a 長文 10.1週 ku
今日きょう十五夜じゅうごやだから、お団子だんご作ろつく うか。」
 (あさ)ごはんのあとで、お母さん かあ  言いい ました。わたしは、大きなこえで、
「うん、作ろつく う。作ろつく う。」
騒ぎさわ ました。お母さん かあ  は、にっこりしながら、
「じゃあ、材料ざいりょう用意よういしておくから、今日きょう遊ぶあそ 約束やくそくをしないでね。」
言いい ました。
 わたしは、小さいころからなんかいもお団子だんご作っつく たことがあります。わたしはお団子だんご作りづく 大好きだいす です。こねた生地きじ手の平て ひらでころころと丸めまる ます。まるで粘土ねんど遊びあそ のようです。粘土ねんど違うちが のは、お団子だんごほうがおいしそうな匂いにお がするところです。お母さん かあ  はゆでてからでないと食べた られないと言うい のですが、いつも、こっそり一口だけかじってみたくなります。
 いえ帰るかえ と、すぐにお団子だんご作りづく 取りかかりと    ました。お母さん かあ  用意よういしてくれていたお団子だんごこなと水を混ぜま ます。
「ゆっくり混ぜま ないと、はねるから気をつけて。」
注意ちゅういされたので、なるべく丁寧ていねいに気をつけてかき混ぜ  ま ました。だんだん粘土ねんどのようにまとまってきました。お母さん かあ  は、
「どれどれ、ちょっと見せて。」
と、少しすこ つまむと、
「耳たぶくらいの柔らかやわ  さになったかな。うん、いいんじゃない。もう丸めまる ていいよ。」
言いい ました。そんなときのお母さん かあ  は、てきぱきしていて、まるで学校の先生のようだなと思いおも ます。生地きじをむにゅっと取っと て、ピンポン玉くらいの大きさに丸めまる ていきます。お供え そな にするのは十五です。
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残りのこ は、お母さん かあ  わたしのおやつになります。十五までは同じおな 大きさになるように、丁寧ていねい丸めまる ました。
「やった。十五できた!」
 丸めまる 終わっお  たお団子だんごをよく見てみると、大きさもまちまちだし、かたちまん丸  まるではありません。丁寧ていねい作っつく たはずなのに、おかしいなあとこころの中で思いおも ました。そんなわたし気持ちきも がわかったのか、お母さん かあ  は、
「上手にできたね。お母さん かあ  が子どものころは、こんなに上手に丸めまる られなかったよ。お月さま喜んよろこ でくれるね。」
言っい てくれました。ゆで上がったお団子だんごは、もっちりしていてとてもおいしそうでした。
 十五夜じゅうごやでは、お団子だんごは十五お供え そな するのだそうです。中秋ちゅうしゅうの名月というのは、むかしこよみで八月十五日のお月さまのことをいうのだとお母さん かあ  教えおし てくれました。十五日だから十五お供え そな するのかなとこころの中で思いおも ました。十五のお団子だんごを、まるでピラミッドのように重ねかさ て、まどのそばに置きお ました。まん丸  まるなお月さま嬉しうれ そうにこちらを見ているような気がしました。

言葉ことばの森長文ちょうぶん作成さくせい委員いいんかい ω)
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a 長文 10.2週 ku
 もののいろ当たっあ  ひかりの中で、どのいろ反射はんしゃするかによって決まりき  ます。「赤」のものにひかり当たるあ  と、「赤」以外いがいいろはものの表面ひょうめん吸収きゅうしゅうされてしまいます。そして「赤」だけが反射はんしゃして、そのひかりが見えるので赤く見えるというわけです。それ以外いがいひかりは、プリズムを通すとお と見ることができます。美しいうつく  七色なないろにじのように、実際じっさいひかりにはいろいろないろが入っています。 
 この人間にんげんに見えるいろというのは、可視かし光線こうせんとよばれ、波長はちょうながさで決まっき  ています。ひかりの中で可視かし光線こうせんより波長はちょう長いなが ものを赤外線せきがいせん短いみじか ものを紫外線しがいせん呼んよ で、これらは目で見ることはできません。しかし、昆虫こんちゅうの中には紫外線しがいせんを見えるものも多くおお 、モンシロチョウも紫外線しがいせん相手あいてを見て、オスかメスか判断はんだんしているそうです。
 ベンハムの独楽こまという実験じっけんがあります。これは、ほんとうはないいろが見えるというもので、目の錯覚さっかくのひとつです。円の下半分はんぶん黒くくろ ぬり、上半分はんぶんくろでしまのようなもようを描きえが ます。これにしんを通して とお  独楽こま作りつく ます。回しまわ てみるとあらふしぎ。白とくろしかないはずなのに、回しまわ かたはやさや向きむ によって「青」「みどり」「赤」などのいろが見えるのです。これは、人間にんげんの目がもついくつかのセンサーの「感じ取るかん と 時間じかん」にがあるため、くろから白に切り替わるき か  ときに、べついろに見えてしまうというのがおも原因げんいん言わい れています。この独楽こまで見えるいろのことは「ベンハムカラー」と言いい ます。 
 ベンハムとは人の名前なまえで、イギリスのおもちゃ製造せいぞう業者ぎょうしゃでした。十九世紀せいき終わりお  ごろ実際じっさいにこのような独楽こま作っつく 発売はつばいしたそうです。
 目の錯覚さっかくれいにはつぎのようなものもあります。たくさんの斜線しゃせんのために、ほんとうはまっすぐなはずの白い部分ぶぶんが、ゆがんだり斜めなな に見えたりします。
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 このことは、人間にんげんが目でものを見ているのではなく、目を通して とお  のうものを見ていることを示ししめ ています。

 言葉ことばの森長文ちょうぶん作成さくせい委員いいんかい(φ)


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a 長文 10.3週 ku
 生まれたてのおたまじゃくしは、長いなが しっぽをゆすって、およいでいますね。
 ところが、足がはえて、おかにあがるころには、しっぽが、とてもみじかくなっています。そして、おやがえるになったときには、しっぽは、もう、そのあとさえみえません。
 おたまじゃくしのしっぽは、どこへいったのでしょうか。
 おたまじゃくしが、かえるになって、おかにあがったあとで、いけの中をさがしてみてもしっぽは、どこにもおちていませんね。
 おたまじゃくしのしっぽは、おたまじゃくしが、たべてしまったのです。
 でも、それは口でたべたのではありません。おたまじゃくしのからだが、じぶんのしっぽをいつのまにかすいこんでしまったのです。だから、しっぽは、ちぎれたのではなくて、ちぢんだわけです。
 わたしたち、にんげんのからだだって、おたまじゃくしのようなことがありますよ。わたしたちは、年よりになると、たいてい、かみのが白くなりますね。あれは、かみのにはいっている黒いくろ いろのもとを、からだがすいこんでしまったからです。
 おたまじゃくしが、大きくなって、しっぽがきえるのと、にんげんが年をとって、しらがになるのと、おなじわけだなんて、おもしろいではありませんか。
 わたしたちのからだは、すみからすみまで、がながれていますが、あのには、わるいものや、いらないものをたべてしまうはたらきがあります。
 たとえば、びょうきのばいきんがはいってくると、は、それをたべてしまいます。
 おたまじゃくしのからだが、じぶんのしっぽをたべるのも、それとおなじようなことなのです。
 
 (「理科りかなぜどうして三年生」偕成社かいせいしゃ
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a 長文 10.4週 ku
 ユーモラスな表情ひょうじょうがかわいらしいドジョウは、どろの中がだいすきで、いけや田んぼなどのどろの中をすみかにしています。稲作いなさくをもとに生きてきた日本人にはたいへんなじみのあるさかなで、どんぐりころころなどの身近みぢか童謡どうようにも歌わうた れています。
 ドジョウのかおをおもしろく見せているのは、口元くちもとにはえた十本のひげです。このひげは、においをかいだり食べ物た ものをさがしたりするためにあるもので、生きるためには欠かか せない器官きかんなのです。
 おもしろいのは表情ひょうじょうだけではありません。ドジョウは人間にんげん同じおな ようにおならをするのです。
 さかなはえらを使っつか からだ酸素さんそ取り込みと こ ますが、ドジョウはえらばかりでなく、ちょうからも酸素さんそ取り入れと い ています。ドジョウが、まるで水のそと様子ようすをうかがうように、ひょっこりと水面すいめんかおをのぞかせることがありますが、それは空気を吸うす ためなのです。そして、ちょうの中にのこった空気は、おならとして排出はいしゅつします。ですから、さかななのにおならがでるというわけです。
 では、なぜドジョウがちょう呼吸こきゅうするのでしょうか。ドジョウは、水のそこにあるどろ飲み込んの こ でその中にあるエサを食べた 残りのこ どろのかすをえらから出して暮らしく  ています。そのために、ほかのさかながするようなエラ呼吸こきゅう十分じゅうぶんにできないので、ちょう使っつか 呼吸こきゅうをすると調子ちょうしがよいのです。
本当ほんとうですか。ドジョウさん。」
「ちょうです。」

 言葉ことばの森長文ちょうぶん作成さくせい委員いいんかい(ω)
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a 長文 11.1週 ku
「リレーの選手せんしゅは、そろそろ入場にゅうじょうもん行きい ましょう。」
 大内おおうち先生の大きなこえ聞こえき  ました。そのこえ聞いき たぼくは、きゅう心臓しんぞうがどきどきしてきました。ぼくは今年ことし、リレー選手せんしゅになれたのです。そわそわしながら入場にゅうじょうもんまで全速力ぜんそくりょく走りはし ました。
 入場にゅうじょうもん着くつ と、六年生の太一たいち(くん)からゼッケンを渡さわた れました。ぼくのグループは、青いゼッケンです。太一たいち(くん)にゼッケンをつけてもらっていると、いつのまにかお母さん かあ  となりていました。
「ゼッケンつけると、さすがにリレー選手せんしゅって感じかん がするね。がんばって。」
言いい ました。ぼくは少しすこ 照れくさくて    なりました。
 いよいよ入場にゅうじょうです。入場にゅうじょう音楽おんがく流れなが てきたら、不思議ふしぎなことに緊張きんちょうはどこかへ飛んと でいってしまいました。からだ軽くかる 、いつもより速くはや 走れはし そうな気がしてきます。
 ピストルの音で一年生がスタートしました。トラックを一周いっしゅうします。ぼくは乗り出しの だ て一年生を応援おうえんしました。練習れんしゅうのときは、いつも二でバトンをもらっていました。今日きょうはどうだろうと気になって仕方しかたありません。
 今度こんどは、いつものように二だけれど、一の子とあまりがないようです。ぼくは、絶対ぜったいに一になりたいと思いおも 、バトンを受け取りう と ました。
 赤のゼッケンは、すぐ目のまえにいます。すぐにでも追い越せお こ そうな気がしました。ぼくの周りまわ 歓声かんせい包んつつ でいます。ぼくは、走るはし のに夢中むちゅうで、応援おうえんだんこえお母さん かあ  たちのこえも、はっきりと聞こえき  ませんでした。直線ちょくせんでぼくは一気に赤を抜きぬ ました。あっという間     ま出来事できごとでした。
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「やった! 抜かしぬ  たぞ!」
 こころの中で叫びさけ ました。目のまえだれ走っはし ていないのは、なんて気持ちきも がいいのだろうと思いおも ました。そのまま一でバトンを渡しわた ました。太一たいち(くん)がぼくに飛びついと   てきて、
「やったな、やったな」
あたまをくるくるとなでました。ぼくは、まるでホームランを打っう 野球やきゅう選手せんしゅのようだと思いおも ました。
 ぼくたちのグループは、そのあと二になったり一位いちいになったりを繰り返しく かえ ていましたが、アンカーの太一たいち(くん)には、三でバトンが渡りわた ました。太一たいち(くん)は、バトンを受け取るう と と、ひゅうっとかぜ切るき ように走り出しはし だ ました。すぐに白を抜いぬ て二です。ぼくは必死ひっし応援おうえんしました。最後さいごのコーナーで、ついに赤も抜きぬ ました。一でゴールに入ってきた太一たいち(くん)は、とてもかっこうよくて、ぼくは太一たいち(くん)みたいになりたいと思いおも ました。

言葉ことばの森長文ちょうぶん作成さくせい委員いいんかい ω)
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a 長文 11.2週 ku
 雨が落下らっかするスピードは雨粒あまつぶの大きさによって変化へんかします。
 霧雨きりさめとよばれるきりのように小さな雨粒あまつぶ直径ちょっけいは、〇・五ミリメートル以下いかです。この大きさで雨のスピードは、秒速びょうそくニメートルです。時速じそくにするとおよそ七キロメートルです。
 ごく普通ふつうの雨は、直径ちょっけいニミリメートルくらいだといわれています。この大きさでは秒速びょうそく七メートルになります。時速じそくにすると、およそニ十五キロメートルで、気持ちよくきも   自転車じてんしゃをこいでいるくらいのスピードです。
 からだ当たるあ  痛いいた 感じるかん  ほどの大粒おおつぶの雨、たとえばなつの夕立などの雨になると、雨粒あまつぶ直径ちょっけいは五ミリメートル以上いじょうにもなります。この大粒おおつぶの雨では、秒速びょうそくは十メートル。時速じそくでは三十六キロメートルになるのです。
 雨に比べるくら  とハラハラと踊るおど ように舞い降りま お てくるゆきは、もっとゆっくり落ちお てきます。ゆきも、雨と同様どうよう様々さまざまな大きさがありますが、だいたい秒速びょうそくで五十センチから一・五メートルです。
 かみなりとともにふることが多いおお ものにひょうがありますが、このひょう驚くおどろ べきスピードでふってくるのです。直径ちょっけい五センチのひょう秒速びょうそく三十メートル以上いじょう時速じそくにして計算けいさんすると時速じそく一〇八キロメートル以上いじょうということです。これは高速こうそく道路どうろ走るはし 自動車じどうしゃのスピードぐらいですから、車のボンネットがへこんだり、農作物のうさくもつ被害ひがいをもたらしたりすることもあるのです。標的ひょうてきになったらたまりません。
 雨粒あまつぶ落ちお てくるときは、細長いほそなが かたちでも丸いまる かたちでもありません。あんパンやメロンパンのように、上が丸くまる て下が平らたい かたちです。しかし、あまり速くはや 落ちお てくるので、人間にんげんの目には雨がせんのようなかたち降っふ ているように見えるのです。
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 「雨が降ろふ うがやり降ろふ うが」というのは、「どんなときでも」という意味いみ言葉ことばですが、本当にほんとう やり降っふ てきたらどのくらいのスピードになるのでしょうか。そんな実験じっけんはあまりやりたくありませんね。
 言葉ことばの森長文ちょうぶん作成さくせい委員いいんかい(ω)
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a 長文 11.3週 ku
 ふゆのさむい日がくると、げんきなみなさんでも、手や足がかじかむことがあるでしょう。なつのように、やたらにのどがかわいて、がぶがぶ水をのむこともありませんね。
 木だって、おなじことです。
 ふゆになって、土がひえると、木の根き ねがかじかんで、水をすわなくなります。
 それでは、あついとき、わたしたちが、のどがかわくのは、なぜだかしっていますか。
 それは、からだをひやそうとして、あせをかくからですね。あせをかいてからだの中の水けがたりなくなると、水をのみたくなるのです。
 木だって、あせをかきます。
 にんげんのあせは、あなからでますが、木のあせは、葉っぱは  にあいている、目にみえない小さなあなからでます。木のあせは、じょう気になってでていくので、葉っぱは  がぬれることはありません。
 わたしたちは、あついときには、あなをひらいて、あせをだします。さむいときには、あなをとじて、あせをとめます。
 ところが、さくらや、もみじの葉っぱは  は、どんなときでも、あせのあなが、あけっぱなしです。こんな葉っぱは  ふゆでもくっついていたら、どうなるとおもいますか。
 葉っぱは  からは、どんどんあせがでます。それなのに、のほうは、かじかんで水をすいません。これでは、えだも、みきも、からからにかわいてしまうでしょう。かわいた木は、かれないわけにいきません。これではたいへんです。
 だから、さくらや、もみじは、さむいふゆがくるまえに、さっさと、葉っぱは  をおとしてしまうのです。
 まつや、つばきの葉っぱは  は、ふゆでもおちません。それは、あせのでるあなが、にんげんほどでもないけれど、さくらなどよりは、ぐあいよく、できているからです。
 さくらや、もみじでも、はるになったら、さっそく、葉っぱは  をださなければなりません。それで、ふゆのうちに、葉っぱは  になるめをよういします。
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 (「理科りかなぜどうして三年生」偕成社かいせいしゃ
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a 長文 11.4週 ku
 奈津なつ幼いおさな ころからとても利発りはつで、本を読むよ ことや文を書くか ことが大好きだいす な女の子でした。ひとたび本を読みよ 始めるはじ  と、友達ともだち遊びあそ 誘っさそ ても全くまった 応じおう ません。なぜなら、友達ともだち遊ぶあそ より本を読むよ ほうがずっと楽しいたの  のです。一さつの本を読みよ 終わるお  と、もう一度  いちどはじめからなん繰り返しく かえ 味わうあじ  ように読むよ のです。まるで本の世界せかい入り込んはい こ でしまったかのように熱中ねっちゅうしてしまうのでした。
 そんな奈津なつは、学校でも大変たいへん熱心ねっしん勉強べんきょう取り組みと く ました。あまりに熱心ねっしんなので、先生も驚いおどろ てしまうほどです。学ぶことが楽しくたの  仕方しかたがないのです。すなが水を吸うす ように勉強べんきょう理解りかいしていくのですから、成績せいせき大変たいへん優秀ゆうしゅうでした。
 ところがある日、思いがけないおも     ことが起こりお  ました。女の子はいえ手伝いてつだ 針仕事はりしごとをしたほうが役に立つやく た のだから、学校はやめるようにと、お母さん かあ  言うい のです。
 そのころは、学校へ通うかよ ことは恵まれめぐ  家庭かていの子だけが持つも 特権とっけんでした。普通ふつう家庭かていでは、家計かけいの足しにするために働くはたら ことが、学校で勉強べんきょうすることよりも優先ゆうせんされていました。東京とうきょう限っかぎ てみても、女の子の半数はんすう以上いじょうが小学校に通えかよ なかったのです。学校へ行けい ない子たちは、いえお母さん かあ  手伝いてつだ をしたり、小さなおとうといもうと世話せわをして働きはたら ました。
 奈津なつは、その時代じだいの女の子たちと同じおな ように、学校をやめました。しかし、勉強べんきょうに対する たい  熱いあつ 思いおも 一向にいっこう 冷めさ ません。冷めるさ  どころか、ますます大きく、強くつよ なってくるのでした。本が読みよ たくてたまらない奈津なつは、こっそりとくら入り込みはい こ 暗がりくら  の中、小まどから差し込むさ こ ひかりをたよりに、本を読みふけるよ    ようになりました。
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 いまから百二十年ほどまえ明治めいじ時代じだいはなしです。奈津なつはのちに樋口ひぐち一葉いちようという名前なまえ作家さっかになり、「たけくらべ」「にごりえ」といった名作めいさく残しのこ ました。

 言葉ことばの森長文ちょうぶん作成さくせい委員いいんかい(ω)
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a 長文 12.1週 ku
 今日きょうのお昼休みひるやす に、さとし(くん)が、
「サッカーしたい人、集まれあつ  。」
言っい たので、ぼくは、
「はあい。」
と、手を上げながら、さとし(くん)のところに行きい ました。ゆうや(くん)もたけし(くん)も、
ぼくも、ぼくも。」
言っい て、やって来   きました。それを見ていた、ほかの友達ともだち集まっあつ  ました。ちょうど十人集まっあつ  たので、五人ずつに分かれわ  てチームを作りつく ました。
「さあ、急いいそ 校庭こうてい行こい う。」
と、ぼくこえをかけると、ゆうや(くん)が、
「うん、早く行かい ないと六年生に場所ばしょ取らと れちゃうよ。」
と、大きなこえ言いい ました。
 うんよく、サッカーコートは()いていました。いよいよ試合しあい開始かいしです。ぼくは、キーパーになりました。どんなボールが飛んと できても、絶対ぜったい止めと てやるぞと思いおも ました。相手あいてチームには、地元じもとのサッカーチームで活躍かつやくしているはやと(くん)からだの大きいまさたか(くん)がいます。早速さっそく、はやと(くん)がシュートをしてきました。ものすごい勢いいきお でボールが飛んと できます。
「けんと、止めろと  よ。」
 誰かだれ こえ聞こえき  ました。ぼくは、こころの中で、
「ヨッシャー。」
叫びさけ 、ボールに飛びつきと   ました。一瞬いっしゅん、はやと(くん)のがっかりしたかおが目に映りうつ ました。
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 たけし(くん)が、
「けんと、よくやった。」
と、こえをかけてくれたので、ぼくは、
「おお。」
と、手を上げました。
 そのあともなんかボールが飛んと できましたが、ぼくは、必死ひっしでボールを止めと ました。どちらのチームも、なかなかてんが入りません。このまま引き分けひ わ 終わるお  かなと思っおも ていたときです。少しすこ 遠くとお にいたまさたか(くん)がいきなりシュートをしてきました。ボールは、ゴールに向かっむ  て、一直線いっちょくせん飛んと できます。ぼくは、あわててボールに飛びつこと   うとしました。ゆびの先がボールに触れふ たのがわかりました。でも、そのあと、ボールは、すっぽりゴールにおさまってしまいました。相手あいてチームから歓声かんせいが上がりました。
 ゆうや(くん)が、
「けんと、ドンマイ。大丈夫だいじょうぶだよ。ぼく絶対ぜったいてんを入れるから。負けま てたまるか。」
と、真剣しんけんかお言いい ました。ぼくは、まるで、ワールドカップの決勝けっしょうせん出場しゅつじょうしているような気分きぶんになってきました。そのあと、ゆうや(くん)は、パスされたボールを、見事みごとな足さばきでゴール近くちか まで運びはこ 、ゴールの右端みぎはしをねらってシュートしました。相手あいてチームのキーパーは、手も足も出ません。見事みごとなゴールでした。
 そのとき、お昼休みひるやす 終わりお  告げるつ  チャイムが鳴りな ました。ゆうや(くん)が、
勝負しょうぶは、明日あした持ち越しも こ だな。」
とつぶやきました。僕たちぼく  は、急いいそ 教室きょうしつ向かいむ  ました。

言葉ことばの森長文ちょうぶん作成さくせい委員いいんかい Λ)
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a 長文 12.2週 ku
 スフィンクスというのは、エジプトやギリシア、メソポタミアの神話しんわ登場とうじょうする、人間にんげんかお持ちも 、ライオンの胴体どうたい持つも という怪物かいぶつです。エジプトのスフィンクスは、あごひげを生やした王様おうさまかおをしていて、王様おうさま神様かみさま守るまも とされています。メソポタミアのスフィンクスは、かお女性じょせいで、わしつばさ持っも ています。ギリシアのスフィンクスも、かお美しいうつく  女性じょせいあし獅子ししで、つばさわしとなっています。
 スフィンクスは、たいへん知恵ちえがあり、なぞなぞやゲームが大好きだいす です。神話しんわによると、王の息子むすこオディプスは、スフィンクスがテーバイという町で通るとお ものになぞなぞを出して、解けと ないもの食べるた  というはなし聞きき ました。オディプスがってみると、スフィンクスはつぎのような問題もんだいを出しました。
あさには四本足、ひるには二本足、よるには三本足で歩くある ものはなにか。その生き物い ものはすべての生き物い ものの中で、いちばん姿すがた変えるか  ものである」
 それまでにも、多くおお の人たちが挑戦ちょうせんしましたが、だれもこのなぞ解くと ことはできませんでした。しかし、オディプスは、スフィンクスにこう言いい ました。
答えこた 人間にんげんだ。なぜかと言うい と、赤ん坊あか ぼうころはハイハイで四つ足、大人になると二本足で歩きある 、年をとるとつえをつくので三本足になるからだ。」
 なぞ解かと れたスフィンクスはうみ投げな てしまいました。
 人間にんげんはこのように、一生のうちでその姿すがたなん変えか ます。姿すがただけでなく、のう働きはたら 感情かんじょうなども、成長せいちょうとともに変化へんかします。これは動物どうぶつよりも、のうをはじめとしたからだのしくみが複雑ふくざつなせいです。スフィンクスは、このなぞなぞを通じて つう  、ほんとうはなに人間にんげん問うと ていたのでしょうか。いまとなっては知るし よしもありません。
 では、「あさには八本足、ひるには七本足、よるには六本足の生き物い もの」はなにでしょうか。答えこた は、お腹 なかのすいたタコが、ひる自分じぶんの足を一本食べた よるにもう一本食べた てしまったところです。
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 言葉ことばの森長文ちょうぶん作成さくせい委員いいんかい(φ)
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a 長文 12.3週 ku
 ふろあがりに、どこかのおじさんが、ぬれタオルをあたまにのせているのを、みたことはありませんか。
 ふろあがりでなくても、なつのあついとき、ぬれタオルをあたまにのせると、すずしいかんじがします。
 なぜでしょうか。
 それは、タオルの水がかわくとき、ねつをもっていってくれるからです。
 わたしたちは、ほんとうは、いつもタオルのようなものを、もってあるいています。さむいときは、そのタオルをかわかしておきますが、あついときは、さっそく水でぬらして、すずしくなるくふうをします。
 そのタオルのようなものというのは、わたしたちのひふです。からだじゅうにきているひふです。
 ひふタオルは、もめんのタオルほど、よく水をすいませんが、ぬらしたいときには、あとからあとから、あせをだして、しめらせておくことができます。
 そうすると、あせが、わたしたちのからだからねつをすいとって、じょうはつするのです。
 ところが、犬は、気のどくに、大きなひふタオルをもっていません。あつくても、あせをかいて、ひふタオルをぬらすわけにはいかないのです。
 でも、犬は、小さなタオルを一まいだけもっています。それが、したです。そこで、なつのあついとき、犬は、ぬれたしたをだして、はあはあやるのです。
 犬がしたをだすのは、おじさんが、あたまにぬれタオルをのせるのとおなじわけなのです。

 (「理科りかなぜどうして三年生」偕成社かいせいしゃ
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a 長文 12.4週 ku
 「いちばん貧しいまず  人に仕えるつか  ため、町に出て行こい う。」
なに不自由ふじゆうない生活せいかつ送っおく ていたマザー・テレサが、そう決心けっしんして修道院しゅうどういんをあとにしたとき、持っも ていたお金はわずか五ルピーのみでした。いまの日本のお金にしてみると、およそ百五十円です。たったこれだけのお金でいったいなにができるというのでしょう。しかし、マザーはあきらめません。かみ与えあた られた自分じぶん使命しめい果たすは  ためにも、あきらめるわけにはいかないのです。
 カルカッタの町には、多くおお 子供こどもたちが表情ひょうじょうもなく座り込んすわ こ でいました。学校へ通うかよ お金もなく、食べるた  ものも満足まんぞくになく、ただじっと座り込んすわ こ でいるのです。
 教育きょういくこそが貧しまず さから抜け出すぬ だ かぎになると直感ちょっかんしたマザーは、すぐさま子供こどもたちを集めあつ て青空教室きょうしつ開きひら ました。もちろんつくえもいすもありません。地面じめん黒板こくばん代わりか  にし、読み書きよ か 基礎きそから指導しどうしていきました。
 そのうわさまたたく間    ま広まりひろ  、たくさんの子供こどもたちがつめかけるようになりました。すると、マザーの活動かつどう賛同さんどう手助けてだす をしてくれる強力きょうりょく協力きょうりょくしゃ次々つぎつぎ現われあら  ました。
 たった五ルピーしか持たも ないマザーが、その活動かつどうを大きく広げひろ ていったのは、こうした人々のあいによるところが大きいのです。
 多くおお こころある人々に支えささ られ、マザーなき現在げんざいも、マザーの活動かつどうはカルカッタの町にしっかりと根づいね  ています。
 わたしたちはみな、あい持っも ています。ただ、十分じゅうぶんに人に与えるあた  方法ほうほうがわからないだけなのかもしれません。
「いったい、いつ、まずしい人々の貧困ひんこんはやむのですか。」
そうたずねられたマザーは、
「あなたとわたし分かちわ  合いあ はじめたときに。」
答えこた ました。

 言葉ことばの森長文ちょうぶん作成さくせい委員いいんかい(ω)
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