a 長文 10.1週 mu
 朝、学校に向かう道の途中とちゅうに、背丈せたけよりもわずかに高いキンモクセイの木がある。秋になると、風に乗ってほのかに甘いあま 香りかお 漂っただよ てくる。ちょうどこの花が咲くさ ころに、懐かしいなつ   思い出があったような記憶きおくがある。それが何だったのかは忘れてしまったが、キンモクセイの香りかお をかぐと、小さいころの自分の気持ちが戻っもど てくる。
 今の生活は、定期テストがあったり、部活の練習や試合があったり、学校行事の準備があったりと、毎日があわただしい。時間に追われて生活していると、気持ちがだんだんと単調になってくるようだが、そんなとき、懐かしいなつ   花の香りかお 触れるふ  と、その季節を思い出し、ふと自分を振りふ かえる気持ちになれる。
 季節を感じて生きることが大事だと思う理由は、第一に、季節ごとの思い出に応じて人生がそれだけ豊かになることだ。
 例えば、夏というと、私がまず思い浮かべるおも う   のは、子供のころ、海辺で食べたスイカ割りのスイカの味だ。みんなで輪になって少し砂の混じったくずれたスイカをたっぷり食べた。種の飛ばしっこをしてみんなで笑ったことや、そのときの波の音や空の青さが今でも心に残っている。もしこれが、夏でも冬でも同じようにスイカが買えて、パックにきれいに詰めつ られているスイカを食べるだけだったら、懐かしいなつ   思い出にはならなかっただろう。
 もう一つの理由は、季節を感じて生きる生活こそが、環境かんきょうにとっても無理のない合理的な生活だからだ。
 例えば、夏の暑い日にクーラーを効かせた生活をすれば、家の中や車の中は確かに涼しいすず  が、その涼しくすず  なった分だけ熱が外に排出はいしゅつされる。その結果、都会はますます暑くなり、その暑さに負けないように更にさら クーラーを効かせるようになる。
 これを、もし夏は暑いものだと割り切って、薄着うすぎをしたり、窓を開け放したり、水を打ったり、風鈴ふうりんをつけたり、木陰こかげができるように木を植えたりすることで対応するならば、それは自然と調和した優しい社会を作ることにつながるだろう。
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 確かに、人間は科学を発展させて、季節に制約されない文化を作り上げた。病人や老人にとって、暑い夏は負担である。健康な人にとっても、エアコンで調整された環境かんきょうの方が、勉強も仕事も大いにはかどる。しかし、その便利さに慣れるあまり、多様な季節を一色に塗りつぶすぬ    ようなことをしては、人間の文化も私たちの感覚も、同じように機械的な一色に塗りつぶさぬ    れることにならないだろうか。自然とは、私たちの外側にあるものではなく、私たち自身も含むふく 世界である。自然を豊かに感じることは、自分自身を豊かにすることにもつながっているのだと思う。

(言葉の森長文作成委員会 Σ)
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a 長文 10.2週 mu
 子供の世界は「ふしぎ」に満ちている。小さい子供は「なぜ」を連発して、大人にしかられたりする。しかし、大人にとってあたりまえのことは、子供にとってすべて「ふしぎ」と言っていいほどである。「雨はなぜ降るの。」「せみはなぜ鳴くの。」あるいは、少し手がこんできて、飛行機は飛んで行くうちにだんだん小さくなっていくけど、中に乗っている人間はどうなるの、などというのもある。(中略)
 子供の「ふしぎ」に対して、大人は時に簡単に答えられるけれど、一緒いっしょになって「ふしぎだな。」とやっていると、自分の生活がそれまでより豊かになったり、面白くなったりする。
 子供は「ふしぎ」と思うことに対して、大人から教えてもらうことによって知識を吸収していくが、時に、自分なりに「ふしぎ」なことに対して自分なりの説明を考えつくときもある。子供が「なぜ。」と聞いたとき、すぐに答えず、「なぜでしょうね。」と問い返すと、面白い答えが子供の側から出てくることもある。
 「お母さん、せみはなぜミンミン鳴いてばかりいるの。」と子供が尋ねるたず  「なぜ、鳴いてるんでしょうね。」と母親が応じると、「お母さん、お母さんと言って、せみが呼んでいるんだね。」と子供が答える。そして、自分の答えに満足して再度質問しない。これは、子供が自分で説明を考えたのだろうか。それは単なる外的な説明だけではなく、何かあると「お母さん。」と呼びたくなる自分の気持ちもそこに込めこ られているのではなかろうか。だからこそ、子供は自分の答えに納得したのではなかろうか。そのときに、母親が「なぜって、せみはミンミンと鳴くものですよ。」とか、「せみは鳴くのが仕事なのよ。」とか、答えたとしても納得はしなかったであろう。たとい(たとえと同じ)、せみの鳴き声はどうして出てくるかについて正しい知識を供給しても、同じことだったろう。そのときに、その子にとって納得のいく答えというものがある。そのときに、その人にとって納得がいく答えは、物語になるのではなかろうか。せみの声を聞いて、「せみがお母さん、お母さんと呼んでいる。」というのは、すでに物語になっている。外的な現象と、子供の心の中に生じることが一つになって、物語に結晶けっしょうしている。
 人類は言語を用い始めた最初から物語ることを始めたのではないだろうか。短い言語でも、それは人間の体験した「ふしぎ」、「おどろき」などを心に収めるために用いられたであろう。
 古代ギリシャの時代に、人々は太陽が熱をもった球体であることを知っていた。しかしそれと同時に、彼らかれ は太陽を四頭立ての金の
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馬車に乗った英雄えいゆうとして、それを語った。これはどうしてだろう。夜のやみを破って出現して来る太陽の姿を見たときの彼らかれ の体験、その存在の中に生じる感動、それらを表現するのには、太陽を黄金の馬車に乗った英雄えいゆうとして物語ることが、はるかにふさわしかったからである。かくて、各部族や民族は「いかにしてわれわれはここに存在するのか。」という、人間にとって根本的な「ふしぎ」に答えるものとしての物語、すなわち神話をもつようになった。それは単に「ふしぎ」を説明するなどというものではなく、存在全体にかかわるものとして、その存在を深め、豊かにする役割をもつものであった。
 ところが、そのような神話を現象の説明として見るとどうなるだろう。確かに英雄えいゆうが夜ごとに怪物かいぶつと戦い、それに勝利して朝になると立ち現われてくるという話は、ある程度、太陽についての「ふしぎ」を納得させてくれるが、そのすべての現象について説明するのには都合が悪いことも明らかになってきた。例えば、せみの鳴くのを「お母さんと呼んでいる。」として、しばらく納得できるにしても、次第にそれでは都合の悪いことがでてくる。
 そこで、現象を説明するための話は、なるべく人間の内的世界をかかわらせない方が、正確になることに人間がだんだん気がつきはじめた。そして、その傾向けいこうの最たるものとして、自然科学が生まれてくる。「ふしぎ」な現象を説明するとき、その現象を人間から切り離しき はな たものとして観察し、そこに話を作る。このような自然科学の方法は、ニュートンが試みたように、「ふしぎ」の説明として普遍ふへん的な話(つまり、物理学の法則)を生み出してくる。これがどれほど強力であるかは、周知のとおり、現代のテクノロジーの発展がそれを示している。これがあまりに素晴らしいので、近代人は神話を嫌いきら 、自然科学によって世界を見ることに心をつくしすぎた。これは外的現象の理解に大いに役立つ。しかし、神話をまったく放棄ほうきすると、自分の心の中のことや、自分と世界とのかかわりが無視されたことになる。
 せみの鳴き声を母を呼んでいるのだと言った坊やぼう は、科学的説明としては間違っまちが ていたかも知れないが、そのときのその坊やぼう の「世界」とのかかわりを示すものとして、最も適当な物語を見出したと言うことができる。 (河合隼雄はやお「物語とふしぎ」による)
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a 長文 10.3週 mu
 私に、漫画まんが「ドラえもん」の面白さを紹介しょうかいしてくれたのは、一九七三年生まれの長女だった。「ドラえもん」とともに育ったこのむすめも、今年六月に結婚けっこんした。この夏、夫婦で初めて北海道の実家を訪れたときのお土産がシリーズの第四十五巻。家族みんなで回し読みし、「ドラえもん」論に花を咲かせさ  たばかりだった。それだけに作者の藤子ふじこ・F・不二雄ふじお氏が九月二十二日に死去したのは悼まいた れる。
 「ドラえもん」は、「鉄腕てつわんアトム」や「鉄人28号」に代表される、スーパーヒーロー型とは全く異なったタイプのロボットとして誕生した。読者の日常生活に密着して愛されるタイプのロボットなのである。だが、「ドラえもん」がヒーローたり得るゆえんは、「四次元ポケット」にある。「タケコプター」「どこでもドアー」「インスタント旅行カメラ」「暗記パン」……。「ドラえもん」のポケットから出てくるこれら一つひとつのアイテム(道具)に限りない夢がある。これが「ドラえもん」の人気の秘密であることはいまさら言うまでもない。
 しかし、「ドラえもん」には見逃しみのが てはならない、もう一つの重要な視点があるべきだと思うのだ。
 ――子供のみならず大人にまで夢を与えあた た――。本当にそうであろうか。私の知る限りでは「ドラえもん」の夢は一度もかなわなかった。次から次へと「四次元ポケット」から出てくる奇想天外きそうてんがいな科学の小道具は、困難を解決してくれるどころか、思惑おもわくに反して勝手に暴れだし、思いがけない新たな問題を引き起こしてしまうのが常である。それが、ギャグのメインになってはいるが、そこにはただ笑ってはすまされない問題がある。
 そもそも、この漫画まんがには、一定の法則がある。「大変だ! 大変だ!」。現代っ子の代表「のび太」の日常の中で起こる様々な問題が発端ほったんとなる。かれは問題解決の本質を見極めようとはせず、実に安易に「ドラえもん」のポケットに助けを求める。それにこたえて「ドラえもん」の出してくるおせっかいな道具。それはまるで魔法まほうのような効力を発揮して問題を一気に解決するように思えるのだが、すぐさま勝手に暴れだし、新たな問題に右往左往する結末を繰り返すく かえ のである。
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 現代の日常生活は科学文明を過信するあまり、科学に対する基本的な姿勢を忘れ去ってしまっている。便利という言葉に浮かされう   て出来合いの科学を大量に買い込んか こ で、これでもかという失敗を繰り返しく かえ ても、実に平気なのである。それはまるで「のび太」の生活そのものである。
 楽することを求めるあまり、科学のなんたるかを忘れて暮らす現代生活のあり方に浴びせた作者の皮肉な笑い。「ドラえもん」の真の面白さは、我々の日常への痛烈つうれつ風刺ふうしにあったのだ。
 かつて、藤子ふじこ氏は「半世紀も前にはマンガ=笑いというのが世間一般いっぱんの常識でした。しかし、ここ四十年ばかりの間に驚異きょうい的な変貌へんぼう遂げと たのです。愛あり、感動あり、希望あり、絶望あり……。かつての笑いは、むしろ片隅かたすみで細々と命脈を保っている感じです。」と語ったことがある。かれの言う「かつての笑い」とは漫画まんが漫画まんがたるゆえんのもの、すなわち「風刺ふうしの精神」にほかならない。「ドラえもん」の面白さは、決して笑ってはすまされない現代の深刻な問題への警鐘けいしょうなのである。
 高度に発達した現代科学を人類に役立てるために、自己を犠牲ぎせいにしてまで平和に奉仕ほうしした「鉄腕てつわんアトム」。高度な科学技術をつくりだした人間が、それをどう扱うあつか べきかをテーマにした「鉄人28号」。そして、科学のしでかす失敗の連続に、走り回るしかないのが、この第三のロボット「ドラえもん」のテーマだとすれば、それに気づかずに笑って読み続ける子供たちの未来に夢は描けえが ないのである。
 卓越たくえつした批評精神の漫画まんが家の死を惜しむお  とともに、藤子ふじこ氏が「ドラえもん」に託したく た現代へのメッセージを、子供たちと一緒いっしょに、いま一度しっかりと読み返して欲しい。
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a 長文 10.4週 mu
「潔」と進がいった。「われのところに新しい本が東京から送って来たと違うちが か」 
「ああ」ぼくはいった。「この間、小包で送って来たんや」 
「貸してくれんか」と進はやさしくいった。 
「いいよ」 
とぼくはほとんどいそいそとしていった。進の意を迎えるむか  ことのできる材料が意外にも身近にあったのがうれしかった。 
「今日持って行こうか」 
「おれがわれんちに行くわい」と進はいった。 
 その日進は約束した通りやって来た。ぼくはかれを自分の部屋に通して、伯母おばにたのんでそこに作ってもらってあったこたつに入るように勧めすす た。
 進はぼくの見せた本のどれにもこれにも目をかがやかした。 
「東京にはもっとあるんやろう」 
「たのむから送ってもろうてくれんか」 
「おれ今まで家の手伝いで読めんなんだろう、冬に入ってようやく読む時間ができたんや」 
「四月に入れば、中学に入るための勉強せんならんから、読めんようになるしな」 
と進は興奮したように次から次へとしゃべった。 
 東京に残っている本を小分けにして小包で送って欲しいとその日のうちに手紙でたのんでみると進に約束すると、進はようやく興奮をしずめ安心した風を見せた。 
 ――その日進は高垣たかがきひとみの「竜神りゅうじん丸」と南洋一郎よういちろうの「える密林」とを借りて行った。 
 そして進との交友は再び復活し、冬休みの時と同じくらいの頻度ひんどでおたがいの家をき来した。家での進は学校での進と別人の観があった。進が学校でも、家で会う時と同じように振る舞っふ ま てくれたら、ぼくは進を本当に親友と見なし大切に思ったに違いちが ない。しかしぼくは家を出て家に帰るまでの進の専横な振る舞いふ ま を決して忘れるわけには行かなかった。進がそんなぼくの気持ちに感づいていたかどうかは分からなかった。しかしとにかくぼくたちは二人だけでいる限り、気が合い、話題も尽きつ なかった。話は戦争の見込みみこ や、
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勉強の計画、自分たちの将来などに及んおよ だ。 
 たとえば将来の夢について、「戦争が長びくようやったら」と進はいうのだった。 
「おれァ、海兵を受けることにやっぱり決めたわ」 
 もし終わったらどうするかというぼくの問いに対してかれは答えた。 
「高等学校へ入っててい大へ行き高文を受けて、官吏かんりになるわ、われの家の人みたいにな」 
 かれの頭に、成功した郷里の先輩せんぱいとしてぼくの父が描かえが れていたことに間違いまちが なかった。そしてかれがおそれていることは戦争が早く終わって、ぼくが東京に早く引き揚げひ あ てしまい、一緒いっしょに受験勉強もできなくなってしまうことらしかった。その証拠しょうこに、かれは何度となく、 
「戦争が終わっても六年はここで終えて行くのやろ、それから東京の中学を受ければいいにか」とぼくに確かめたからである。もちろんぼくはそうするつもりだとうそをついた。 
 ぼくらはよく一緒いっしょ風呂ふろへも行った。すると風呂ふろ一緒いっしょになる大人たちは、はま見一番のあんぼ(しっかり者の長男)と寛平かんぺいさの東京の子がすっかり意気投合し親友になったことを祝福してくれた。するとぼくの心は自分が間違っまちが て見られていることに対する不満と、そんな風に誤解されてもしようがないように振る舞っふ ま ている自分に対する嫌忌けんきの念にひそかに包まれた。ぼくはいつも心の奥底おくそこで、自己に忠実でありたかったから、家に帰ってからの進との往き来を今のような形で続けるのを拒否きょひすべきか、もしくは進の方で学校での態度を改めるべきだと思っていた。そのことが二つとも実現しない限り、自分に忠実でなく、虚偽きょぎの生活を行っているのだと思っていたのだった。しかし現実のぼくは、内心の願いとはまったく逆に、のぼる貢物みつぎものの一件以来、進の勢力の偉大いだいさを思い知らされ、もはやのぼると協力して級を改革する夢にふけることもできなくなり、努めて進の意にそうように振る舞っふ ま ているのだった――
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a 長文 11.1週 mu
 ミミズがある生態系に生存することで「自然の経済」にどんなかかわりをもつか、それが、イギリスの生んだ偉大いだいな生物学者チャールズ・ダーウィン(一八〇九?一八八二)のミミズに関する着眼点だった。かれは、邦訳ほうやく『ミミズと土』で知られる『ミミズの習性に関する観察とミミズの働きを通しての有機土壌どじょうの形成』という長い表題の書物を、一八八一年に出版した。「このように分化の低い動物で、このように重要な役割を演じてきた動物が、ミミズ以外にいようか。もっと分化の低い動物、すなわちサンゴはサンゴ礁   しょうを形成してきたが、それはほとんど熱帯に限られてきた」と、海のサンゴと対比して、地表で絶え間なく働き続けてきたミミズに敬意を表し、ケント州ダウンの家の庭で数々の実験的観察を行っている。
 タバコには関心を示さなかったミミズが、キャベツやタマネギはすぐ穴に引き入れる様子を観察しているであろうダーウィンの姿を想像すると、思わず微笑んほほえ でしまう。特に、一定面積内に住むミミズの数量については、一平方メートル当たり一三・三ひき一匹いっぴきを三グラムとすると一平方メートル当たり三九・九グラムであることを推定している。そして、それらのミミズがどのようにふん排出はいしゅつするか、一定面積当たりのふん排出はいしゅつ量はどのくらいか、結果として地表の土とミミズがどのようにかかわってきたか。その一例として、一八年前に石灰をまいた畑にほり掘っほ た時、切り立った側面に五四メートルにわたって地表から一七・五センチメートルの深さに石灰の層があるのを観察、ミミズは平均して一年に約一センチメートルの土壌どじょうを地表に排出はいしゅつしているとして、ミミズの絶え間ない働きが、有機土壌どじょうの形成に大きな貢献こうけんをしてきたと述べている。結論として、イギリスでは毎年一エーカー当たり、乾燥かんそう重量で一〇トン以上の土がミミズの体を通して排出はいしゅつされ、その働きゆえに、古い歴史上の遺物も保存されてきたというのである。
 ところで、ダーウィンのミミズの研究にも触れふ 有吉ありよし佐和子さわこの小説『複合汚染おせん』は、一九七四年新聞に発表され、多くの人々の関心をひいたが、その中に、人間が自然をひどく傷めつけた結果、自分たちの命にひどい影響えいきょう及んおよ でいる現状が詳しくくわ  書かれている。農村を回ってよく聞く「土が死んだ」という言葉について述べた
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箇所かしょを引用する。
 「例えばよ、わかりやすく言えば、ミミズのいねえ土のことだな。硫安りゅうあんかければよ、ミミズは、即死そくしすっから。ミミズがいねえとよ、土が固くなって、どうにもなんねえす。土が死んだっちことは、ミミズが死んだっちことだなあ。」
 土とミミズ。例外はもちろんあるけれど、ふつうのミミズは、土を豊かにするために決定的に重要な動物である。「進化論」で有名なダーウィンは『ミミズと土』という書物を著し、多年にわたる研究成果をもとにして、自然の中でミミズが受けもつ役割について詳述しょうじゅつし、もしミミズがこの世にいなくなったら植物は滅亡めつぼう瀕するひん  だろうと結論している。
 ミミズは、毎日、土を食べて生きている。土はミミズの口から入って外へ出ると、また土になる。しかし、ミミズの口へ入る前の土とミミズが外へ出した土とは、土の性質がまるで違っちが ている。第一に、土と一緒いっしょ呑み込まの こ れた新鮮しんせんな草の葉や半腐れくさ のワラなどが、ミミズの体内の分泌ぶんぴつ液によって豊かな黒い土になって出てくる。第二に、出てきた土は細かい団粒状りゅうじょうであるから、水や空気が通りやすく、ふわふわと柔らかくやわ   なる。
 農村で多くの人々が、ロにしている「土が死んだ」ということ、それは「ミミズが死んだ」ということだというのは、実に深刻な事態である。もう少し引用を続ける。
 篤農とくのう家たちが化学肥料によって「土が死んだ」と嘆くなげ 場合、当然、「土は生きている」ものという前提がある。一グラムの土の中には数千万から数億という数えきれない単細胞たんさいぼう生物やカビが棲息せいそくしていて、互いにたが  複雑な関係を保っている。ミミズの場合は、人間の目に見える生態系だが、単細胞たんさいぼう生物やカビのそれは、まだ研究し尽くさつ  れてはいない。
 その生存と死滅しめつをこのように取り上げられ、ミミズにとってはまさに晴れの舞台ぶたいとも言えようが、ここで訴えるうった  ところが、四億年以上にわたって生存し続けてきたこの動物の地球上からの消滅しょうめつを救うものになってほしいと思う。

 (中村方子の文章による)
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a 長文 11.2週 mu
 私たちが日常、ことばを使っているときは、普通ふつう表される内容がまずあって、それを持って運ぶ手段としてことばがあるというふうに考えています。私たちの関心はもっぱらこの内容のほうにあるわけで、それを運ぶ仲介ちゅうかい役としてのことばが入っていても、ことばそのものにはあまり注意を払いはら ません。ことばというのはあるようでないようなもの、存在しながら、存在していないような、何か透明とうめいになってしまっているような感じがするのではないでしょうか。
 ところが、「かっぱ」のような詩を読みますと、俄然がぜんことばが、私たちの前にふさがって、それに私たちが頭をぶつけている――そんな印象を持つのではないかと思います。ことばがそこでは不透明ふとうめいになって、私たちの意識が素通りすることを許してくれないわけです。日常あまり意識してないことばそのものの存在ということを、否応なしに意識させられてしまいます。こういう状況じょうきょうは、詩によく出てきます。詩のことばは日常のことばと同じではありません。そのため私たちはそこで一度立ち止まって、考えなくてはいけないということが起こってきます。つまりことばが不透明ふとうめいなものになってしまい、私たちがことばというものを改めて認識することになるのです。
 そういう意味でもう一度「かっぱ」の詩に戻っもど てみましょう。使われている単語はそんなに多くも難しくもありません。「かっぱ」が出て、それから「かっぱらった」が出てきます。たとえばこの「かっぱ」と「かっぱらった」ということばは、日常のことばとして考えている場合は、私たちはこの両方がよく似た形をしたことばであるという意識を持つようなことはないでしょう。ところが、ことばが不透明ふとうめいになって私たちの前に立ち現れますと、「かっぱ」と「かっぱらった」は、形が非常によく似ているという意識を否応なしに持たされます。そうしますと、ことばについての非常に素朴そぼくな感覚として、語形が似ていると語の意味も似ているのではないかというふうな発想が働きはじめます。つまり、「かっぱ」と「かっぱらった」とでは「かっぱ」という所が共通である。そうすると意味のほうでも関係があるのではないか。たとえば、「かっぱ」というのはいたずら好きな生物だから、「かっぱらう」という行為こういも、何かもともと「かっぱ」のするようなことをいうのではなかったのか。もちろん語源的にはそういうことはないでしょうけれ
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ども、そんな印象をきっと持つでしょう。日常のことば遣いづか ですと、「かっぱ」と「かっぱらう」は私たちの頭の中の全然違うちが 所にしまい込まこ れていて、相互そうごに連想するなどということもないでしょう。しかし二つ並べられてみますと、語形が互いにたが  よく似ている、そうすると語の意味も似ているのではないかと考えたくなるわけです。私の場合ですと、かっぱの口の先の逆みたいな形をしている――そんな類似点を連想します。あるいはまた、かっぱが鳴くとするとらっぱのような音を出すのではないか――そんなことを思ったりもします。(中略)
 私たちの日常の生活では、ことばのきまりというものが習慣的に決まっています。そして、私たちはいちおうきまりの範囲はんい内でことばを使うことで満足していて、それを超えるこ  というようなことは比較的ひかくてきまれです。前に言いました二つのことばの使いかた――経験が先行してそれをことばで表すことと、ことばが新しい経験を生み出すこと――これは「伝達」と「創造」ということでとらえることもできますし、あるいはことばの「実用的」な働きと、ことばの「美的」な働きと言われることもあります。この後者のほうは詩のことばに典型的に見られるということで、ことばの「詩的」な働きという言い方をすることもあります。
 私たちのことばについての認識は、ふつうその実用的な働きのほうに大変かたよっていて、もう一つの詩的な働きのほうは忘れられがちです。それは、この詩的な働きがよく現れるのは、詩のことばであるとか、子どものことばとかどちらかといいますと、ことばの「中心」でない部分だからでしょう。そういうことばの詩的な働きというものが日常のことばにおいてよりも重要な役割を果たすという意味で、子どものことばと詩のことばとは似ているということができます。(中略)
 普通ふつうの人が、日常的な経験を日常的なことばで表現して満足しているのに対して、「詩人」と呼ばれるような人たちは、日常的な経験を超えるこ  経験をもつでしょう。そして、それを表そうとすると、もはや日常のことばの使い方では不十分なはずです。そこで、どうしても、日常のことばのわく超えるこ  ということが必要になってくるのです。
 参考:「かっぱ」の詩(谷川俊太郎しゅんたろう作) かっぱかっぱらった/かっぱらっぱかっぱらった/とってちってた/かっぱなっぱかった/かっぱなっぱいっぱかった/かってきってくった
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a 長文 11.3週 mu
 「ああすれば、こうなる」型の社会では、さらに違っちが た側面が現れる。その一つは、時間の変質である。頭の中では、時間は過去、現在、未来に三分割される。ところが、時間直線を描けえが ばわかるように、「現在」とはその時間直線の上の一点に過ぎない。それはただちに未来から過去へと繰り込まく こ れる、時の瞬間しゅんかんに過ぎないのである。もちろん常識はそうはいわない。なぜなら、われわれは現在とか今とかいう表現をたえず用い、しかもその「現在」という時は、実質的な時間はばを持つことが当然の前提だからである。それなら、そのように日常的に使われる「ただいま現在」の意味とはなにか。それはすなわち、「予定された未来」を指すのである。「ああすれば、こうなる」で囲い込まこ れた時だ、と表現してもいい。具体的にいうなら、手帳に書かれた予定である。来月の三日は、会社の創立記念日だから、これこれこういうことをする。それが決まれば、その日までに「どのような準備をするか」は決まってしまう。そのためには、今日、知り合いの店に電話をしておかなければならない。当日には自分は会社を休むわけにはいかない。したがって地方への出張は、その日を避けるさ  ことになる。こうして、来月の三日に予定があるということは、現在をすでに強く拘束こうそくする。そうした拘束こうそくされた時、それをわれわれは現在と見なすのである。
 それなら未来とはなにか。本来の未来とは、なにが起こるかわからない「ああすれば、こうなる」で拘束こうそくされていない時間である。それなのに子どもが育ち始めると、母親はこの子をどの幼稚園ようちえんに入れて、と考え出す。その幼稚園ようちえんが終わったら、どの小学校に、そのつぎにはどの中学から高校へ、どの大学のどの学部へ、と考える。こうして「漠然たるばくぜん  」未来は、現代社会ではただちに拘束こうそくされ、急速に失われていく。大人はそれでちっとも困らない。自分ではそう思っている。ただし、自分がどの段階でどれだけ年老い、どれだけの体力を失い、感覚がどれだけ鈍るにぶ か、それは手帳に書いてない。さらにいつ、どういう病にかかり、その結果、いつ死ぬことになるか、やはり手帳には書いてないのである。考えてみれば、その手帳がすなわち意識である。意識という手帳は、そこに書かれていない予定を無視する。いかに無視しようと、しかし、来るべきものはかならず来る。意識はそれをできるだけ「意識しな
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い」ために、意識でないもの、具体的には自然を徹底的てっていてき排除はいじょする。人の一生でいうなら、生老病死を隠しかく てしまう。人はいまでは病院で生まれ、いつの間にか老いて組織を「定年」となり、あるいは施設しせつに入り、やがて病院で死ぬ。日常の世界では、そういうものは「見ない」ことになる。こうして世界はますます「ああすれば、こうなる」ものであるように「見える」ようになる。その世界では、意識がすべてとなり、時間はすべて現在化するのである。
 これをみごとな物語に描いえが たものが、ミヒャエル・エンデの『モモ』であることは、もはやお気づきであろう。『モモ』の主人公が自称じしょうさいのモモという「少女」であることは、たいへん象徴しょうちょう的である。モモは「時間泥棒どろぼう」と闘ったたか て、町の人々の幸福を取り戻そと もど うとする。現代の東京でも、灰色の服を着て黒いかばんをもった時間泥棒どろぼうたちなら、いくらでも見ることができる。かれらの最大の被害ひがい者たちは、「漠然とばくぜん した、定まらない未来」だけを財産としている子どもたちである。子どもたちには地位はなく、力はなく、知識はなく、お金も名誉めいよもない。かれらが持つものは、唯一ゆいいつ「真の未来」だけである。現代社会はそれを惜しみお  なく奪ううば 
 政治家が国家百年を思わなくなった。医師は、もっぱら患者かんじゃの検査に没頭ぼっとうする。それはすべてが現在化したからである。百年を思うよりも、ただいま現在の状況じょうきょう徹底的てっていてき把握はあくし、それに対して有効な手を打たなければならない。「ああすれば、こうなる」ようにしなければならないのである。医師も同じである。患者かんじゃは、「先生、どうしたらいいですか」と尋ねるたず  。だから医師はその患者かんじゃの「現在の」状態を徹底的てっていてき把握はあくしようとする。それを把握はあくすれば、「ああすれば、こうなる」はずだということが、わかるはずだと思うからである。そうした状況じょうきょうを私が批判すると、若者は、こう質問する。「先生、じゃあどうしたらいいんですか」。その答があるということは、つまり「ああすれば、こうなる」が成立するということである。若者たちが、それを常識としていることが、こうした質問からよくわかるのである。
 (養老孟司たけし『考えるヒト』による)
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a 長文 11.4週 mu
 人間が自由で平等だというようなことが、原則として認められている社会、これが、近代だといってよいでしょう。 
 それでは、そういうものが果たして我々日本人に固有のものか、我々自身の生活の中から出てきたものかというと、これはそうではないということが、すぐお分かりになると思います。近代的なものは、生活の観念にしろ、社会生活の形にしろ、みな西洋から来ています。西洋人にとって近代は、つまり自分の中から出たものです。自分たちのものの考え方、あるいは感じ方の必然の結果です。ところが、我々にとっては、それはよそから受け入れたものだ。そこのところが、同じ近代でも甚だはなは 違うちが のです。(中略) 
 森鴎外おうがいは、晩年に徳川時代の漢方医で明治時代にはほとんど忘れられてしまって、そしてもし鴎外おうがいが書き残さなかったら、我々は全然知らないだろうと思うような人たちの伝記を非常な熱情をこめて書いています。(中略)
 恐らくおそ  、日本人は西洋の影響えいきょうを受けてから悪くなった、今の文明のあり方を見ると、日本人に将来救いがあるかどうか分からない。ただ、そういう西洋の影響えいきょうを受けない前の日本人のある人々の生き方に、自分は非常な尊敬を感じて、そういう人たちの生き方に及ばおよ ずながら自分も従ってゆこうという気持ちに、やっと自分の救いを見いだすというのが鴎外おうがいの考えであったようです。鴎外おうがいのように、西洋もよく知っており、自然科学の知識もあり、最も日本の近代化ということを評価してもいいような人が、非常に否定的であった、これは我々が記憶きおくしておいてよいことだと思います。 
 同じようなことが漱石そうせきについても言えます。漱石そうせきは、鴎外おうがいよりよほどおしゃべりですから、自分の思想をはっきり述べているのですが、その中で有名なのは、この人が和歌山県でやった「現代日本の開化」という講演でしょう。これは、漱石そうせきの思想の核心かくしん触れふ ている講演です。読んでもなかなかおもしろい。洒脱しゃだつで、ユーモアにも富んでいて、時々、聴衆ちょうしゅうをうまく笑わせたりしています。しかし、内容は近代日本の文明について非常に悲観的な見方をしています。漱石そうせきは、そこでまず文明というものあるいは文化(開化という言葉を使っていますが)は、内発的な開化と、外発的な開化と二つある。外発的というのは内部から出るものでなくて、外からの刺激しげきによって文化が大きく変わるということです。内発的とは、
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ちょうと時候が暖かくなって花が開くとか、雲が大空を飛んでいくとか、これは漱石そうせき比喩ひゆなのですが、そんなふうに、内から自然の力に押さお れて何かができあがるということです。
 ところで、日本の開化はどうか。漱石そうせきの見るところでは、徳川時代の終わりまではだいたい内発的に進んできた、と言う。これにはだいぶ問題があるでしょう。なぜなら、日本は古代から外来文化を輸入し続けてきた、という事実があるわけです。しかし結局のところ、私は漱石そうせきの考えが正しいのではないかと思います。
 日本は島国で荒いあら 海に囲まれている。外国が現実の力になって襲っおそ てくるということは何百年、何千年に一度くらいの例外はあるが、ふだんは適当にその海が、ちょうどフィルターのような役割を果たしてくれる。したがって、外国は敵対する力としてでなく、いつも文化として入ってくる。仏教も儒教じゅきょうもそうでした。外国人というのは、いつも珍しいめずら  お客さんであって、歓迎かんげいしてかえせばよい。気に入らない時は殺してしまえばよい。キリシタンが入ってきた時はそれをやった。江戸えど時代ごろまでの外国との接触せっしょくは、いつも自然によって守られていたのです。 
 ところが十九世紀になって、蒸気船ができる。海という自然の力を征服せいふくしてしまうような交通機関が発明され、それによって外国は初めて現実の力、侵略しんりゃく的な力として我々の周りに迫っせま てきた。そうした力に動かされて、明治維新めいじいしんが達成されたわけです。今から見れば、ずいぶんのんきなものであったにしろ、当時の日本としては大事件でした。 
 明治維新めいじいしんは、つまり日本の近代化の出発点は、単に優れた文化に接してこれを学ぶというような穏やかおだ  なものでは決してなかった。それを学ばなければ、こっちがやられてしまう、国としての独立を維持いじしてゆくことができない、という事情があったのです。こっちが生活あるいは社会組織を西洋風に改めなければ、逆に、西洋人の力によって、こっちがいやおうなく西洋風にされてしまう、そういう危機として、外国が現実の力を振るっふ  たわけです。ですから、日本が初めて外発的な力に動かされた、と漱石そうせきが言うのも、決して誇張こちょうではなかったのです。(中村光夫の文章より)
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a 長文 12.1週 mu
 人は二足歩行で手を解放し、その手に道具を扱うあつか 役割を持たせ、それを発達した大脳で制御せいぎょするという方法によって、急速に強い優勢な動物になった。それが言葉とならぶ異常な加速進化のもう一つの理由であったのだが、それはともかく、強くなったために狩るか 立場に立つことはあっても狩らか れる側にまわることはほとんどなくなった。そして、最近では事故や病気で死ぬことさえ最小限に抑えおさ られ、現にわが国などは、平均寿命じゅみょうにおいて世界一の数字を誇っほこ ている。医学という蓄積ちくせき可能な知識の体系によって死亡率を下げることが比較的ひかくてき容易であることはあきらかで、それに対して伸びの 寿命じゅみょうの中身を充実じゅうじつさせて幸福な老後を送ることは大変に困難らしいが、ここではそういう面には触れふ ないでおこう。いずれにしても、われわれは狩らか れる感覚をすっかり忘れてしまった。だから自分より強くて速い相手に狩らか れることはそのまま極端きょくたんな不幸であるという単純な認識にこりかたまってしまっている。
 喰わく れることは不幸である。それは生命というものが個体にのみ宿り、あらゆる努力を払っはら て個体の存続をはかることが生命の第一原理である以上は当然のことだ。しかし、追われる立場で動物としての知恵ちえをしぼって相手をまくこと、いやもっと危なくぎりぎりまで追いすがられて、自分の脚力きゃくりょくだけをたよりにからくも逃げに きること、相手の存在に一瞬いっしゅん早く気付いて巧みたく 回避かいひすることにさえ、大いなる喜びが込めこ られているのかもしれない。そういう時にこそ弱い動物は自分が生きているという実感を改めて感じて幸福感を味わうのかもしれない。
 動物の場合、われわれとは死の概念がいねん自体がずいぶん違うちが のではないかと思うのだ。この場合の動物という言葉には、現代文明の中で生きるわれわれのような人間以外のすべての哺乳類ほにゅうるい含めるふく  。つまり、先ほど書いたような、動物たちとの交感関係にある狩人かりゅうどたち、動物と同種の知恵ちえによって生を維持いじしている人々もわれわれの側ではなくそちら側に入れたいのだ。彼らかれ にとって死とは、
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衰弱すいじゃくした精神が描くえが 単純で強烈きょうれつ恐怖きょうふの源ではない。われわれの精神は死という言葉を聞いただけで毛を逆立てる。想像力は自分たちのみじめな姿を求めて暴走をはじめる。だが死とは、本来、一つの成就、一つの完成、一つの回帰である。自然から遠く離れはな て個の概念がいねんを立てすぎたために、個体の意識を離れはな てはすべてが無であるという考えがすべてを圧倒あっとうし、ひたすら個体にしがみつくことが至上命令となった。死はエゴの駆動くどう装置になりさがってしまった。果たして、生きることではなくただ死なないことに、それほどの意義があるのだろうか。(中略)
 肉食じゅうに追われて逃げに きるか喰わく れるかは一つのゲームである。何度勝った者も最後には敗れる。自然界には自然死という言葉はない。老衰ろうすいもない。動物はみな捕食ほしょく者であると同時に獲物えものであり、絶対の優位にたって喰うく だけという動物はいない。そして、彼らかれ にあるのは事故死と病死だけだ。それがそのまま不幸でないのは、そのことが生そのものの基本条件だから、生というものが最初から死をその中に含んふく でいるから、生きるものはそれを承知しているからである。死は常に目前にあり、だれもそれを忘れたふりをしたりはしない。動物はみなこの危険なゲームに参加し、興奮と高揚こうようを味わい、常に危機を予想し警戒けいかいしながら、さしあたり目前の若い青い草の味を楽しむ。(中略)そういう濃密のうみつな時間の内にこそ死は正しい形で用意されている。それを承知の生命ではないのか。(中略)
 動物は愚かおろ だから悩みなや がないと言うのは間違いまちが だ。動物たちはお互いに たが  大きな知恵ちえを共有することで個体のエゴを制限し、そこにちゃんと安心立命を見出している。その場その場で力を尽くすつ  だけで、それを超えるこ  不安があることに気付きもしない。本当はそんな不安などないのではないか、と考えることができたら人間もまた彼らかれ の境地にもう一歩なのだが、それは容易なことではないらしい。近代の宗教がまことしやかに語るやすらかな最期や大往生の準備とは、実は失われた野生動物と狩猟しゅりょう民族の精神の回復ということではないのか。
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a 長文 12.2週 mu
 今日の都市生活に欠かせない行列という社会現象がある。行列という形式そのものは、カラハリ砂漠さばく狩猟しゅりょう採集民サン人が狩りか などで遠出するときにも組まれ、西洋では戦争の捕虜ほりょを行列させたことが古代の歴史書にもみえる。しかし、モノを手に入れたりサービスを受けたりする順番を待つ行列は、近代の工業化社会に特有のものだろう。小さな個人商店では並ぼうとする買物客はいないが、スーパーマーケットでは工場のアセンブリィ・ラインのように、客がレジで列をつくることが前提にされていることは行列の工業社会的性格を端的たんてきにしめしている。
 駅の切符きっぷ売場やタクシー乗り場や学生食堂などでの行列は以前からあったが、近ごろではデパートのトイレの前や、昼食時の都心の食堂でも行列はあたりまえの光景になった。今日の大都会がそうであるように、一般いっぱんにモノやサービスの需要じゅよう供給関係に一定程度以上の不均衡ふきんこうがあるところではどこでも行列ができる可能性がある。難民キャンプの行列ではモノの供給の不足が強調され、モノやサービスの供給に不足はないはずの現代日本のアイスクリーム店やコロッケ屋の前の行列では需要じゅよう浮き彫りう ぼ にされる。
 しかしながら、たとえ需要じゅよう供給に顕著けんちょ不均衡ふきんこうがあっても、身分や地位にかかわらず先着優先の原則がなければ、だれも列をつくって順番を待とうとはしないだろう。行列が頻繁ひんぱんにみられる現代の公共的場面では、年齢ねんれいや社会的地位や性差や人種差などは体系的に無視されるが、そうした先着優先の平等主義がないところでは行列は生まれない。行列をつくって順番を待つという習慣は、たとえば士農工商の身分制社会ではかんがえられないように、元来が西欧せいおうの近代社会に特有な行動様式なのである。
 さらにいえば、行列は用件をひとつずつかたづけるという近代的事務処理の発想に根ざしている。
 以前ギリシアで調査中に気づいたことだが、ギリシアの役所や銀行などでは、相談事をもってくる人を、先客にかまわずつぎつぎと自室に入れ、用件を聞いて、処理しやすいものから答えていくというやり方をとることが多い。アラブ社会でも伝統的には同様な方式がとられるようだが、このような事務処理の習慣をもつ社会には行列はなかなかなじまないようだ(ギリシアなどでは、行列は後ろの者もやりとりがみえるように横並びになる傾向けいこうがある)。
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 このようにすぐれて近代的慣行である行列には独特の論理と構造がある。
 行列はもちろんその前段階、「行列以前」からはじまる。飛行機の国内便に乗るために出発の一時間半くらいも前に空港にいって待機してみたりするとわかるが、そんな早い時間にもチェックイン・カウンターのあたりには、たいてい何人か様子をうかがうようにして立っている人がいる。だれかがカウンターの前に立つと、すぐ後ろに行列ができる。あまり人が少ないと早くから並ぶのもバカバカしくて苦痛だが、その間にもたがいの着順と位置を目で確認していて、だれかが並んだとたんに心配になって並ぶのだろう。電車を待つ駅のホームなどでもおなじようなことがおこることがある。サービスを受ける側がサービスを与えるあた  側より先にあつまり、需給じゅきゅう関係がさほど切迫せっぱくしていないときにこのような「半行列」が胚胎はいたいする。
 また、客がひとりのあいだは、待つ側の客と待たせる側の店員や係員との心理的関係だけが問題だが、客がふたり以上になって列ができると、そこに待つ者同士の社会的関係の問題が加わってくる。ひとりで待たされているあいだは、無力感や退屈たいくつ苛立ちいらだ とたたかっていればよいのだが、行列ができたとたんに、割りこまれないように、礼儀れいぎ範囲はんい内で相互そうご監視かんししなければならない。新聞や雑誌をひろげてみても、目を周囲にくばり、とくに前方に一定以上の間隔かんかくをあけないよう徐々にじょじょ 前にすすまなければならないから、落ちついて読むことはできない。待つことは副次的活動ではありえず、どうしてもその場の「主要関与かんよ」にならざるをえないのだ。
 (中略)
 イギリス人やアメリカ人は行列をあたりまえのように考えるようだ。しかし、ギリシアなどヨーロッパでも工業化がおくれた社会の人びとには、そんな行列もヒツジの群れのようにみえるらしい。
 民主主義には一定の均質性が必要だが、行列を見ていると、工業化社会が近代民主主義の母胎ぼたいであることがよくわかる。

 (野村雅一まさいち『身ぶりとしぐさの人類学』より)
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a 長文 12.3週 mu
 方言で「つるべ」のことをツブレ、「ちゃがま」のことをチャマガ、「つごもり」をツモゴリと言う所がある。このような現象は幼児の言語に見られるもので、恐らくおそ  起こりは幼児時代の言語に始まったものであろうが、ある地方でこのような誤りが定着したのも、本来「釣るつ 」「茶釜ちゃがま」「月隠つごもり」であるという言語意識が薄れうす てしまったからであろう。語源がわからなくなると、もとの語の発音や意味に変化を来すことがある。漢語の場合には、それに使われた漢字が忘れられると、意味用法の転ずることが少なくない。ことに話し言葉では漢字でどう書くかを問題にしないから、意味を支持するものがないためにとかく変化しがちである。
 たとえば「馳走ちそう」「遠慮えんりょ」「結構」「世話」等の漢語は話し言葉で日常語として使われているうちに、原義とかなり違っちが た意味用法になっていった。
 「馳走ちそう」は、もとの漢字から言えば、はしるの意だが、今ではおいしい料理を意味する。おいしい料理はいろいろ手数や労力がかかるから、「御馳走ごちそう」と相手に礼を言ったところから、現在のような意味に転じたのである。「遠慮えんりょ」は、今はひかえ目にする、さしひかえる意に使う。しかし、もとの意は、「遠きおもんぱかり」である。遠きおもんぱかりによって、積極的には行動しないことが起こる。そのことから、現在のような意味に転じたものであろう。
 「結構」は、もと建物や文章の配置構成を意味する語だが、「立派な結構」「見事な結構」というようなほめ言葉から転じて、立派だ、見事だという意になったのである。「好天」のことを「天気」と言うのも、「よい天気」と使っているうちに「よい」が省かれて「天気」だけでも好天を意味するようになったのと似ている。
 「もう結構です」の「結構」は、立派だ、見事だの意からさらに転じたものであろうが、このように次々と意味が転じて行くのは、話し言葉では「結構」という漢字の字面が思い起こされることがないからであろう。
 「世話」も、世間話、世のうわさの意から、今の「世話になる」「世話をかける」「世話する」の用法が生まれた。
 「週刊朝日」に、電車の「つり皮」は現在は皮ではなくてビニールを使っているから、これを「つり皮」と称するしょう  のは不当で、「つりビニール」と言うべきであろう、「枕木まくらぎ」は、近年は木ではなく
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てコンクリートを材料としているから、「まくらコンクリート」と言うべきではないかという考えが掲載けいさいされていた。
 このような考え方をすると、言葉にはいくらでもおかしなものが出て来る。「駅」や「駐車ちゅうしゃ」も、馬偏うまへんがついているのはおかしい。昔のように馬や馬車が走っているのでなく、「駅」は鉄道のステーションであり、「駐車ちゅうしゃ禁止」などの「駐車ちゅうしゃ」は自動車をとめておくことだからである。「赤い白墨はくぼく」「黄色い白墨はくぼく」もおかしな表現と言えるであろう。
 言葉の正しさを論ずる時にとかく語源が引き合いに出されるが、語源の通りでは社会状勢の変化のために合わなくなるものが多い。社会は複雑になり、人の心理も単純ではなくなるから、語源の通りであることが正しいということになると、今の現実の社会には合わないことになる。
 そうかと言って、一々言葉を言いかえるのも大変なことだろう。「つり皮」が当たらないからと言って「つりビニール」にしたところで、もし今後ビニールが他の材料に変われば、また名称めいしょうを変えなければならないだろう。
 「枕木まくらぎ」にしても同様である。現在、まだ木のものもあるから、「枕木まくらぎ」と「まくらコンクリート」との二つを保存しなければならないし、将来材料が変われば、また「まくら○○」という語を使わなければなるまい。ただ、こういう心理から、在来語を捨てて、外来語を使ったり、新しい漢語を作って使ったりすることも事実である。「洗濯せんたく」は本来水を使うことである。近年のように揮発油を使ったりして清浄せいじょうにするのを、「洗濯せんたく」で表現したのでは適当でないということで、「クリーニング」が行われて来た。「床屋とこや」も「理髪りはつ店」になった。
 結局、言葉は各人の言語意識によって動いて行くようである。そして、その言語意識を作り上げるのは、主としてその人の経験、教養、学校で受けた教育である。言葉の正しさの規範きはん意識もそこから生まれ出るようだ。 (岩淵いわぶち悦太郎えつたろうの文による)
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a 長文 12.4週 mu
 ある日、昼めしをおえると父親は、あごをなでながらかみそりを取り出した。きちは湯をのんでいた。 
「だれだ。このかみそりをぼろぼろにしたのは。」 
 父親は、かみそりのをすかして見てから、紙のはしを二つにおって切ってみた。が、すこしひっかかった。父の顔はすこしけわしくなった。 
「だれだ。このかみそりをぼろぼろにしたのは。」 
 父はかたそでをまくって、うでをなめると、かみそりをそこへあててみて、 
「いかん。」といった。 
 きちはのみかけた湯をしばし口へためて、だまっていた。 
きちがこのあいだといでいましたよ。」と、姉は言った。 
きち、おまえどうした。」 
やっぱり、きちはだまっていた。 
「うむ、どうした?」 
「ははあ、わかった。きちは屋根うらへばかりあがっていたから、なにかしていたにきまっている。」と、姉はいって庭へおりた。 
「いやだい。」と、きちはさけんだ。 
 姉ははりのはしにつりさがっているはしごをのぼりかけた。するときちは、はだしのまま庭へおりて、はしごを下からゆすぶりだした。 
「こわいよう、これ、きちってば。」 
 かたをちぢめている姉は、ちょっとだまると、口をとがらせてつばをかけようとした。 
きちっ。」と、父はしかった。 
 しばらくして屋根うらのおくの方で、 
「まあ、こんなところに面がこさえてあるわ。」という姉の声がした。 
 きちは姉が面を持っておりてくると、とびかかった。姉はきちをつきのけて面を父にわたすと、父はそれを高くささげるようにして、しばらくだまってながめていたが、 
「こりゃよくできとるな。」 
 また、ちょっとだまって、 
「うむ、こりゃよくできとる。」といってから、頭を左へかしげかえた。
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 面は父親を見おろして、ばかにしたような顔でにやりとわらっていた。 
 その夜、納戸で父親と母親とは、ねながら相談した。 
きちをげた屋にさそう。」 
 最初にそう父親がいうと、いままでだまっていた母親は、 
「それがいい。あの子はからだがよわいから遠くへやりたくない。」といった。 
 まもなくきちはげた屋になった。 
 きちの作った面は、その後、かれの店のかもいの上でたえずわらっていた。むろんなにをわらっているのかだれも知らなかった。 
 きちは二十五年、面の下でげたをいじりつづけてびんぼうした。 
 ある日、きちはひさしぶりでその面を見た。すると面は、いかにもかれをばかにしたような顔をしてにやりとわらった。きちははらがたった。つぎにはかなしくなった。が、またはらがたってきた。 
「きさまのおかげで、おれはげた屋になったのだ。」 
 きちは面をひきおろすと、なたをふるってその場でそれを二つにわった。しばらくしてかれは、げたの台木をながめるように、われた面をながめていたが、なんだかそれでりっぱなげたができそうな気がしてきた。
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