1野生の動物は、いつもたくましく生きている。ペットの動物たちとは違い、常にらんらんと目を輝かせ、獲物を追い求め、あるいは獲物となることから逃れ、自分たちの子孫を残すために精一杯生きている。2この情熱的な生き方を、私たち人間も、もっと見直す必要があるのではないだろうか。
その理由は第一に、情熱的に生きることが、人間にとっても本当の喜びにつながると思うからだ。数年前、家族で山に登ったことがある。3山頂近くにある山小屋に泊まる予定だったが、途中の山道で雨が降り始め、やがて大雨になった。全身ずぶ濡れになったまま歩くこと数時間、やっと山小屋にたどり着き、冷え切った体を乾かし、お湯を沸かして紅茶を飲んだ。4そのときの一杯の紅茶は、生き返るという言葉がぴったりするような味だった。クーラーや暖房の効いた部屋で、気に入った音楽を聴きながらゆっくり飲む紅茶とはまた違った、生きている実感のわく味だった。5情熱的に生きるということを考えるとき、この山登りと紅茶の味を思い出す。
第二の理由は、情熱的に生きることによって、自分の持ち味を十分に発揮した生き方ができるということだ。6戦国時代という下剋上の激しかった時代は、日本人が誰でも自分の実力で生きていかなければならない時代だった。その時代に生きた戦国大名たちは、現代から見るとそれぞれ個性に溢れた魅力ある人物に見える。7よく、信長、秀吉、家康の三通りの生き方を人間の生き方の三つの代表的な類型とすることがある。そこに見られる個性は、その三人が、地図も道もない言わば野生の世界で、自分の手で道を切り開いて生きるために、持ち味を生かさざるを得なかったことから生まれたものだ。
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