあくまでも後からかけるものであり、茶飯(ちゃめし)やピラフは、しょせん基本的な調理にはなりえない。
 その御飯(ごはん)をたくのと同じ器でケーキを作ると、バニラやチョコレートに汚染(おせん)されてしまうのではないか――。日本の主婦がひっかかったのはそこだった。
「電気釜(でんきがま)をよく洗え(あら )ばだいじょうぶだ」
というのは、ひじょうにあさはかな考えで、答えになっていない。人間の心理はそんなに簡単(かんたん)なものではない。
 日本人のこうした感覚を欧米(おうべい)人に説明するために、私(わたし)はこういうたとえを用いた。
「これは、イギリスの主婦に、ティーポットでコーヒーを作れ、というようなものだ。」
 この分析(ぶんせき)結果を聞いたケーキミックスは、きっぱり日本市場から引き上げていった。問題が、そこまで民族的な伝統に根ざしている以上、手の打ちようがないからである。

 (ジョージ・フィールズの「電気釜(でんきがま)でケーキがつくれるか」にもとづく。開成中)
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a 長文 7.3週 hi
 1私(わたし)は改めて自分の部屋に行ってみた。昨晩(さくばん)母が苦労して片づけ(かた  )たおかげで、かなり快適そうな子供部屋(こどもべや)になっていた。全然見ない百科事典が全巻(ぜんかん)あるのも今ならこの部屋にふさわしい。まるで賢い(かしこ )子供(こども)の部屋のようだ。2こんなキチンとした部屋を使用している子供(こども)なら、毎日規則正しく予習復習をやり、夕飯には野菜スープと肉の焼いたやつなどを食べ、家族と少し談笑をした後、風呂(ふろ)に入ってすみやかに眠る(ねむ )のであろう。3そして朝は早起きをし、遅刻(ちこく)などという愚かしい(おろ   )行為(こうい)とは縁(えん)がなく、学力優秀(ゆうしゅう)で人望も厚いのである。もちろん、親から怒ら(おこ )れる事などない。私(わたし)とは、どこをとっても異質(いしつ)な子供(こども)の部屋である。
 4明らかに急激(きゅうげき)に片づけ(かた  )たとバレる気がする。日常とは違う(ちが )、とってつけたような空気が充満(じゅうまん)している。机(つくえ)の上がきれいなのもわざとらしい。だが机(つくえ)の引き出しを開けてみると、昨日捨て(す )なかった小物類がゴチャゴチャと入っていた。5パンダの貯金箱やゴムボールや、紙せっけんや半分使った目薬もあった。こまかい物を母が適当にこの引き出しの中に入れたのだ。ちらかっていた昨日までの子供部屋(こどもべや)のミニチュア版という感じである。
 6一見きれいに見えるこの部屋も、引き出しを開ければこんなもんである。所詮(しょせん)、茶番(ちゃばん)にすぎないのだ。
 先生が来る時間が近づくにつれ、私(わたし)は憂鬱(ゆううつ)になっていった。7どうせ母は先生に、ももこはちっとも勉強せずに手伝いをするわけでもなく怠け(なま )てばっかりというような事を話すであろう。遅刻(ちこく)ギリギリに登校するのは朝のトイレが長いせいだという余計な事まで言うかもしれない。8先生は先生で、ももこさんは学校では特に目立つ活躍(かつやく)もない生徒だからもっと奮起(ふんき)を望むところだというような事を母に告げるであろう。そして私(わたし)は先生が去った後に母から「アンタしっかりしなきゃだめだよ」などと言われるのが関の山である。
 9そんなつまらない情報を交換(こうかん)するために畳(たたみ)まで替える(か  )必要があるだろうか。「あーあ……」という気分である。
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 やがて、先生はやって来た。母は先生をあの安宿のような和室に招き入れ、ヒロシの仕入れたイチゴを運んで私(わたし)についての話を始めた。0ふすまの向こうから、先生と母の声がきこえてくる。時折両者の笑い声もきこえる。私(わたし)についての話なのに、何をそんなに笑うのか、気になるところである。笑い声がきこえればきこえたで気になるし、静まれば静まったで気になる。自分の事というのは何かにつけ気になるものである。
 十五分余りで話は終わったらしく、先生と母が子供部屋(こどもべや)にやってきた。先生は、入ってくるなり「お、きれいに片づい(かた  )ているなァ。普段(ふだん)はもっとちらかっているだろう?」と一番痛い(いた )ところを突き(つ )、私(わたし)と母は赤面した。だから、バレるようなことはしない方がいいのだ。先生は私(わたし)の机(つくえ)の上を見て、「お、机(つくえ)の上もきれいになっているね。だけど引き出しの中はどうかな」と言って引き出しを開けた。
 万事休す。もうおしまいである。ゴチャゴチャな引き出しの中を見た先生はプッと吹き出し(ふ だ )、私(わたし)と母はますます赤面した。脳天(のうてん)にマグマが上昇(じょうしょう)してゆくような熱さを感じた。うつむいて黙っ(だま )て赤面している間も、新しい畳(たたみ)の匂い(にお )が漂っ(ただよ )てきてやるせない。
 先生がお土産を持って去った後、母は私(わたし)に「アンタ、もっとしっかりしなきゃだめじゃないの」と、予想通りの小言を言った。私(わたし)は母の小言を「はいはい」と軽く聞き流し、外へ遊びに行こうと思って店先に出た。

(さくらももこ「あのころ」より。東海大附属(ふぞく)浦安(うらやす)中)
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a 長文 7.4週 hi
 美術担当(たんとう)の先生洋は、学校の近くで開かれている写生大会を見まわりながら指導していたが、その途中(とちゅう)で、描く(えが )のに苦労している女の子の下絵をよかれと思って手伝った。一方、学校で何かと話題の中心になる根元少年の姿(すがた)が見えず、気になっていたが……。

 ふりむくと――根元少年が立っていた。
―先生は描(か)かんのきゃあ?
と、きいた。
―ん? 今日は見まわるだけで手一杯(ていっぱい)やからな。
正直に答えてから、ふと気になってきき返した。
―根元はもう描(か)いたンか。
根元少年は黙っ(だま )て画板をさしだした。白紙だった。ピンを外して裏返し(うらがえ )て見ても何も描い(えが )てなかった。
―今までなにしてたンや。
ちょっときつい声になってとがめるように言ってしまった。根元少年は平気で、チョウチョを追いかけとった――と答えた。
―白紙なんか受けとらヘンよ。
と言ってやっても、やっぱり平然としている。そしてさっきとおなじ質問をした。
―先生は描(か)かんの?
―描(か)く用意してへんさかいなあ。
根元少年は黙っ(だま )て自分の画板と絵具箱と、カンヅメを利用した水入れをさしだした。
―根元のを描(か)いてやるわけにはいかんがな。
やんわり断ると、根元少年はついと横をむいて鼻を鳴らした。
―女の子のは手伝ってやったのによ……。
どこからか見ていたらしい。
―あんまりおそいから、ほんのちょと手伝うたンや。
弁解がましくなると知りながらも正直に説明した。すると根元少年は自分の画用紙を指して、おれの方がもっとおそい……と、つぶやいた。
―それはちがうで。あの子は一生懸命(いっしょうけんめい)やってもおくれたンや。根元はチョウチョを追うとっておくれてただけやろ。
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さすがに洋もちょっととんがった声で言ってやると、根元少年は首をすくめ、
―言えてる。
さすがに自分のさぼったことをみとめた。
―今からでも描(か)くか。手伝わンけど、見てたるさかい……。
洋が誘う(さそ )と、根元少年は素直にうなずいた。
―どこで描(か)くンや?
―さっきの女の子のとこ。
根元少年はただちに答えた。
―あそこ、先生の気にいったとこだろが。
―なんでわかるンや?
―チョウチョ追いかけながらでも気がついとったけど、先生、あそこに五ヘンも立ってたもんだでよ。
(ちゃんと見ておったンやな。いや、おれをつけとったな。そやさかい、こっちが探し(さが )ても見つからんわけや……。)
洋は苦笑して、さっきの場所へいそいだ。ところがそこで思いもかけない光景を見てしまったのだ。

(今江(いまえ)祥智(よしとも) 「牧歌」)
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a 長文 8.1週 hi
 1「いってらっしゃい。」と妹、「早く帰ってきてね。」とぼく、そして、「気をつけてね。」と母の声。
「行ってくるよ。ゆうすけ、あっこちゃん、学校がんばってな。」
毎朝、同じ会話が交わされ、静かな朝の道へオートバイが走り出していく。父の出勤(しゅっきん)だ。
 2父は、消防署(しょうぼうしょ)に勤務(きんむ)している。いつ、どこで発生するかわからない火災や事故を相手にする緊張(きんちょう)した仕事だ。朝出勤(しゅっきん)すると翌日(よくじつ)の朝まで帰らない。日曜も祭日もなく一日おきに勤め(つと )ている。非番で家にいる日も午前中は寝(ね)ている。前日は勤務(きんむ)で寝(ね)ていないからだ。3父が寝(ね)ている間は、家族も音を立てないようにして歩かなければならない。「いやだ。消防署(しょうぼうしょ)なんてやめちゃえ。」と、父の仕事を憎く(にく )思ったこともある。しかし午後、目が覚めると僕(ぼく)と妹に本を読んでくれたり、一緒(いっしょ)に遊びに出かけてくれたりする。制服を脱ぐ(ぬ )と本当に優しい(やさ  )父だ。
 4三年生のとき、社会科で消防署(しょうぼうしょ)の仕事について習った。市民の安全を休みなく守る消防士さん、それが僕(ぼく)の父なのだ、と思ったとき、僕(ぼく)は初めて父の仕事に感謝し、その仕事を誇り(ほこ )に思った。
 無遅刻(ちこく)、無欠勤(けっきん)で働き続けたために、署(しょ)の招待で家族旅行に行ったこともある。5新婚(しんこん)旅行をしなかった両親にとって、結婚(けっこん)十周年を兼ね(か )た旅行となり、とても楽しかったそうだ。また、十五年勤務(きんむ)のお祝いには、母も消防署(しょうぼうしょ)に招かれ、感謝状を贈ら(おく )れた。
「火災出勤(しゅっきん)があるとね、神様に手を合わせて、どうか無事に勤め(つと )が果たせますように、って拝む(おが )のよ。」
と母は話してくれた。6冬の夜、緊急(きんきゅう)の出動があるときも、母は飛び起きて父を送る。そのあと風呂(ふろ)をわかしたり、布団をあたためたりして、寒くても父の帰りを待っている。そんな母の心づかいを、きっと父も感謝しているに違い(ちが )ない。
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 7父の頭の中はまるで市内の地図だ。休みの日、車で街を走ってもらうと、いろいろな道を知っていることに驚く(おどろ )。地図で調べたり、道を聞きながら走ったりしたのでは火事が広がってしまうから、父にとっては当たり前のことなのだろう。
8「消防士の仕事は、一秒が大切だ。だからといって、早ければいいわけじゃない。失敗や事故は許されないから、正確でなくてはいけない。だから、心にゆとりを持つことだ。そして、いつでもきちんと動けるように、体を大切にしないとね。」
父はそう話す。9なんだか父の勤務(きんむ)への心構えは、いつも僕たち(ぼく  )に何かを教えているように思えてくる。
 健康な体。早く正確に。心にゆとりを。多くの人の、仕事や日々の生活にとって、同じように考えられると僕(ぼく)は思うのである。0

(言葉の森長文作成委員会 ι)
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a 長文 8.2週 hi
 1みなさんには、まだ字を読めないころの読書体験がありますか。いや、これは矛盾(むじゅん)していますね。字を知らなければ、読書はできない。言い直しましょう。2字が読めないことを意識しつつページをめくり、「ここには何が書いてあるのだろう」と思い、もどかしい興奮(こうふん)をおぼえたことがありますか――ちょうど開(あ)かずの間(ま)の戸を見るように。
 わたしにはあります。3雑誌(ざっし)だったか、その付録だったか、とにかく兄の本です。そこに「漫画(まんが)の描き(えが )方」のようなものがのっていました。しかし、字は読めない。だからこそ、想像を絶するほどおもしろかったのです。で、また矛盾(むじゅん)したことを申し上げましょう。4そのおもしろさを、想像してみてください。そこにあったのは、実に不可思議な世界です。技法説明のため、さまざまな表情や姿(すがた)がならんでいました。かと思うと、それらを生み出す、裏方(うらかた)のペンやインクの絵が描い(えが )てあったりします。
 5わたしが一番強烈(きょうれつ)におぼえているのは、こういう場面です。古い漫画(まんが)の手法では、人が歩いた後に、マッシュルームを横にしたような印が、次々についていきます。砂ぼこり(すな   )の象徴(しょうちょう)なのでしょう。6さて、その本の中の人物は、ほこりマークを現実にあるもののように扱っ(あつか )ていたのです。手に持っていたのかもしれません。拾い集めていたか、あるいは、歩く人物の後ろに置いていったのかもしれません。7そうやって、描き(えが )方を説明していたのです。なんとも奇妙(きみょう)な絵でした。「ここに書いてある字が読めたらなあ」と、強く思いました。どういう部屋のどのあたりにすわっていたかも含め(ふく )て、その時の記憶(きおく)が鮮やか(あざ  )にあるのです。8小学生になってからも、時々、あの漫画(まんが)にもう一度会いたいと思いました。
 さて、「漫画(まんが)の描き(えが )方」は、本来の目的からいえば、鑑賞(かんしょう)のためにあるのではなく、実用のためにあるものです。9しかし、わたしにとって、それは謎(なぞ)に満ちた物語、通常の音階を持たぬ歌だったのです。これこそ、本というものの持つ力ではないでしょうか。た
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とえば、夏目漱石(そうせき)の読み方に、これという絶対の正解があるのなら、われわれは、その答えを人から聞けばいい。0しかし、漱石(そうせき)への対し方は読者の数だけあります。
 下手な手品は一方からしか見られないといいます。しかし、魔法(まほう)は、上から下から斜め(なな )から見ても、人の後ろに立って見ても、遠く離れ(はな )て望遠鏡で見ても魔法(まほう)でしょう。ある人には、胸(むね)のポケットから取り出したものが蝶(ちょう)と見え、また、ある人には蜂鳥(はちどり)と見える。しかし、どちらも真実なのです。
 つまり、本を読むというのは、そこにあるものをこちらに運ぶような機械的な作業ではない。場合によっては、作者の意図をもこえて、我々(われわれ)の内になにかを作り上げて行くことなのだと思います。
 しかし、仮にあげた例は、あくまでも例なので、今あの時の「漫画(まんが)の描き(えが )方」が手に入ったとしても、それは昔のかがやきをもったものではないでしょう。幼い(おさな )日に読んで血をわかした本が、後年(こうねん)読み返してみると、思いの外(ほか)につまらなかったりすることは、間々あるものです。けれども、砂時計(すなどけい)を手に取りひっくり返すように、あるときからは、また新しい砂(すな)が積もりだすものです。中学生の時、読んで少しもおもしろくなかった本の妙味(みょうみ)が、年を重ねることによってわかるようになったりもします。
 そういう読みにたえられる、厚みを持ったものが、古典です。
 手ごわい相手、理解できない書に行きあたると、文字の読めない幼児(ようじ)のように、その昔に帰ったようにもどかしく、「この本が読めたら」と足ずりしたくなります。歯の立たないものをかんだようなつもりになって、見当違い(ちが )の解釈(かいしゃく)をすることも多い。だが、わたしにとっては、それこそが読書の楽しみなのです。

 (女子学院中)
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a 長文 8.3週 hi
 1ユーモアについて、話がしたくなりました。
 第二次大戦の時、イギリスの主要都市は、ドイツ空軍の激しい(はげ  )爆撃(ばくげき)にさらされました。特にロンドンは熾烈(しれつ)でした。2この時、建物を大破されたロンドンのあるデパートが、
「平常通り営業。本日より入口を拡張(かくちょう)しました」
というカンバンを出しました。よく知られているエピソードです。
 先日、イギリス人がユーモアについて書いてあるものを読んだらこうありました。
3「私(わたし)たちイギリス人は、『ユーモアのセンス』というものには特別のプライドを持っているし、また、それについて敏感(びんかん)である。たとえばイギリス人に向かってモラルがないとか、仕事ができないと言ってもおこりはしない。4自分には音楽がわからない、と自慢(じまん)する者もいる。しかしイギリス人にユーモアのセンスが無いと言ったらぶんなぐられるはずだ。他国では、人の悪口を言うとき、ばか、臆病者(おくびょうもの)、極悪人などと呼ぶ(よ )が、イギリスでは『ユーモアのセンスが無いね』と言うのである。5これは最高の侮辱(ぶじょく)となる」
 国民性のちがいと言ってしまえばそれまでですが、日本では、ユーモア感覚は、それほどまでには高く評価されていないように感じます。6「お互い( たが )にもっとユーモアの感覚をみがこう」というより「人間マジメに、一生懸命(いっしょうけんめい)に働くのが一番だ」という言葉のほうが、説得力を持つのではないでしょうか。
 7空襲(くうしゅう)で爆破(ばくは)されたデパートが、「本日より入口を拡張(かくちょう)しました」というカンバンを出すなんて不真面目だ。「空襲(くうしゅう)による被害(ひがい)のためお客様にご迷惑(めいわく)をおかけいたします」と書くべきだ。というのが真面目な人の反応でしょう。
 8真面目な国から真面目をひろめにやってきたような人っているものです。そういう人は、もしかしたら欠陥(けっかん)人間と呼ん(よ )でいいかもしれません。自動車のハンドルにあそびがあるからこそ、自動車を安全に運転することができます。9ユーモアは命を運転して人生をわたっていくのに欠かすことのできないものです。
 と言いながら、生真面目な言い方になりますが、明治以来、日本
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の文学は喜怒哀楽(きどあいらく)の怒(ど)と哀(あい)だけに片寄り(かたよ )過ぎたように思います。0喜びや楽しみを書いたものは評価が一段(いちだん)低かった。近代の苦悩(くのう)について書いたものが文学としては上等で、人生の深みにおもりを下ろしていると最敬礼(さいけいれい)されてきました。
 詩に限ってみても、上質の軽みに成熟(せいじゅく)を示した詩、ユーモアの詩が書かれるようになったのは戦後のことです。
 ただ、ユーモアというものは、論理(ろんり)で解釈(かいしゃく)できるものではなく、それを受信する感性の装置(そうち)をそなえているかどうかなのですね。頭がどんなによくても、それだけではだめ。いくら知識があっても、それだけではだめだということです。
「平行な二直線が他の直線と交わってできる錯角(さっかく)は等しい」という定理なら、これを証明することができます。しかし、ユーモアは、たとえるなら花のかおりのようなもので、口ではうまく説明できない。
 数学なら数学、物理なら物理、こういう真面目なことというものは、一生懸命(いっしょうけんめい)努力すれば分かります。少なくとも分かるはずです。しかし、ユーモアというものは、ユーモラスと感じるか感じないかというセンスの問題になるわけです。

 (横浜(よこはま)共立学園中)
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a 長文 8.4週 hi
「そう。古田の婆さん(ばあ  )、なんていったの?」
「……なんにも……」
「貸してくださいっていったんでしょう?」
「……うん……」
「でもだまってたの?」
「……うん……」
 そのあと母がなにもいわないので、ぼくは母を上目づかいにみた。母はやさしく笑ってぼくをみているだけだった。でも、母は泣いていた。ぼくに笑いかけながら、涙(なみだ)が頬(ほお)をつたっていた。ぼくは母をなかせてしまったとせつなくなった。本当のことをいわなければ。ぼくは重い口を開いた。
「貸してって、心の中で、いったんだ……。口にだしていわなかった……」
「そう」
母はぼくの手をとった。細くて、あたたかくて、白くて、きれいな手だった。あのぬくもりはいまでもぼくの手に残っている。
「久志は自分がどういうことをしたか、わかっているわよね」
「……うん……」
「これからは絶対にそんなことをしちゃだめよ」
母はやさしくぼくを諭し(さと )た。
「約束してくれる?」
「……うん……」
「父ちゃんに、ちゃんとお金を返してもらおうね」
「うん」
「約束だよ。久志がやったことは人間としてやってはいけないことなの。でも、本当のことをいってくれて、母ちゃん、久志のこと、安心したよ。本当のことをいうのは、勇気がいるよね。でも母ちゃんは、久志はほんとうのことをいってくれるとしんじていたよ」
 そういうと、母は突然(とつぜん)ベッドの上で息を詰まら(つ  )せたように泣き出した。ぼくの手をにぎり、ぼくをみつめたまま、ポロポロと涙(なみだ)をこぼした。
「ごめんなさいね。母ちゃん……本当にごめんなさいね」そういって母は震え(ふる )だした。
 なぜ母がぼくに謝らなければならないのだろう? ぼくはとまどい、どうしていいのかわからず、だまって母をみつめることしかできなかった。
「ごめんなさいね。本当にごめんなさいね」
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 母は声を震わせ(ふる  )ていつまでもぼくに謝るのだった。いつまでも……。

(川上健一「翼(つばさ)はいつまでも」)
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a 長文 9.1週 hi
1「まあ、ありがとう。」
 祖母は目を細めた。今日は、祖母の七十歳(さい)の誕生(たんじょう)日。古希(こき)と言う、おめでたい節目の年齢(ねんれい)だ。私(わたし)は、小さいころから大好きだった祖母にどんなお祝いをしようかずっと頭を悩ま(なや )せていた。2一つ前の六十歳(さい)のお祝いのときは、小さくてまだ何もわからなかったので、特別な年の誕生(たんじょう)日はこれが初めてである。最初はお小遣い(こづか )を貯めて、喜ぶものを買ってあげようかと思っていたのだが、お年寄りの気に入るものを選ぶのはなかなか難しい(むずか  )し、お金も足りない。3そこで、私(わたし)は自分にしか作れない手作りの贈り物(おく もの)をすることにした。作文、詩、手紙、絵、私(わたし)は自分が得意なもので勝負しようと考えた。親友のちかちゃんのように手芸が得意だったらさらによかったのだが。
 4私(わたし)は、いろいろなアイディアを頭にめぐらせた。祖母がびっくりするようなもの、記念になるようなもの、そして何より私(わたし)らしいものがいいと思った。私(わたし)は書くこと、創作(そうさく)が大好きだが、とりわけ、物語を作るのが好きだ。5そうだ、祖母の登場する物語、いや、いっそのこと、祖母の伝記を作ってみよう。私(わたし)は自分の壮大(そうだい)な企画(きかく)に驚い(おどろ )たけれど、まだ時間はあるし、ぜひやってみようと思った。祖母にわからないように、母や親戚(しんせき)のおばさんたちから話を集め、少しずつ書き溜め(た )た。6祖母が若い(わか )ころのモノクロの写真も手に入れた。父の手も借りて、パソコンを使って編集した。字は祖母に読みやすいように大きなフォントにした。きれいな色のかわいいイラストも入れた。
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 7お祝いの会直前に仕上がった「おばあちゃんの伝記」は、予想以上のできばえで、大人たちの豪華(ごうか)なお祝いの品にも見劣り(みおと )がしない気さえした。うれしいことに祖母は、会の間中、何度もそれを手にとって見ていた。8私(わたし)は、正直なところ、自分がここまでできると思わなかったので、どうしてこんなにがんばれたのかを考えてみた。そして、作っている間中、いつも祖母の喜ぶ顔を思い浮かべ(おも う  )ていたことに気付いた。9今までは、祖母からしてもらうことばかりだったけれど、今度は祖母を喜ばせることができるかもしれないという思いが原動力となっていたのだ。私(わたし)は、この体験を通じて、人間にとって贈り(おく )ものとは、贈る(おく )相手のことを考え、それを形にするという行為(こうい)なのだなあと思った。0

(言葉の森長文作成委員会 φ)
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a 長文 9.2週 hi
 1噴水(ふんすい)は、飲めない水である。浴びることの出来ない水である。しかも、その水はただそこを循環(じゅんかん)しているだけであるから、何ものをも潤さ(うるお )ない。言ってみれば、何の役にも立たないものなのだ。そして、それがいい。2都市住民は、すべてが役に立つという環境(かんきょう)に馴らさ(な  )れているから、目の前に突如(とつじょ)として何の役にも立たないものが出現すると、それだけで文化的衝撃(しょうげき)をうけ、深く困惑(こんわく)する。つまり、この困惑(こんわく)が新たな文化を創り出す(つく だ )のであり、噴水(ふんすい)はそのためのものであろう。
 3現在先進諸国(しょこく)の各都市では、経済(けいざい)活動から文化活動へいそしむべく、都市とその住民に方向転換(てんかん)を促し(うなが )つつあり、都市の各所に「何の役にも立たないもの」を出現させることで、住民に文化的衝撃(しょうげき)を与える(あた  )ことが、静かに流行しはじめている。4ドイツのミュンヘンの街角に、コインの投入口のない自動販売(はんばい)機が出現したのは、まだ記憶(きおく)に新しいところであろう。5もちろん当初ミュンヘンの住民は苛立っ(いらだ )て、その自動販売(はんばい)機を叩き(たた )壊し(こわ )たが、壊さ(こわ )れた自動販売(はんばい)機がまた次の日、元通り投入口のないまま立っているのを見て、やめたのである。
 5現在その自動販売(はんばい)機の周辺にはベンチが配置され、人々は噴水(ふんすい)の周辺に群がるように、やや困惑(こんわく)しながらたたずんでいる。6もちろんミュンヘンには噴水(ふんすい)もあり、それも住民に対して同様の効果を発揮(はっき)してしかるべきなのであるが、ミュンヘンの住民は、コインの投入口のない自動販売(はんばい)機ほどには噴水(ふんすい)を、「役に立たないもの」と見なさない傾向(けいこう)にあるようなのだ。7もしかしたらミュンヘンでは、噴水(ふんすい)の水で洗濯(せんたく)をしてもいいことになっているのかもしれない。
 8パリのエッフェル塔(     とう)の近くの噴水(ふんすい)でも、この夏人々が水浴びをしていたから、間もなく彼等(かれら)も、もし文化的に向上したいのなら、「もっと役に立たないもの」を、どこかに出現させなくてはいけな
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くなるであろう。9「金を受け取らない乞食(こじき)」などというものが、どこかの街角にうずくまることになるかもしれない。
 その点、日本人はまだ大丈夫(だいじょうぶ)である。噴水(ふんすい)は、依然として(いぜん   )「役に立たないもの」であり続けており、周辺に群がる人々も、依然として(いぜん   )「どうしていいかわからない」まま、困惑(こんわく)している。0ただし、油断は出来ない。夏の日照りが続き、恒例(こうれい)の水不足になると、都市によっては噴水(ふんすい)の水を停めてしまうところがあるからである。前述したように、噴水(ふんすい)の水というのは同じものが循環(じゅんかん)しているだけなのであるから、どんなに水不足の場合でも、停める必要はない。停めたって、水不足を補う(おぎな )ことにはならないのだ。
 にもかかわらず停めるのは、水不足について都市住民の多くが心配しているという局面に、そぐわないと考えるからであろう。この考え方がよくない。「そぐわないからこそ噴水(ふんすい)は噴水(ふんすい)なのである」という視点(してん)が、ここには欠落している。「真剣(しんけん)に生活しているものの生活感覚を、さかなでするものであるからこそ噴水(ふんすい)は噴水(ふんすい)なのである」という、まさしく噴水(ふんすい)の立脚(りっきゃく)点とでも言うべきものが、無視(むし)されている。
 つまり、各都市が水不足になる度に、我々(われわれ)の噴水(ふんすい)は危機(きき)に立たされていると言っていいだろう。言うまでもなく、単に水が停められてしまうからではない。「停めなければならない」と考える人々の姿勢(しせい)の中に、噴水(ふんすい)の真に噴水(ふんすい)たるものを否定(ひてい)する傾向(けいこう)が芽生えるからである。
 噴水(ふんすい)に、電気仕掛け(しか )の細工をしたり、照明で色をつけたりするのもよくない。見ているものを楽しませようとする工夫であろうが、あれも、噴水(ふんすい)の真に噴水(ふんすい)たるものを見えにくくさせる。噴水(ふんすい)は、ただ水を噴き上げ(ふ あ )ていればいいのである。

(別役実『都市の鑑賞(かんしょう)法』による。サレジオ学院中)
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a 長文 9.3週 hi
 1世界じゅう、どこに行っても日本人の旅行者たちは、身のまわりに、「日本」をもって動き回る。食べものも飲みものも言語も、ことごとく日本のもの――それにとりかこまれていないとなかなか安心できないのである。2旅行者たちをとりかこむ小さな「日本」、あるいは、彼ら(かれ )が持ち歩く「日本」、それを、わたしは「文化的カプセル」と名づける。日本人は、日本文化を微分(びぶん)化した小さなカプセルの中に入って、そこではじめて、安心するのである。3日本航空の客室は、そうしたカプセルのひとつであり、また日本人専用(せんよう)のホテルや観光バスもそれぞれに、「文化的カプセル」である。その中に入っているかぎり、目にみえない文化の皮膜(ひまく)のようなものが、日本人を外界から遮断(しゃだん)してくれるのである。4そして、その皮膜(ひまく)の中から日本人はほとんど足をふみ出そうとしない。もちろん、人間というものは、おしなべて保守的な存在(そんざい)であって、自分にとってなじみのある世界から離れる(はな  )ことを非常に嫌う(きら )習性がある。5じっさい、日本の観光客が「日本」にすっぽりとつつまれていることを批判(ひはん)するアメリカ人だって、みずからが外国旅行に出かけるときには、アメリカ文化の皮膜(ひまく)を身のまわりに張りめぐらしているではないか。6彼ら(かれ )は、アメリカの航空会社の飛行機にのり、世界の主要都市につくられたアメリカ資本のホテルに泊り(とま )、そして、食事といえばアメリカ風ハンバーガーだの、ステーキだのに安住する。文化的カプセルは日本だけの特産品なのではない。7アメリカ人だって、フランス人だって、それぞれの文化的カプセルにつつまれて生活するのが快適なのだ。そもそも「文化」というのは、そういう性質のものなのである。8日本人だけが「文化」の皮膜(ひまく)にかこまれていると考えるのは、まちがいだ。
 しかし、おそらくひとつ問題として残るのは、その皮膜(ひまく)の強度の問題であろう。9そしてわたしのみるところでは、日本人の場合、とりわけその「文化的カプセル」の外皮膜(ひまく)は、かなり強く、それを内がわから破ることを日本人はあまりしたことがないように思えるのだ。
 0ある年のお正月にも日本から一万人以上の観光客がハワイにやってきた。そんなにたくさんの日本人が一度に来たのは、ハワイにとってはじめてのことであったから、ハワイ州の観光局は、観光客
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を歓迎(かんげい)して特別のプログラムを組んだ。すなわち、ホノルルの市民に呼びかけ(よ   )て、日本の人たちを家庭に招きましょう、という「家庭訪問(ほうもん)」プログラムをつくったのである。じっさいハワイのホテルに宿泊(しゅくはく)し、観光バスに乗っているだけでは、ハワイ生活、あるいはアメリカ生活というのはわからない。相互(そうご)の理解を深めるためには家庭に招くのがいちばんよろしい。招くといってもせいぜい一時間か二時間、お茶でもさしあげましょう、といった程度の、きわめて気楽で簡単(かんたん)なご招待だ。大変結構なアイデアである。このプログラムはホノルルの新聞でもくわしく伝えられた。そして、数千人の市民たちが、ぜひ日本からのお客をもてなしたい、と申し出た。観光局はそのリストを整理して観光客を待ち受けた。そして次から次へと到着(とうちゃく)する日本人旅行者に、どうぞハワイの家庭を訪ね(たず )てください、とさそったのである。
 ところが、驚く(おどろ )べきことが起こった。この一万余の日本人が、ことごとく尻ごみ(しり  )したのである。関心を示さないのである。結局のところ、この「家庭訪問(ほうもん)」プログラムに応じてホノルルの家庭を訪ね(たず )た日本人は、たった六人であった。観光局が準備した歓迎(かんげい)計画は、完全に失敗した。
 しかし、もしこれと同じようなことを、事態を逆転して考えてみるとどういうことになるだろうか。つまり、アメリカから日本への観光客に、日本の家庭を訪ね(たず )てみませんか、とさそってみたら、どういう結果になるだろうか。わたしの観測では、多くのアメリカ人は身をのり出して、ぜひ訪問(ほうもん)してみたい、と好奇(こうき)の目を光らせるにちがいないのである。外国に出かけたのだからその土地の人と知り合いになってみるのはおもしろいことだ。いったいどんな家で、どんなふうにこの人たちは暮らし(く  )ているのだろう――そういう好奇(こうき)心が西洋人の心の中に芽生えるのである。
 
 (富士見中)
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a 長文 9.4週 hi
 日本人は笑わないなどと言えば、すこし大げさになりますが、少なくも、日本人は表情にとぼしい、心の中の感情を顔や動作に表さない、ということは、よく言われることです。なるほど言われてみれば、そのとおりです。日本人はいつもお能の面のように、表情のない顔をしている、と言った人もいます。
 また日本人は戦争が好きだ、命を捨てる(す  )ことをなんとも思っていない、ということも、世界中で評判になっています。そして古くは、ハラキリ、近ごろでは、カミカゼというような日本語が、ひろく外国にまで伝えられているほどです。(中略)
 あまりありがたくない評判ばかりならべましたが、実はうれしい評判だってあるのです。たとえば、日本人は勤勉(きんべん)だ、朝早くから夜おそくまでよく働く、ともいわれています。また、日本人はとてもきれい好きだとか、がまんづよい、どんな苦しいことでも、歯をくいしばってよくがまんするとか、日本人は手先が器用で、りっぱな美しいものを生み出すとか、いろいろなことをいわれているのです。それがわたしたちにとって、ほんとうによろこんでいいことなのかどうかということは、よく判断してみなくてはなりません。しかし世界の人たちの目には、日本人がそういう姿(すがた)で、うつっているのです。
 日本の文化について、ある外国人が、次のように書いているのを読んだことがあります。
 日本は二階建ての家で、二階には西洋式の生活や風俗(ふうぞく)や文化が、なにからなにまでそろっている。また一階にはむかしながらの生活や風俗(ふうぞく)、日本式の文化がそのまま残っている。しかし、ふしぎなことは、その一階と二階とを結ぶ階段(かいだん)がみあたらないことである。――と、そういうたとえを引いて日本の文化の姿(すがた)を批評(ひひょう)しているのです。このたとえも、たしかにおもしろいと思います。わたしたちの生活のまわりを見渡し(みわた )ても、たとえば洋服と和服(着物)、靴(くつ)とげた、いすの生活と畳(たたみ)の暮らし(く  )、洋食と日本料理、西洋画と日本画、西洋音楽と日本音楽、――といったように、一方では日本にむかしから伝わっているものがよろこばれています。町を歩いてみても、ヨーロッパやアメリカの町にくらべて少しもおとらない、りっぱなビルディングが立ちならび、電車や自動車がめまぐるしく走っている。ところが、その町の中にも、のれんをかけ、店さきに畳(たたみ)
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をしいた、むかしふうのお店があるし、白壁(しらかべ)の土蔵(どぞう)も見られるし、また神社の鳥居がたっていたり、お寺のあたりからお線香(せんこう)の煙り(けむ )がにおってきたりする。きれいな訪問(ほうもん)着に着飾っ(きかざ )たむすめさんが、デラックスな自動車から降り(お )ても、わたしたちはあたりまえのこととしてふしぎに思いませんが、外国人の目から見ると、ずいぶんめずらしいことなのでしょう。それと同じことで、よくおすし屋や、おそば屋などの店さきに、テレビが置いてあって、そのそばに、酉の市(とり いち)で買ってきた大きなくまでが掛かっ(か  )ていたりする、そんな風景も、外国人にはふしぎでたまらないようです。
 一九五七年に日本を訪れ(おとず )たソビエトの作家エレンブルグは、次のように書いています。
「日本は、外から来るものをおどろかせる。最初にめにうつるすべてのものが、ひどく矛盾(むじゅん)しているように思われる。電化された汽車、いすの背(せ)の角度を自由に調節できる、乗り心地のよい車室、そこには食堂もついている。給仕のむすめが香(かおり)の高いコーヒーを運んでくれる。着物姿(すがた)のふたりの日本のむすめが手文庫に似た小さな箱を開けて、生魚やほした昆布(こんぶ)をつめ合わせたお米の弁当を食べている。食事がおわると、本をとり出す。ひとりはサルトル(フランスの作家)の小説を手にしているし、もうひとりは家政の教科書を読んでいる。こんな光景を見ていると、自分がいったい世界のどこにいるのか、アジアにいるのか、ヨーロッパにいるのか、アメリカにいるのか、わからなくなる。しかも古い時代、新しい時代、さまざまな世紀がからみ合っているのだ。
 日本では、どの日本人も一日のうち何時間はヨーロッパ的な、またはアメリカ的な生活を送り、また何時間かはむかしながらの日本の生活を送っている。日本人のなかには、たがいに異なる(こと  )二つの世界がいっしょに存在(そんざい)している。」
 わたしたちは日ごろ見なれていて、なんとも思わないことが、外国人の目にはこのようにうつっているのです。

 (岡田(おかだ)章雄(あきお)「日本人のこころ」)
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