a 長文 10.1週 hu
 ぼくの名前は、太一である。気取った感じがなく、適度に男らしい名前だとひそかに気に入っている。だが、どうしてこういう名前をつけられたのか、くわしいところは自分でも知らなかった。ただ、漢字が簡単かんたんなので書きやすくていいな、と思っていたくらいである。
 ところで、人の名前を考えるというのは思った以上に頭を使う、大変な作業だ。実はぼくも「名付け親」になった経験がある。弟が生まれた時、お兄ちゃんが名前を決めていいよ、と言われたのだ。この時の奇妙きみょう緊張きんちょう感といったら今でも忘れるわす  ことができない。両親に他意はなかったのだろうが、いきなり兄の重責(じゅうせき)背負わせお された思いがした。
 これが、犬やねこの名前ならばいい。欧米おうべい風の名前でも、愛称あいしょうのようなごく簡単かんたんな名前でも問題はないだろう。だが、生粋きっすいの日本人である弟に「アンソニー」だの「ロマーノ」だのと名付けるわけにはいかない。「タマ」や「クロ」などは論外ろんがいである。「たまさぶろう」「くろすけ」としたらまだしも人間に近づくが、そんな時代げきのような名前では困るこま 
 すっかり行き詰まっい づ  ぼくは、父に相談することにした。母はまだ、生まれたての弟と一緒いっしょに病院にいた。父はそこまで悩むなや ことはないだろうと笑いながらも、ほかならぬぼくの名前をどうやってつけたかを話してくれた。そこでぼくは初めて、自分の名前の由来について知ることになったのである。
 父は、「お前の誕生たんじょう日は、何月何日だ」と聞いた。ぼく誕生たんじょう日は一月一日、元日である。おめでたいことがいっぺんに来るように、産む時期を決めていたのだという話は前に聞いたことがあった。
「今ではあまり見ないけど、長男に太郎たろうとか一ろうという名前をつけるだろう。お前はうちの長男で、しかも一年の最初の日に生まれたから、太郎たろうの太と一郎いちろうの一を合わせて『太一』にしたんだよ。」
 そう言って、父はどうだ、おめでたい名前だろう、とむねを張った。安直といえば安直だが、よく考えたものだとぼくは感心した。
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その話を聞き、ぼくもこの方式でいこう、と考えた。弟の誕生たんじょう日は十月一日だ。それならば……「十」と「一」を合体させた「士」という字を使おう。ぼくはさっそくそのアイデアを、電話で母に伝えた。
 弟の名前は「英士」に決まった。「えいじ」という読みもぼくの考えだ。響きひび が格好いいし、「太一」と並べなら た時の語呂ごろも良い。漢字は、両親が字画を見て決めてくれた。
 今では英士も小学校一年生になっている。生意気を言うようになり、怒りおこ たくなることもあるが、兄としてきちんと面倒めんどうを見てやりたい。長男を表す「太一」という自分の名前を心に思い浮かべるおも う   と、その思いがいっそう強くなる。人間の名前とは、生き方にも影響えいきょう与えるあた  のだなと思った。

(言葉の森長文ちょうぶん作成委員会 ι)
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a 長文 10.2週 hu
 色づいたカキは日本の秋を彩るいろど 風物詩です。カキこそは千年にもわたって日本人と共にあり、幾多いくたの詩歌に詠まよ れてきた郷愁きょうしゅうの果物といえます。ガキ大将たいしょうに率いられたカキ泥棒どろぼうの思い出を持つ読者も多いことでしょう。
 カキは中国で生まれ日本で大きく発展はってんした果物で、また、日本名のままで世界に通用する数少ない果物でもあります。かつて農家の庭先には必ずカキの巨木きょぼくがありました。とくに干し柿ほ がきは歴史的に重要な甘味かんみ資源しげんでした。菓子かし」という字も元はといえば「柿子かし」に由来しています。また、かきはビタミンCを格別にたくさん含むふく 果物です。それはリンゴの二十三倍、温州ミカンの二倍にも達し、長年にわたって日本人の貴重きちょうなビタミンCの供給きょうきゅうげんとなってきました。
 日本でカキの栽培さいばい史は、八世紀ごろまでさかのぼることができます。江戸えど時代になるとしぶ抜きぬ 法の発達もあって、カキは全国の「庭先」に普及ふきゅうし、さまざまな地方品種が生み出され、そうした時代が長く続きました。
 (中略)
 大正期までカキは日本の果物の王座おうざ君臨くんりんしていました。が、やがてそのは、新興のミカンとリンゴに奪わうば れ、最近では食の多様化の中で、生産量はナシにも後れを取っています。しかし、実態のつかみにくい「庭先果樹かじゅ」としては、今もカキの右に出るものはありません。カキは千年の時を越えこ て、今なおただで食べられる日本最大の果物なのです。
 日本での伸び悩みの なや とは逆に、カキは外国から注目され、新たな世界果実への道を歩き始めています。特に日本とは季節が逆になるニュージーランドでは、時期はずれの日本への逆輸出まで行いつつあります。
 幸か不幸か、カキは早生品種の開発が難しくむずか  、また「桃栗三年柿八年ももくりさんねんかきはちねん」といわれるように、育種に時間がかかり、その作期は今も昔もあまり変わっていません。寒い夜にかねの音でも聞き
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ながら食べるのが似つかわしい、昔ながらの季節を感じさせてくれる果物です。この日本古来の秋の味覚が、南半球育ちの参入によって、初夏の味覚に変貌へんぼうしないとも限らない昨今です。
 さて、周知のようにカキにはあまガキとしぶガキとがあります。昔の悪童たちは、どこの家のカキが甘いあま 渋いしぶ かを経験的に知っていました。カキの渋みしぶ の本体は特殊とくしゅなタンニン細胞さいぼう含まふく れるタンニンです。カキが未熟みじゅくのころは水(果汁かじゅう)に溶けると  性質があって渋くしぶ 成熟せいじゅくにしたがって自然に水に溶けと ない性質に変わって黒い「ゴマ」になり、渋みしぶ がなくなります。あまガキでは成熟せいじゅくするまでにそうした変化が完了かんりょうしますので、収穫しゅうかくしたカキをすぐに食べることができます。しかし、しぶガキでは成熟せいじゅくしても可溶性かようせいタンニンが残り、収穫しゅうかく後に人為じんい的なしぶ抜きぬ が必要になります。
 あまガキの品種も多いのに、そんな手間をかけてまでしぶガキにこだわるのは、とろけるような肉質があまガキでは遠く及ばおよ ない上に、寒冷地ではあまガキも温度不足でしぶ抜けぬ ず、あまガキの産地が暖地だんちに限られているためです。(中略)
 カキはなぜ渋いしぶ のか? あたり前のことのように思えますが、その生物学的な意味についてはこれまで追求されたことがほとんどなかったようです。
 しぶガキのしぶもいわゆる「熟しじゅく ガキ」になるまで木の上に置いておけば抜けぬ ます。しかし渋いしぶ うちは鳥もタヌキも手を出しません。しぶは無用な時期に果実が動物に食われるのを防ぐ、「適応」的な意味を持っていると思います。果実が赤く完熟かんじゅくしてタネが充実じゅうじつし、渋みしぶ のなくなる「熟しじゅく ガキ」の時期こそが、動物たちの食べたい気持ちと、タネを運んでほしいカキの思いとが一致いっちする時なのでしょう。こうした、しぶ抜いぬ てまで若いわか カキを食べてしまうヒトの出現は、カキの進化にとって勘定かんじょう外のことだったに違いちが ありません。

 (『果物はどうして創らつく れたか』梅谷二・梶浦一郎
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a 長文 10.3週 hu
 「笑う門には福が来る」のであって、福が来るから笑うのではない。自分から運を寄せつけないでおいて、「わたしは運が悪い」となげいている人は多い。いつも暗い顔をしていれば運もにげていく。悪口ばかり言っていても、運はにげていく。ビジネスで成功したければ、「悲観論者ろんしゃとは付き合うな」と運について書いた人が言っている。
 運と見えるものは日常の生き方の結果である。ある格言集に「本をおくる時は表紙の見返しに短いメッセージを書くこと」というのがあった。これはだれでもが思う、どうというようなことばではない。しかし心がないと短いメッセージでもなかなか書けない。そして実はそのような日常の積み重ねが幸運を呼んよ でくるのである。日常生活のこまごましたことをいい加減にしておいて大きな幸運を望んでも無理である。毎日のささいな生活上の連続が大きな幸運や不運を運んでくる。
 もし、幸運がほしいなら、日常のおくり物一つにも心があることが大切である。手紙一つそえるにも、びんせんからふうとう、切手にまで細かな心づかいの行き届いい とど た人もいる。それが相手への最高のおくり物である。物事を安易に考えないで、苦労をいとわない人は、幸運のほうが追いかけてくる。「あの人なら」とおくられた方が信頼しんらいするからである。こうして幸運を運んでくれる人脈はできてくる。
 研究室から大切な本を借りて返さない学生が最近多い。こうした社会性を欠いた人はいずれその代償だいしょうを社会からはらわされる。人びとはあいつと付き合うのはいやだと思うからである。
 つまり、かれはまともな人からは相手にされなくなる。
 その時に社会性を欠いた人は、「わたしは運が悪い」と言う。何が原因で自分に世の中がつらく当たるのかが理解できないのである。しかし、社会性を欠いた毎日の生活の積み重ねでそうなっていくのである。
 そして、「わたしの人生はどうしてこんなに苦しいことばかりあるのだ」と自分自身が招いた不運をただなげいている。その困難こんなんや不幸を招いたのは自分の過去の行いの集積であることにはさいごまで気がつかない。人は成功や失敗の原因というのはよく分かる。しかし「日々の積み重ねの結果そうなった」という、かくされた部分はなかなか理解できない。
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 こうして、幸運や不運の環境かんきょうはできてくる。人はそこの場所と時だけでそうしたことをしているのではない。他の場所や時でもそうしている。そうした行動をする心をその人は持っているのだから、他でもそうした行動をする。その結果、そのような人の周りには質のいい人が集まらない。だから幸運もドアをたたかない。
 アメリカに今から七十年も前に、運についてカソンという人が書いた興味ある本がある。幸運を呼び寄せるよ よ  ための十三の知恵ちえとでも言うべき本である。その十三の知恵ちえのうちの第二の知恵ちえが「見つけ出す」である。「なぜうまくいかないのか?」の理由を見つけ出すことである。かれはすべてのことには理由があるという。ニュートンはリンゴが木から落ちた時に、「これには理由がなければならない」と知っていた。これがトップにたつ人たちの質であるという。
 著者ちょしゃは運命を信じる人はなまけ者でおろか者であるという。運命を信じる人は自らのベストをつくすことをしないための言いわけとして運命を信じるのだと言う。すわって不運をなげいている人は、幸運が自分を見つけるべきだと考えて、自分が幸運を見つけるべきだとは考えていない。
 川にきた時にすわって川の水がなくなることを待っていてはならない。橋をかけるしかない。すわって川の水がなくなることを待っていた人が、橋をかけて向こう側にいき幸運を見つけた人を見て、幸運の人と言うのである。努力と忍耐にんたいなくして幸運はありえない。
 人知れず苦労をしていない人はすぐに物事を幸運とか不運とかでかたづけてしまう。しかし幸運と見えても、うまくことを運ぶにはかげでそれなりの長い長い努力や苦労がいる。「人生の消耗しょうもうにたえられる人は、幸運な人である」とカソンは言う。困難こんなんのない人生などない、これが人生の運を考える時の大前提である。

 (桐蔭学園とういんがくえん中)
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a 長文 10.4週 hu
 求めよ、さらば開かれん

 ネコやイヌがドアの前でしきりに鳴くとき、ぼくらは彼らかれ が「開けてくれ」といっているのだと理解する。ところがものをむずかしく考える人がたくさんいて、そのような理解は正しくないと教えてくれるのである。
 たとえば、言語学者のレーヴェスという人は、「イヌは開けてくれといって吠えるほ  のではなく、閉じこめと   られているから吠えるほ  のである」といった。どうやらかれは、ある表現によって未来のことを支配しようとするのは、人間においてこそ可能なのであって、イヌやネコのような動物にはそんなことはできない、彼らかれ にできるのは現状の報告だけである、と考えていたらしい。
 これは、一時かなりの説得力をもったいいかたであって、ぼくもそうかなと思ったことがある。
 けれど、動物行動学者のローレンツはこういうことをいっている――のどのかわいたイヌが水道の蛇口じゃぐちに前足をかけて、ワンワン鳴いているとき、それは人間の言語にかなり近いことをやっているのだ、と。つまりこのイヌは、疑いうたが もなく、「早く蛇口じゃぐちをひねって、水を飲ませてくれ」といっているのだ。
 ドアの前でネコが鳴くのも、それとまったく同じである。とくに、彼らかれ がトイレにいきたいとか、子どもが先に外へ出てしまってすごく心配であるとかいう切羽つまった情況じょうきょうで、ぼくらの顔をじっと見ながら、ニャア……と鳴くとき、それはレーヴェスよりローレンツのいったことにはるかに近いだろう。

 パンダの発明

 ただ鳴いて「開けてくれ」とたのむだけでない。オスネコのパンダはもっとおもしろいことを発明した。
 つまりかれは、人間のやっていることをつぶさに観察して、ドアを開けるとき人間たちは必ずノブにさわっている、ということを発見したのである。ここからかれはこういう解釈かいしゃくをした――したがって、ドアを開けたいときは、ドアのノブにさわればよい。
 そこでかれは、部屋から外へ出たいとき、後足で立ちあがり、体と
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前足を思いきり伸ばしの  て、前足の先でノブにさわることを始めた。
 おもしろいことに、そのときはほとんどの場合、無言である。ひょこひょこっとドアの前へ走っていって、ひょいと立ちあがり、ノブに前足をふれるのだ。
 それを見てぼくらはすぐドアを開けてやるから、パンダは自分の発明にすっかり自信をもってしまった。一日何回でも、開けてほしいときは必ずこれをやる。(中略)
 ところが、これがほんとうにノブというものの働きを理解した上での行動であるかどうか、いささかわからなくなるような場合もある。
 パンダが外へ出かけていって、庭から帰ってきたことがあった。食堂にぼくらがいるのを見て、パンダは入れてくれという表情をした。そして、ガラス戸に手をかけて立ちあがったのである。
 三まい引きのガラス戸には、もちろんノブはない。かぎはあるが、外側からは何も見えない。その何もないところへパンダは前足をかけたのである。もちろん、ガラスの部分でなく、かぎのあるべき木わくのところにである。ただ、その高さはドアのノブと同じだった。けれどこれも、ちょうど全身を伸ばしの  てとどく高さだから、たまたま一致いっちしただけである。そのときパンダは地面から体を伸ばしの  たのだから、内側にかぎや引き手のあるところよりは、ずっと低い位置に足をかけたことになる。
 だとすると、パンダにとっては、ノブがあってもなくても、体を思いきり伸ばしの  て前足でさわれば、それが開けてもらえるという認識にんしきしかなかったのかもしれない。ノブが云々うんぬんという理解はなかったのではないか?
 人間以外の動物を人間的に理解すること、つまり擬人ぎじん主義をきらう人は、このような解釈かいしゃくをよしとする。
 けれど、人間だって、たとえば横断歩道を渡るわた ときには手を上げて、などと教わると、鉄道の踏切ふみきり渡るわた ときも手を上げてゆく人がいるのだから、似たようなものではないだろうか。

(日高敏隆としたか「ネコたちをめぐる世界」)
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a 長文 11.1週 hu
 我が家わ やのリビングには、ぼく赤ん坊あか ぼうころの写真が飾らかざ れている。よく「小さいころの写真を見るのは恥ずかしいは    」という人がいるが、この写真に限って言うなら、ぼくはそうは感じない。物心ついたときからそこにあり、毎日見ているため、もはや慣れてしまって、今さら照れくさい気持ちにはならないのである。
 むしろ、写真の中の赤ちゃんは、われながらとてもかわいらしいと思うほどだ。何がそんなに嬉しいうれ  のか、というほど目を細め、口を上げて微笑んほほえ でいる。それがピントもばっちりのアップで写された、良い写真である。ぼくはときどき「こんなに可愛い赤ちゃんが、今ではすっかりかわいくない少年になってしまったね」と冗談じょうだんを言う。母はそれを聞くたびに、そうねえと大笑いをするのだ。
 ある日、ぼくはひとりで留守番をしていてひまだったので、その写真をしげしげと眺めなが てみた。本当に自分なのか疑っうたが た、というわけではないが、成長した現在の顔と、どれくらい変わったか見比べてみようと思ったのだ。
 色々と見回してみて、一つ、昔と今でまったく変わっていない部分を発見した。それは、鼻の頭にある小さなきずだ。今では痛くいた もかゆくもない傷あときず  であるが、写真ではついたばかりのようで、よく見ると結構痛々しいいたいた  感じだった。こんなきずがあるのににこにこしているとは、やはり赤ん坊あか ぼう無邪気むじゃきなのだなと、ぼくは他人事のように思った。
 やがて母が帰ってきて、ぼくは気付いたことを報告した。すると母は、やけに重々しい口調で、「実は今まで隠しかく ていたことがある」と切り出した。それは、ぼくにとって衝撃しょうげきの事実であった。
 なんと、ぼくの鼻のきずは、まさにこの写真を撮っと た時についたものなのだという。カメラを構えた父に向かって、赤ん坊あか ぼうぼくはすごい勢いで這っは ていったらしい。母が止めるひまもなかったという。そしてぼくはそのままカメラのレンズに激突げきとつし、火がついたように泣きわめいたのだそうだ。
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 そう、微笑ましいほほえ   まいだとばかり思っていたこの写真は、笑っているのではなく、痛みいた 驚きおどろ で泣き出す寸前すんぜん(ゆが)んだ表情をとらえたものだったのである。
 人間の先入観とは恐ろしいおそ   ものだ。ただ、それが分かった上で見てみても、写真の中の赤ちゃんはやはり幸せそうに見える。痛みいた や失敗も含めふく て、愉快ゆかいな家族の思い出になっているからだろうか。
 今まで注目してこなかった写真にも、さまざまな隠さかく れた物語があるのかもしれない。ぼくは今度の留守番のとき、改めて古いアルバムを開いてみようかと考えた。

(言葉の森長文ちょうぶん作成委員会 ι)
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a 長文 11.2週 hu
 わたしたちは長い間、木綿と木の中で暮らしく  てきた。だが明治以降いこうそれを捨てす て、新しいものへ、新しいものへと人工材料を追いかけてきた。
 (中略)
 今、千三百年たった法隆寺ほうりゅうじのヒノキの柱と新しいヒノキの柱とではどちらが強いかときかれたら、それは新しいほうさ、と答えるにちがいない。だが、その答えは正しくない。なぜならヒノキは、切られてから二、三百年の間は、強さや剛性ごうせいがじわじわと増して二、三わり上昇じょうしょうし、その時期を過ぎて後、ゆるやかに下降かこうする。その下がりカーブのところに法隆寺ほうりゅうじの柱が位置していて、新しい柱とほぼ同じくらいの強さになっているからである。つまり、木は切られた時に第一の生を断つが、建築の用材として使われると再び第二の生が始まって、その後、何百年もの長い歳月さいげつを生き続ける力をもっているのである。
 バイオリンは、古くなるほど音がさえるというが、それもこの材質の変化で説明できる。用材の剛性ごうせいが増すとともに、音色がよくなるのである。したがって、音色がよくなるのはある時期までで、その後はしだいに元にもどっていくだろうことも想像に難くかた ない。
 ところで、その名人によると、ヒノキでつくったバイオリンは、どうしても和風の響きひび がするというのである。もともとバイオリンは、トウヒとカエデを組み合わせてできたものである。使用する樹種じゅしゅも形も、十六世紀後半に定まり、それ以後、近代科学の改良案もほとんど寄せつけないほどに完成した、手工芸の結晶けっしょうである。ほかの樹種じゅしゅ置き換えるお か  のが難しいむずか  ことはよくわかる。だが、ヒノキのバイオリンは和風の響きひび がするというのはおもしろい。
 木は同じ種類のものでも、産地により立地によって、材質が少しずつ違うちが それは、物理的、化学的な試験によっても証明できないほどの微妙びみょうな差であるが、市場では長い経験によってそれぞれを区別し、値段ねだん取り扱いと あつか 違っちが ている。例えば、ヒノキの中では木曾きそ産のものが最高級だ、といったような評価である。
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 また、木はそれが生育した土地で使われたとき、いちばんしっくりとして長持ちするということも、木に詳しいくわ  人たちのよく知るところである。これは木のもつ風土性とでもいうべきもので、どこか食べ物の話に似ている。その土地でとれた素材を使い、伝統の調理法でつくった料理がいちばんうまい、というのと同じような意味あいである。
 ヒノキの属には世界に六つの種があるが、なかでも日本のヒノキは材としての風格が一段といちだん 高い。だからこそ白木造りの建築が生まれたのであるが、それは日本という風土の中に置かれたときが最もふさわしく、また性能も発揮はっきする。つきつめていえば、木曾きそのヒノキは木曾きそで使われたとき、奈良ならのヒノキは奈良ならで使われたときが、いちばんしっくりするということになるだろう。
 わたしたちは、機械文明の恩恵おんけいの中で、工学的な考え方に信頼しんらいを置くあまり、数量的に証明できるものにのみ真理があり、それだけが正しいと信じすぎてきたきらいがあった。だが、自然がつくったものは、木のように原始的で素朴そぼくな材料であっても、コンピューターでは解明できない側面をもっているのである。

 (小原二郎じろう『日本人と木の文化』による)
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a 長文 11.3週 hu
 だれもがよく知っているお伽噺 とぎばなし桃太郎ももたろう」は、「ある日おじいさんは山へ柴刈りしばか に、おばあさんは川へ洗濯せんたくに行きました」という語り出しから始まっている。このお伽噺 とぎばなしが昔から変わることなく子供こどもたちをひきつけてきたのは、波乱はらんに富んだ冒険ぼうけん談のまくあけを、かつての日本人にとってもっともありふれた日常生活の一場面に置いた、その巧みたく な語り出しにあるのではなかろうか。
 年寄りが行けるような身近な所に、たきぎ採りのできる林があり、また、家のすぐそばには洗濯せんたくのできるきれいな小川が流れているといった、この素朴そぼくな集落の光景は、日本人にとっての一つの原風景といってもよいだろう。東アジアの季節風地帯に属し、気候が湿潤しつじゅんであるために豊かな森林と川に恵まれめぐ  たこの国では、住民の生活は、この森と川の恩恵おんけいのもとに営まれてきたのであった。
 (中略)
 そこで思いあたるのは、この国のもともとの集落形成が、多くの場合、扇状地せんじょうちから始められてきたことだ。扇状地せんじょうちは、山地の渓流けいりゅうが平野にそそ込むこ 地点で砂礫されき堆積たいせきして作られた、なだらかな地形である。
 背後はいごに山を背負いせお 前には平野をのぞむこの扇状地せんじょうちは、水はけのよい土に恵まれめぐ  、またその末端まったんのあちこちからは、一度伏流ふくりゅうした谷川の水の一部が再び穏やかおだ  な小川となって流れ出している。それは、日本の自然のなかでもっとも人間にやさしい部分といってよいだろう。人びとはここに拠るよ ことによって「荒々しいあらあら  湿潤しつじゅん」がその反面に持つ豊穣ほうじょう享受きょうじゅしてきたのであった。
 おじいさんは山に、おばあさんは川に、という描写びょうしゃは、まさにこのような集落の情景を表している。ここでは、集落をとりまく山麓さんろくの森林は薪炭しんたん材、日用材や農用材のほか、緑肥、木の実、山菜から家畜かちく飼料などに至るいた まで、さまざまな生活資源しげんを引き出せるたからの山であり、また、そこから流れ出す川は、良質な生活用水を供給きょうきゅうする母なる川だったのだ。
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 こうした人間の身近にあって生活のさまざまな面で利用されるような森林を、日本人は里山と呼んよ できた。この里山の特色は、人間によってきわめて集約的に利用されながら、しかし、けっして消滅しょうめつすることなく、長く維持いじされてきたことにある。(中略)
 しかし里山が長く維持いじされてきたもう一つの理由は、里山が、さきにも述べたような木材以外の、さまざまな資源しげん採取の場としても利用され続けてきたからである。しかも、そうしたものの採取は、つねに取りつくす「刈り取りか と 」でなしに、必要な時に必要な分だけを求める「み採り」によってきた。
 刈り取りか と は、弥生やよい時代以来の農耕文化のもっとも基本的な収穫しゅうかくの方式である。しかし日本人の里山の利用には、いわば縄文じょうもん時代以来の伝統ともいうべき多様なみ採り行為こうい含まふく れていたのだった。この国では長い間、農耕地からの刈り取りか と と里山からのみ採りによって人びとの生活が成り立ってきたのである。
 また、こうした里山への働きかけの底流には、自然への畏敬いけいがあった。西洋の宗教しゅうきょうと日本の宗教しゅうきょうの大きな違いちが は、前者が排他はいた的な一神教であるのに対し、後者は多神教であることにある。そこで、天上に唯一ゆいいつの神が在って世界を支配するのではなく、地上のあらゆるものに神々が宿るとみる心から、山や川までが素朴そぼく信仰しんこうの対象になっていたのであった。このことが、西洋における自然の合理的制御せいぎょとは異なること  、自然への順応を支えてきたとみてよいだろう。
 その象徴しょうちょうが、集落を囲む里山の一角に必ずあった、鎮守ちんじゅの森である。鎮守ちんじゅの森は、村人の信仰しんこうの場であると同時に、里山のなかに巧みたく 織り込まお こ れた、今でいえば保存ほぞん林にあたる聖域せいいきでもあった。集落一帯の環境かんきょう保全の急所ともいえる場所に鎮守ちんじゅの森が配置されていたことが今では知られている。

石城謙吉「森はよみがえる」による)
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a 長文 11.4週 hu
 ぼくは一度だけじゅくに通ったことがある。
 小学校の六年生から中学の一年生の春までの間で、場所は北海道の帯広だった。じゅくの名前は正式の名称めいしょうがあったはずだが、今や覚えているのはたぬきじゅくという通称つうしょうのほうだけだ。(別名ぽんぽこじゅく呼ばよ れていた)何故そのじゅくに通いだしたのかは忘れわす てしまった。多分同級生がそこへ通っていたからだろう。あのころぼくには三人の仲間がいた。
 ありもり、おのだ、まなべ、の三人である。ぼく含めふく て四人は学校が終わると毎日自転車をとばしてじゅくへ通うのだった。雨の日も風の日も僕らぼく は自転車でそこへ通っていた。競争するように競って、びゅんびゅん風を切って走っていたのである。
 そうだ、今思い出した。ぼくがそこへ彼らかれ と通うようになったのには、ちょっとした理由があったのだ。同じクラスのあやべさんという女の子がやはり通っていたからだ。ぼく彼女かのじょのことがきっと好きだったのである。どうもまだ愛とかこいとかその手の感情に鈍感どんかんな時期だったので、あれがそういう感情のものだったかどうかちょっと自信がないのだが、授業中彼女かのじょのきりりとした横顔を見るのがすきだったことは確かだった。その横顔をもっと見たくて勉強の嫌いきら ぼくじゅく通いを決心したのである。あやべさんは帯広の大きな病院の令嬢れいじょうで、ゴトウクミコにまさるともおとらない美形(いや、これは信じて頂くいただ しかないのだが)な才女だったのだ。学校では当然人気者で、ぼくなどそうやすやすと近づくことさえできなかったのである。だから、ぼく彼女かのじょと同じじゅくへ通うことにしたのだ。(中略)
 僕らぼく じゅく帰りに、途中とちゅうの国道沿いぞ の雑貨屋で肉饅にくまんを買って食べる習慣があった。季節が変わり寒くなりはじめると湯気の昇るのぼ を食べることがすごく楽しみになるのだ。北海道の夜空は星が高く、きらきらと散りばめるように灯っていて吸い込ます こ れそうだった。僕らぼく は肉を口いっぱいにほおばりながら、その神秘しんぴ的な輝きかがや を見
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つけていた。大きな星空を見ていると、自分たちの存在そんざいの小ささに気を失いそうになった。
 僕らぼく 微妙びみょう年頃としごろであった。こいを知り、物事をわきまえ始める年齢ねんれいであったのだ。
「なあ、ニック。君はだれか好きな女の子はいるのかい」
 ジョンはかんコーヒーをすすりながらそういった。
 ぼくは思わず食べていた肉のど詰まりつ  そうになって、一度咳払いせきばら をするのだった。
「なんだよジョン、いきなりそんなことききやがって」
(帯広はあまり方言らしい方言がなく、ほとんど標準語であった。それから僕らぼく 年齢ねんれい子供こどもたちはテレビの影響えいきょうもあって、東京風の言葉を使うのがかっこいいとされていたのである。ぼくは直ぐに土地の言葉や習慣になれる才能を持っていたのだ。それがないと転校生は余所よその土地では生き残ってはいけないからだ)
「お、顔が赤いぞ。さては図星君だな」
 ジョンがそういってぼくかた叩くたた ので、ぼくは思わず目を伏せふ てしまった。
「だれだよ、ニックはだれが好きなんだ」
 ロバーツがあおる。
「ひゅー、ひゅー」
 サムはポケットに手を突っ込んつ こ だままマフラーに首をすくめてぼくを冷やかした。(中略)
 ぼくは夜空を見上げた。星の瞬きまばた がキャサリンのウインクのようでむねがときめいていた。沢山たくさん初恋はつこいを経験していたが、多分あのときの感情がぼくの本当のこいの第一歩ではなかったかと思うのだ。むねがときめくということを知ったのはまず間違いまちが なく(断言はできないが)キャサリンが最初の女性であった。

つじ仁成ひとなり「キャサリンの横顔」)
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a 長文 12.1週 hu
 わたし朝寝坊あさねぼうなどしたことがない。いつも早寝はやね早起きを心がけ、時間的余裕よゆうを持って行動している。それはなぜかというと、以前、父から「会社に遅刻ちこくして上司を激怒げきどさせた」という話を聞いたことがあるからだ。
 父はそのことをまるで笑い話のように語るが、わたしは、とてもそんなのん気にはなれない。わたしの学校の先生は、みんな厳しいきび  のだ。そんな先生たちに叱らしか れて、震え上がるふる あ  ような思いをするのは絶対にいやである。
 理由はもう一つある。そうした生活パターンのおかげで、わたしは六年生になるまで、ずっと皆勤かいきん賞を続けていた。卒業まであと数ヶ月かげつ。六年間の皆勤かいきんは、わたしの大きな目標でもあった。
 しかし、わたしのそんな頑張りがんば があっさりと無駄むだになる出来事が、つい最近起こってしまった。その日もわたし寝坊ねぼうをしなかった。定刻ていこくに起きて、家を出発したのである。それなのに、乗り込んの こ だ電車が止まってしまったのだ。
 車内アナウンスが、電線に異常いじょうがあり走行できなくなった、と伝えていた。わたし呆然とぼうぜん した。このままでは遅刻ちこくはまぬがれない。それも、ひどい大遅刻ちこくだ。せっかくこれまで気をつけてきたというのに、しかも自分の責任ではないのに!
 携帯けいたいで母に電話をかけると、速報が出ているから学校も分かっているはずだ。あなたは怪我けがをしないように気をつけなさい、と優しくやさ  言ってくれた。そうやって落ち着かせてもらうまで、わたしの頭は焦りあせ 苛立ちいらだ 混乱こんらんしていた。
 しばらく待っても電車は動く気配がない。ついに、わたしたちはその場で電車を降ろさお  れ、次の駅まで歩く羽目になった。
「今からドアを開きます。お体をお離しはな ください。お()りになる際は、押しお 合わずゆっくりとお願いいたします。」
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 そんなアナウンスを聞いて、わたしは「いつもは乗るときに同じことを言っているのにな」と少し面白くなった。このころには、普段ふだんのペースから外れた特別な状況じょうきょうを、どこか楽しめるようになっていたのである。
 長々と続く線路。普段ふだんなら決して見ることができない光景だ。その上を歩いていると、昔見た古い映画えいがのワンシーンが思い出されて、思わずうきうきしてしまった。
 学校に到着とうちゃくしたのは、一時間目の授業が終わるころだった。教室に入ったわたしを、担任たんにんの先生は気の毒そうに見た。母の言ったとおり、遅刻ちこくの理由も、そしてわたし皆勤かいきんを目指していたことも知ってくれていたのだろう。今日、遅刻ちこくしたのは自分のせいではない。しかしわたしは不思議と、素直に「すみません」と謝ることができた。
 人間にとって、たまには時間に縛らしば れず、解放的な気分を味わうのもいいのかもしれない。皆勤かいきん賞の夢は途絶えとだ たが、代わりに貴重きちょうな体験をすることができた。「急がば回れ」ということわざもある。わたしは一度くらい、のんびり朝寝坊あさねぼうをしてみるのもいいかな、とふと思った。

(言葉の森長文ちょうぶん作成委員会 ι)
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a 長文 12.2週 hu
 人は生まれながらにもっている性格があるね。
 しかし、その人の経験と努力で、ある程度変えることができる。
 また、人は生まれながらにもっている資質というものがある。こちらのほうはうっかりしていると気づかないもので、自分の資質がどういうものなのかなかなかわからない。
 この資質は、ちょうどその人だけのいずみのようなもので、だれでもがすぐれた資質をもっているのに、一生かかっても掘りほ 当てられない人がいる。(中略)
 若いわか 君たちは、自分のすばらしいいずみがどこにあるのか、さがしている時期だ。大いにいろいろのことをやって、さがしたらいい。
 そして、ちょうど釣りつ をしているときのように、コツンと当たりがあったら、そこに君がかくれているのだからじっくりやってみたらいい。すぐにあきてしまわないで、持続することも大切なんだ。しんぼう、しんぼうってわけ。
 高校とか大学とかに入るというのももちろん一つの標的だろう。自分で決めた標的なら、みごと的の中心をねらいどおり射抜くいぬ べきだ。
 しかし、高校や大学の入試という標的だけでは、だれもがねらう的だし、青春のすべてをかけるには、ちょっとさびしい気もする。ケンカの相手としても、月並みつきな でもあるね。
 君だけにしかない、君自身の青春の標的。標的は夢のあるビッグのほうがいい。若いわか 君には無限の可能性があるのだから。
 しかし、それは君の資質にあったものでなければならないだろうね。といっても、まだ資質のいずみ模索もさく中なのだから、君の好きなことでいい。なにかが好きということは、そこに資質の鉱脈があるのだから。
 たとえば、勉強がどうしても嫌いきら でスポーツが好きな人は、スポーツに君自身の標的をかかげて、二度とこない青春のあいだにやりぬく目標を決め、ライフルの標準をピタリと合わせたらいい。君自身で決めた目標がなかったら、自分にどのようにツッパッたらいいかわからないってもんだ。
 自分のかかげた標的にむかって、一流のツッパリ方をしてみようじゃないか。
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 青春のうちにこれだけはやった! その自信が君を大きく変えてゆく。
 さてそこで、標的をかかげるにあたって、君は生活を選ぶか人生を選ぶかだ。
 生活と人生は同じようで、実は大いにちがうんだね。多くのオトナは生活のほうを選んでしまう。大学を出て就職しゅうしょくしてマイホームをつくり、子どもを育てる。もちろんこうした生活は大切なことだ。しかし、その生活のために、せっかく掘りほ 当てた自分のいずみ涸らしか  てしまう人が多いんだね。
 人生を選ぶというのは、自分の資質に合ったことをして、たとえ貧しくても生活ができ、おのずと社会に役立つ生き方になっていることなんだね。生きている意義が実感でき、他人のではない自分自身のこれが生き方だと、自信をもっていえる生活。
 そういう人生を選ぶと、この地球上の一角に、君自身のつめあとをつけたことになる。
 それには、これまでふれたように、社会を高みから見おろすのではなく、ひとの苦しみやいたみのわかる低い視線しせんが必要だろう。感動を大切にすることも重要だ。また「知」のたのしみを知ることや広い視野しやで地球社会を見ることも。(中略)
 いまアメリカでは高校生の間に、「ジェントルマンズC」という合言葉があるそうだ。本当のジェントルマンは、オールAの成績をとろうとしてガリ勉するものではなく、テニスをしたり、マイコンに夢中になったり、ヨットで遊んだり、女の子とドライブを楽しんだり……勉強もそのうちの一つという考え方なんだね。学校の成績はCでも、広い視野しやでさわやかに行動できる人のほうが、物事を大きく把握はあくし、国際人として実力を発揮はっきできるってわけ。
 君もひとむかし前のガリ勉の野暮ったいやぼ   ジェントルマンではなく「ジェントルマンズC」の精神で青春をすごそうじゃないか。
 君らしいさわやかな青春の標的。
 輝かしいかがや   標的をもたないオトナなんてメじゃないってわけだ。
 そして、君の資質にあった好きな職業を選ぼう。生活のためにいやいや働いたのでは、君自身の人生を生きることができず、君の人生という大きなケンカに負けてしまうからね。
 (佐江さえ衆一しゅういち「けんかの仕方教えます」)
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a 長文 12.3週 hu
 がんばることが大好きな日本人は、さまざまな場面で「努力」「勉強」などという言葉を好んで使います。「勉強しなさい」とは、学校でも家でもよくいわれることで、みなさんの中にはいいかげん耳にたこができている人もいるのではないでしょうか。みなさんは小学校時代を通じていろいろなことを学び、そして、さらにこれから中学校に進学して勉強をつづけようとしています。それでは「勉強」とはどのようなもので、何のためにするものなのでしょうか。
 日本の漢字には音読みと訓読みがあります。「べんきょう」というのは音読みですが、これを訓読みにしてみると「つとめしいる」と読むことができます。「つとめる」とは一所懸命いっしょけんめいにはげむこと、「しいる」とは無理やりやらせることといった意味です。つまり、「勉強」には、「学問につとめはげむ」という意味の中に、何かを無理じいするニュアンスがふくまれるため、はじめからいやな印象がつきまとっているのです。「勉強しなさい」といわれて、いやな気分になるのは、もっともなことかもしれません。
 また、日本語の「勉強」には、次のような使い方もあります。
 例えば、八百屋さんで野菜を買おうとするときのことです。できるだけ安く買いたいと思い、ねぎったときに、八百屋さんが、「勉強しましょう」といいます。
 これは、本当は安くしたくはないのだけれども、しかたない、お客さんのためにおまけしますという意味です。
 この八百屋さんは安く売ることを「つとめ、しい」られていますが、みなさんがやっている「勉強」の場合にも、何かいやなことを「つとめ、しい」られるという感じがあるのではないでしょうか。次にこの「勉強」について、中国語のもとの意味から考えてみましょう。
 中国語の「勉強」にも「つとめ、しいる」、「むりじいする」という意味はあります。しかし、現在、中国では、みなさんがやっている「勉強」には、「学習」という漢字を使います。「わたしは日本語を勉強しています。」を中国語に直すと、「われ学習日本語。」となります。しかも、中国語でいう「勉強」は、学問だけにつとめはげむという限定された意味では用いません。
 (中略)
 島国の日本は歴史的にみて、つねに新しい外来の文化をより早くより多く輸入しなくてはならない状況じょうきょうにありました。最初は中国から、明治時代以後はヨーロッパから、多くの知識を夢中になってとりいれてきました。その結果、日本人は外来文化の表面的な部分ばかりを身につけ、内面的な部分について学ぶことをなおざりにし
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てきてしまったきらいがあります。何のために「勉強」するのかという目的を問う前に、知識をえるために、がむしゃらに「つとめ、しいる」くせがついてしまったのです。こうした背景はいけいから日本では、学問がただ単に「つとめ、しいる」作業として考えられ、めんどうくさく、たいくつで、つまらないものといったイメージが強くなってしまったのだと思います。しかし、学生時代は、人間がこれまで築いてきた文化の基本をひろく学び、自分自身の生き方を考える時でもあります。まさに学校の授業を通じてなされる「勉強」の大切な点はここにあります。
 みなさんの進む方向がそれぞれちがうように、「勉強」の目的も人によってさまざまでしょう。そして、目的は最初からあるものでなく、また人から強制されるものでもありません。自分の行くべき道を自分でさがしていくには、多くの困難こんなんもともなうでしょう。そうした困難こんなんにうち勝ち、自分の勉強する目的をはっきりさせ、勉強する中で自分の生きがいを見出すことができたら、「勉強」も苦痛くつうではなく、充実じゅうじつしたものになるでしょう。
 「勉強」とは、それ自体が目的ではなく、あくまでもそこへ行きつくための手段しゅだんにすぎません。手段しゅだんを目的とかんちがいするときに「勉強」は単なる苦痛くつうの種になってしまうのだと思います。
 大切なのは、何のために学ぶかです。したがって、学生時代とはこの課題を「勉強」を通じて考えていく、いわば自分探しさが の旅の始まりにもたとえることができるでしょう。

 (和洋九段くだん女子中より)
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a 長文 12.4週 hu
 いもがあたえられると、サルたちは、目の色をかえてとびつき、いもをつかむと、いそいで海にもっていきます。いもについたすなをあらって食べるためです。いもを両手にもち、あとあしで立って走るサルもいます。そのために、ほかの場所にすむサルは、めったに二本あしでは歩かないのに、この島のサルたちは、立って歩くことが、とてもうまくなりました。
 年よりたちは、海水にいもをつけ、手でごしごしこすって、すなをとります。ところが、母ザルたちは、海水のなかで、かるくゆするだけです。それで、じゅうぶんすながとれます。しかも、母ザルは、ひとくちかじるたびに、いもを海水につけています。「どうしてだろう。」キョンは、ふしぎでした。でも、海水になかに落ちているかけらを食べてみて、わけがわかりました。おかあさんは、いもに塩味をつけていたのです。
 「ペペッ」キョンは、口のなかのものを、あわててはきだしました。砂浜すなはまにまかれたむぎを食べると、すながいっしょにはいってきて、すごくまずいのです。
「ばかね、こうするんだよ。」とでもいうように、おかあさんは、むぎをすなといっしょにかきあつめ、それを手でつかんで海へもっていき、水のなかになげいれました。むぎについていたすながすっかりとれ、むぎは、水中で、金のつぶのように光っています。おかあさんは、それをひろって食べました。
「ふうん、いいやりかただな。」と思って、キョンはまわりを見ました。と、みんな、そうしているのです。「へええ、頭がいいんだな、みんな。」キョンは、すっかり感心してしまいました。
「あれ、どうしたんだろう。」キョンは、サンゴを見て、ふしぎに思いました。サンゴは、この群れでいちばん強いメスです。それが、むぎあらいをせず、すわったまま、きょろきょろとまわりを見まわしているのです。
 ノギクがすなを手でかき、むぎを集めはじめました。サンゴは、それをじいっと見ています。ノギクがむぎを集めて手にもち、海になげいれると、サンゴは、すかさず走っていって、ノギクのせなかをつきとばしました。ノギクは「キャッ」と悲鳴をあげてとびのきます。そのすきに、サンゴは、水中になげられたむぎを、よこどりしてしまったのです。ノギクは、しばらくくやしそうに見ていましたが、強いサンゴにさからう勇気はありません。すごすごと、また、むぎを集めました。
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 サンゴは、よこどりが専門せんもんです。「悪いやつだなあ。」と、キョンは、あきれはててしまいました。(中略)
 幸島こうじまは、海にかこまれているのに、むかしは、だれも海にはいるものはいませんでした。ある日、海に落ちたピーナツをひろうのに、子ザルが海にはいってから、みんなが海にはいるようになったのです。でも、カミナリをはじめ、年をとったサルたちは、けっして水のなかへはいろうとしません。考えかたが古いので、新しくはじまった行動をとりいれることができないのです。新しい発見や発明をするのは、ほとんど、古い習慣にとらわれない子どもたちです。子どもは、文化のつくり手です。
 しおがひくと、群れは、いっせいに海岸へ行き、貝を食べます。ウノアシやヨメガカサのように、岩にぴったりはりついているものは、歯ではがしとります。まき貝のクボガイもだいすきです。キョンも、クボガイをひろって食べました。おいしくて、ほっぺが落ちそうです。
 むかしは、貝を食べるものは、だれもいませんでした。それが、十数年まえに、はじめて、食べるものがあらわれたのです。だれがさいしょだったかは、わかっていません。でも、これも、きっと好奇こうき心の強い、子どものサルだったのでしょう。貝を食べる行動は、しだいに群れのサルにつたわっていき、いまでは、ほとんどみんなが食べるようになりました。新しい食習慣が、群れにできたのです。
 つまり、貝食いという食物文化が、新しく生まれたのです。
 その後、キョンがおとなになってから、島の漁師がすてた魚を食べるものが出てきました。なかには、つり人がつった魚を食べるものが出てきました。なかには、つり人がつった魚をねだるものもあらわれはじめ、つり人をこまらせています。いずれ、魚食いも、この群れの食物文化になることでしょう。世界じゅうのサルのなかで、生魚を食べる習慣をもった群れは、ほかにありませんから、この行動は、とてもめずらしがられることでしょう。
 それにしても、幸島のサルたちは、いもあらい、むぎあらい、貝食い、魚食いと、つぎつぎと新しい文化を生みだしてきました。新しい行動を身につけたり、問題を解決していくちえをもっているのには、びっくりします。そして、「文化をもっているのは、人間だけではないんだなあ。」と、考えさせられます。
(河合雅雄まさお「ニホンザル」)
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