1たとえば粗大ゴミのゴミ捨て場へ行くと、まだまだ使えるものがいっぱい捨ててある。それは環境を汚染するわけです。そんなことならばもうちょっと高くても品質のいいものを買って、おじいさんから孫まで生活の思い出の残るものをずっと伝えていけば家具なども捨てなくていい。2そうすればゴミ捨て場もそれだけよけいな負担を背負わずにすむわけです。けれども、日本人は使っては捨て、使っては捨てという生活に疑問を持っていません。
3何年も寸法ひとつ狂わずに、引き出しも扉もピッタリとしている家具への愛着は、毎日の暮らし、人生、自分の世界をつくっていたものへの愛でもあり、そういう年月に耐えるものをつくった人の腕前に対する尊敬でもあるわけです。
4たとえば何代も読みつがれる名作といわれる文学作品は、アブクのように消えるいわゆる「よみもの」よりも多くの人に長く愛され、尊敬されているでしょう。いつまでも本棚に置いておきたいと思うでしょう。5そこから得たものは、それぞれの人格の中に深くはいりこんで、読者の人間を豊かにしたでしょう。すぐに忘れ去る一過性のよみものとは、違うものだと思います。それはモノに対しても同じであるはずなんです。
6では、ほんとうの豊かさ、なんとなく豊かな気持ちで毎日が送れる時とはどういうときかと考えてみますと、『パパラギ』という本をお読みになった方がいらっしゃるかどうかわかりませんが、南のある島の酋長が書いた本です。7その中でこういうことを言っている。人間というのは頭だけで生きているのではない。足だけで生きているのでもないし、手だけで生きているわけでもない。心もあるし、身体もあるし、頭もある。8頭も手も心で感じることも、目も耳も全部が同時に満足することが必要だ、ひとつに統一された満足感が必要だ。そういう生活が人間として幸せで豊かな生活なんだと言っている。
頭だけあるいは手だけを酷使して、ほかのところを顧みないと、人間は必ず病気になり、健康な心と身体を失う、と言っています。
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