1脳の研究をしていてしばしば尋ねられることの一つが、頭の良さは遺伝で決まるのか、それとも環境で決まるのか、といういわゆる「氏か育ちか」の問題である。
一卵性双生児を対象とした研究などによれば、知能指数といった指標で測られる知性に与える遺伝子の影響は大体半分くらいらしい。2しばしば、保守的な人は遺伝子の、リベラルな人は環境の影響を重視する傾向があるが、そう簡単に政治的立場だけで決めつけられる問題でもない。遺伝子の影響が全くないはずはないし、育てられ方で変わらないはずもない。3天才科学者の子どもが必ず天才になるわけではないし、親が勉強嫌いでも、子どもは向学心に燃える、ということはある。氏と育ちは、半々くらい、というのは、私たちの常識的なセンスに照らしてみても、妥当な線である。4別の言い方をすれば、今の科学の水準では、そのような「常識的なセンス」を越えるような結論は得られないということになる。
それにしても、「頭の良さは、遺伝か、それとも育てられ方か?」と質問されて、「氏と育ちは半々である」と答えるだけでは、あまりにも芸がない。5何よりも、学問としての深みがない。何かもっとうまい答え方はないものか、と折に触れて考えていた。
先日、漫画家の萩尾望都さんと対談した時のことである。打ち合わせの時に、萩尾さんが、「今日は茂木さんに、遺伝子と環境、どっちが重要なのか、お尋ねしたいと思っています」と言われた。6さて、これは困った、と思った。何時ものように、「半々なのですよ」と答えるのでは、あまりにも芸がない。萩尾さんのようなカリスマ漫画家には、もう少し気の利いたことを言いたい。何とかしなければ、と思いながら廊下を歩いているうちに思いついた。7人間、追いつめられると何とかなるものである。
人間の知性の本質は、その「終末開放性」(open ended ness)にある。そのことが、「氏か育ちか」ということを考える上で、本質的な意味を持つと直覚した。8このアイデア一つの向こうに、様々な問題群が広がっていることもすぐにわかり、私
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