1アフリカの田舎を自転車で訪れると、珍客が来たということで歓迎され、村にあるとっておきのゴリラ、サル、芋虫、ナマズ、ヤマアラシなど貴重な食べ物でもてなされた。
2ある日、目的地の村に到着して泊めてもらうことになり、いつものように晩ご飯を待っていたが、日が暮れてもいっこうに声がかからない。おかしいな……、と思いながらお腹が空いていたので手持ちの食料を食べた。
3そのときの体験を小学校の子どもたちに話して、「どうしてご飯を出してもらえなかったんだと思う?」と聞く。すると子どもたちは一生懸命考えて、
「村にご飯がなかったから」
「知らない人だからご飯を出さなかった」
4「ご飯を出さないで、達さんがどんな反応をするか見ようと思ったから」
「獲物を獲りに行っていたから」
という答えをくれる。相手に理由や原因がある、という考え方だ。
ところが質問をしていると、ひとりの男の子が小声で「自分の挨拶が足りなかったから」と答えたことがあった。5これはとても大切な考えだと思う。自分の方にも何か原因があったかもしれない、何かできることがあったかもしれない、という考え方だ。
僕の前述の問いに対する答えは、「毎日ご飯を食べさせてもらうのがいつの間にか当たり前になってしまって、感謝の気持ちがなかった。6だからそんな人にはご飯を出さない、と思われたのかもしれない」というものだ。主張するのも大事だが、人の家で食べさせていただくのに感謝の気持ちがなかった、きちんと挨拶していなかった、相手に失礼なことをしたなど、もしかしたらこちら側に問題があったかもしれないと考えることを伝えたい。7なんでも人のせいにしていると最後にはなにも見えなくなり、夢や目標があっても実現させることができなくなってしまう。僕がそう話すと、子どもたちは静まり返って真剣な顔で聞いている。
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