a 長文 1.1週 nnge
 「大人」は一人前の社会人としてさまざまな権利や義務をもつが「子ども」はそうではない。「子ども」は未熟であり、大人によって社会の荒波あらなみから庇護ひごされ、発達に応じてそれにふさわしい教育を受けるべきである。そうした子ども観は、われわれにとってはほとんど自明のものである。しかし、われわれの子ども観がどこでも通用するわけではない。社会が異なれば、さまざまに異なった子ども観があり、それによって子どもたち自身の経験も異なってくる。このことをアメリカの社会学者カープとヨールズは、次のような例を挙げて示している。
 例えばナバホ・インディアンは子どもを自立したものと考え、部族の行事のすべてに子どもたちを参加させる。子どもは、庇護ひごされるべきものとも重要な責任能力がないものともみなされない。子どもの言葉は大人の意見と同様に尊重され交渉こうしょうごとで大人が子どもの代弁をすることもない。子どもが歩き出すようになっても、親が危険なものを先回りして取り除くようなことはせず子ども自身が失敗から学ぶことを期待する。こうした子どもへの信頼しんらいは、われわれの目には過度の放任とも見えるが、自分と他者の自立を尊重するナバホの文化を教えるのにもっとも有効な方法であるという。(中略)
 今日のわれわれの子ども観、つまり「子ども」期をある年齢ねんれいはばで区切り特別な愛情と教育の対象として子どもをとらえる見方は、フランスの歴史家、フィリップ・アリエスによれば主として近代の西欧せいおう社会で形成されたものであるという。アリエスは、ヨーロッパでも中世においては、子どもは大人と較べくら て身体は小さく能力は劣るおと ものの、いわば「小さな大人」とみなされ、ことさらに大人と違いちが があるとは考えられていなかったという。子どもは「子ども扱いあつか 」されることなく奉公ほうこうや見習い修行に出、日常のあらゆる場で大人に混じって大人と同じように働き、遊び、暮らしていた。子どもがしだいに無知で無垢むくな存在とみなされて大人と明確に区別され学校や家庭に隔離かくりされるようになっていったのは、十七世紀から十八世紀にかけてのことである。アリエスはこのプロセスを「『子供』の誕生」のなかで、子どもを描いえが た絵画や子どもの服装、遊び、教会での祈りいの の言葉や学校のありさまなどを丹念たんねんに記述するこ
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とによって浮き彫りう ぼ にしている。アリエスらによる近年の社会史の研究は、われわれになじみの深い子ども観も、そして、人が幼児期を過ぎ、自分で自分の身の回りの世話ができるようになってからもすぐに大人にならずに「子ども」期を過ごすというライフコースのあり方自体も、歴史的、社会的な産物であることを明らかにした。
 西欧せいおうでは「子ども」は、社会の近代化のプロセスにおいて、近代家族と学校の長期的な発展のなかから徐々にじょじょ 生み出されていった。一方、日本では、明治政府による急激な近代化政策のなかで、近代西欧せいおうの子ども観の影響えいきょうを受けながらも、西欧せいおうとはやや異なったプロセスで「子ども」の誕生をみることになった。
 明治維新めいじいしんまで、子どもは子どもとして大人から区別される以前に封建ほうけん社会の一員としてまず武士の子どもであり、町人の子どもであり、あるいは農民の子どもであった。さらに男女の別があり、同じ家族に生まれても男児と女児ではまったく違っちが 扱いあつか を受けた。たとえば武家の跡取りあとと の子どもは、いつ父親が死んでも家格相応の役人として一人前に勤めろくを得ることができるよう早くから厳しい教育が施さほどこ れたし、農民の子どもも幼いころから親の仕事を手伝い村の子ども集団に参加して共同体の一員としての役割を担った。近世後期以降、寺子屋や郷学が農村にまで作られそこで読み書きの初歩を習うこともあったが、それはあくまで日常生活に必要な知識にとどまり労働のなかで親たちから教えられる日常知と区別されるものではなかった。子どもたちは封建ほうけん的区分のなかで、所属する階層や男女の別に応じてそれにふさわしい大人となるようしつけられた。
 明治五(一八七二)年の学制の公布は、そのようにそれぞれ異質な世界にあった子どもたちを、学校という均質な空間に一挙に掬いすく とり、「児童」という年齢ねんれいカテゴリーに一括いっかつした。その意味で、わが国において「子ども」はまず、建設されるべき近代国家を担う国民の育成をめざして、義務教育の対象として、制度的に生み出されたということができよう。
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a 長文 1.2週 nnge
 さて、ヨーロッパの旅をするとき、都市のモニュメンタルな建造物などを見れば、だれしもそれに魅せみ られる。だが、そこですぐに人は、その建物はだれが何時いかなる目的で建てたのか、などというような知的関心の方に動かされやすいのであるが、それはしばしばその人の印象体験やその感動を弱めるか、打ち消すかするのに作用するのである。たしかに建築物について、その様式とか構造とか、また成立過程や細部の特徴とくちょうといったことについて、知的に認識する、ということも大切なことである。(中略)しかし、もっと大切なことは、その対象についてまず知的・分析ぶんせき的に考える、ということではなくて、その対象をまず全体として見て感じるということ、あるいはその対象との出会いを新鮮しんせんに体験するということ、ではあるまいか。全体として見る、ということは外から見るということ、そしてその出会いの新鮮しんせんな印象を体験するということである。
 だが、このように言っただけでは、まだ旅の体験のなかにかくれひそんでいる大切なものを引き出すには十分ではない。人が旅において都市や建物や樹木や原野に出会うとすれば、それらの事物は、すでに一つの諸関連と構造をもった生きた全体、一つの生きた個性体であるはずである。その生きた一つの全体とは、風景にほかならない。人が旅において出会うのは一つの風景なのであり、ある風景のなかの事物に出会うのである。そしてこの風景こそは、歴史的・文化的人間の生と自然的・風土的生との一つの綜合そうごう、一つの結合として現象するものなのである。
 ただたんに部分としての家や建物だけとか、雲、山、川だけでは風景とはならない。ちょうど人間にとって眼、鼻、耳、額、かみなどのどの部分も、それだけでは顔つまり生きた全体をつくらないが、一つの全体としての顔を形成した時に、初めて生きた個性ある風貌ふうぼうが現象するように、自然物や人為じんい的建造物などが、一つの内的・生命的構造関連をもつ生きた全体となるところに風景が現象する。風景のこの内的生命関連は「風景のリズム」と言うことができる。もしも一つの美しい自然的風景があって、そこに人為じんい的建造物が入り込むはい こ として、それが風景のリズムを破壊はかいせずに、調和した一つの統一をつくり出しているとしたら、人為じんい的建造物をつくる人
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の心に、したがってつくられた作品としての建物のなかに、風景の心、風景のリズムが生きて作用しているということ、このことを認めざるをえないであろう。その反対の場合も明白である。風景の心を無視した資本主義的営利関心のつくり出す建造物が、むき出しに風景を破壊はかいする、ということは人のよく知っていることなのである。傷つけられた風景を見て人が痛みや悲しみを感得するのは、人が風景を生きものと感じているからである。
 いま風景の心、などという言い方をしたのであるが、これがここでの眼目なのだ。風景とは、たんなる死んだ物象としての自然の断片の機械的集合体とは何か違っちが たものである。日本語は風景のこの本質をよくとらえている。風景の間に「情」を入れてみよう。すると「風情」と「情景」の二語が、風景から派生してくる。実に「風景」とは、「風情」をもった「情景」にほかならない。つまり「風景」という二語の間に「情」がかくされているわけである。これ以上にみごとに風景の本質を語るのはむずかしいほどだ。風景は情をもっているのだ。(中略)
 しかし、さらにいま一つ本質的に重要なことがそこから生じてくる。風景が情をもって現象するということは風景が「世界内存在」(メルロ=ポンティ)の出来事になる、ということである。風景はそれを発見する人間と出会うとき、すなわち「世界内存在」において、生きた現象となるのだ。たとえば人が海岸で水平線を見て、そこに風景を感ずるとしよう。するとこの風景は、空と海を分ける線や、雲や青い空、海の色や、そして見る人の心の状態や、さまざまのものの綜合そうごうとして一つの出来事、一つの存在であることは明白である。もしも人が、その水平線の実在を確認しようとして、その水平線に向かって進むなら、水平線は姿を消してしまうだろう。

(内田芳明よしあき『風景の現象学』より)
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a 長文 1.3週 nnge
 首飾りくびかざ というものは、まず第一に財貨であり、第二に地位や富の象徴しょうちょうであり、そして第三にお守りである。といったさまざまな機能をもってきたようだし、今日もなお、これら三つの機能はそれぞれにはたらき続けている。だが、この第三の機能は、さらに世俗せぞく化して第四の役割をも受けもっているように思われる。もちろん、真珠しんじゅのネックレースとか、高価な宝石をちりばめたペンダントとか、要するに貴金属というカテゴリーにはいる首飾りくびかざ もたくさんあるし、宝石店をのぞいてみると、何百万円、ときには何千万円、といった値段のついたおどろくべき首飾りくびかざ がならんでいたりする。どういう人が買うのか、見当もつかないけれども、こういうものを首にかけるご婦人はおそらくそれを見せびらかし、わたしはこれだけお金持ちなのよ、ということを無言のうちに語ろうとなさっているに違いちが ない。
 しかし、たとえば、パチンとフタのひらくロケットといったようなものを考えてみよう。それは決して高価なものとはかぎらないけれども、ロケットのなかには、愛する人の写真などがひそかに入っているものであるようだ。このごろの世相は、そんなにロマンチックなものではないかもしれないけれども、昔はそういうものであったらしい。あるいは、母からむすめへと伝えられる首飾りくびかざ なども、それと似た性質をもっている。たとえそれが小さな銀のチャームであっても、それは母親という特定のひとの思い出とつながっているからだ。貴金属としては全く無価値であっても、特定の人間が特定の人間とのかかわりのなかでかけがえのないものとして主観的に絶対の価値をあたえるもの――そういう種類の首飾りくびかざ もある。ややほろ苦い感傷をこめてこうした種類の首飾りくびかざ をえがいた小説があったし、またグレン・ミラーの作曲になる「真珠しんじゅ首飾りくびかざ 」などもあった。この種類の首飾りくびかざ は決して財宝でもなく、富の象徴しょうちょうでもない。それはどちらかといえば、お守り系の首飾りくびかざ である。とはいうものの、これは神様からの加護という意味でのお守りではない。それは特定の人とむすびついた人間的な記憶きおくや感情にかかわるものであって、しいて名づけるなら、安心型の首飾りくびかざ とでも呼ぶべきであろうか。それを首にかけることで、空間的あるいは時間
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的にへだたった特定の人間が、擬似ぎじ的存在として感じられるからである。その擬似ぎじ的存在感は安心の根源になってくれるのだ。別段、特定の人間だけがそうした安心の根源になるわけではない。たとえば、旅先でみずから買い求めたペンダント、などというものもあるだろうし、なにかの折の記念に、と贈らおく れたチャームなどもあるだろう。そういう首飾りくびかざ は、その場だの、できごとだのの思い出をたぐりよせるための糸口として作用するのである。
 なんでもない「物」に深く思い入れをしてしまうことを哲学てつがく用語では物神崇拝すうはい(フェティシズム)という。そして物神崇拝すうはい馬鹿げばか たこと、と断定する人たちもすくなくはない。しかし、ぞくに、イワシの頭も信心からという。第三者からみて、全く無価値、かつ無意味であるようなものが特定の人間にとっては、絶対の価値と意味をもつこともすくなくないのだし、われわれはおしなべて、なんらかの物神崇拝すうはいの対象をもっているものなのだ。いや、わたしにいわせれば、むしろ物神崇拝すうはいの対象をなにも持っていない人こそが、実は不幸なのだ。

加藤かとう秀俊ひでとし「衣の社会学」より)
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a 長文 1.4週 nnge
 「くるまざ」という言葉は、室町時代のころにはすでに日本語の中に定着していたらしい。一六〇三年(慶長けいちょう八)に日本イエズス会が長崎ながさきで刊行した有名な『日辞書』にはCurumazaniという語が採られていて、例文としてCurumazani nauoru(車座に直る)があり、「みなの人々が円形に座につく」という説明がついている。
 何の具体的な根拠こんきょもないことだが、私はこの「車座」という語が、いずれにしても乱世の時代になってから人々に愛用されるようになったのではないかと想像している。「車座に直る」のは女たちではあるまい。合戦を前にした武士団、自分たちの権益を犯されそうになって対策を練るためひそかに集まった豪商ごうしょうたち、権力者に無理難題をふっかけられて鳩首きゅうしゅ協議するために集合した村の代表者たち、そういう男どもの緊張きんちょうした顔が、この言葉の背後から立ちのぼってくるように思えてならない。
 しかしこの形のつどいは、いったん緊急きんきゅう事態が解決されれば、たちまち一転して、酒宴しゅえん歌舞かぶ放吟ほうぎんの場になるだろう。女たちもその時は車座に花を添えそ 、その主人公にさえなるだろう。やがて天下太平の世ともなれば、もっぱら後者の車座が全盛となる。
 いずれにしても、全員が内側を向くという形の座のとり方は、集団の心構えを統一し、同心の者としての結束と忠誠を誓いちか 合い、敵対する者たちに対する排他はいた的情熱を高める上では、最も効果的な陣形じんけいだった。高校野球でもバレーボールでも、危機に臨んだ監督かんとくたちはみなこれを応用する。何しろ車座に座るというのは、互いにたが  顔と顔を向け合い、相手の一挙手一投足まで直接見つめていられる唯一ゆいいつの座り方なのである。祝いの席であるなら、一同心を同じくする快い興奮、さかずきを交わし合う歓びよろこ に、おのずと歌も踊りおど も出てくるのは当然だった。

(中略)

 私は財政とか経済とかの方面についてまったく暗い人間なので、まことに単純なことしか言えないが、アメリカと日本の間で極度に
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緊張きんちょうが高まっている貿易摩擦まさつや経済摩擦まさつの根源には、単なる経済問題よりもずっと深い生活原理の食い違いく ちが が横たわっていることは明らかで、これを打開するにはたぶん何世代もかかるのではないか、さもなければ再び重大な衝突しょうとつが激発することもありうるのではないか、という危惧きぐさえ感じることがある。
 この摩擦まさつは、「開放社会」と「車座社会」との対立、というふうにも単純化して言えるだろうが、アメリカの(そしてヨーロッパの、アジアの、その他全世界の)土地や不動産や美術品その他を次から次へと買い漁り、値を釣りあげつ   ておきながら、自国の土地や不動産その他に関しては、高い障壁しょうへきを張りめぐらしてヨソ者の参入を可能な限り阻止そしする姿勢を貫こつらぬ うとする日本人というものは、自由貿易、開放主義の原理を奉ずるほう  人々から見れば、理解できないばかりか、異様な魂胆こんたんを内に秘めて世界征服せいふくの野望さえちらつかせて前進する邪悪じゃあくな民族とも見えかねないだろう。アメリカ政府や議会の中にそういう感情が高まってくる時には、各地の市民の中にその何倍もの強さにおいて、同種の感情をたかぶらせている人々がいると見なければならない。

大岡おおおか信『詩をよむかぎ』による。ただし一部原文を改めた)
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a 長文 2.1週 nnge
二番目の長文が課題の長文です。
 そういう「定着文化」というか、うごかないことがよしとされる日本で育ったわたしは、長じてアラビアでのフィールドワークをするようになったとき、そうではない文化、「移動文化」ともいえるものにぶつかり、ある種のショックを受けた。といっても、それは異文化からきたわたしだから「ショック」なので、その人たちにとってはごく当り前のこと。おどろきでもなんでもない。わたしのフィールドのように自然条件・社会条件がきびしいところでは、しんどいことの連続なのだが、こういうおどろき、異質さの魅力みりょくというものに惹かひ れてなんとか今日までやってこられたようにおもう。
 アラビアの砂漠さばくでは、昼間の暴君である太陽が、夜のやさしさにその支配権を渡しわた 、やっとおだやかな夜がおとずれると、わたしもみなといっしょにほっとしたものだった。砂の上に横たわり、ねぶくろから顔だけ出してアラビアの星たちと交信するのも、楽しみのひとつだった。研究の対象はもちろん天の星ではなく、地上の遊牧民、ベドウィンだったが、かれらの移動について調査していて、どうもよくわからないことがでてきた。なぜ移動するのだろう。うごく必要はないではないか。水、草、子どもたちの学校、そのほかの生活の条件は同じ、あるいは悪くなるかもしれないのに、うごくことがあるのだ。
 このあたりのことは、先に「アラビア・ノート」(NHKブックス、一九七九年)で少しふれたが、「どうしてなの」ときくわたしに、「なにもかもよごれてしまったからね」という答えがかえってきた。これだけではどういうことかよくわからなかった。フィールドワークをしていると、言葉のやりとりだけではわからないことがたくさんあった。当然のことである。人は、言葉だけでわかりあうわけではない。
 一年ほどいっしょにくらすうち、砂のまじった食事も気にならなくなるのと同時くらいにかれらの「移動の哲学てつがく」がわかってきた。体系的なものを哲学てつがくとしてもっているわけではないが、かれらは人間がひとつのところにじっとしているのは退行を意味すると感じているのである。
 ひとつのところで生活をしていると、ごみが出てくるとか、死人が出たというような物理的なよごれもあるのだが、人間の心のほうもよごれてくる、よどんでくるように感じているようなのだ。うごくことによって浄化じょうかされるという感覚をもっている。これはセム族の中に古くからあるものとつながっているようでもある。「旧約
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聖書」にも、荒野あらの放浪ほうろうし、きよめられたもののみカナンの地に入れるという思想がみいだされる。いずれにしろ、うごくことによって浄化じょうかされるのだというおもいが、ふつふつとからだのなかにわいてくるようなところがあるようだ。 (中略)
 そういう元遊牧民たちだけでなく、オックスフォードやハーバードに留学したようないわゆる「都会の遊牧民」といえるアラビア人たちのなかにも「動の思想」はビルトインされているようである。政府の役人でも、一カ所にじっとしている人は少ない。あちこちに港すなわちオフィスをもっていて、風のように来ては去るのでつかまえるのに苦労する。ポケットベルがよく売れており、コードレス電話も日本で普及ふきゅうするよりはるか前から人びとのあいだで使われていた。よくうごくかれらは、これらを使ってビジネス上の連絡れんらくをとるというよりは、家族や友人、親類と連絡れんらくをとり、おしゃべりを楽しんだりするのである。職をかえることも日常的なことである。
 日本人の終身雇用こようの話をすると、目をまるくしておどろき、就職するときに「絶対うごきません」というような契約けいやくをしてしまうのかとたずね、けげんな顔をする。いや、そんな契約けいやくはしないが、ほとんどの人はうごかない、一生、同じ職場で仕事をするのだというと、ますますおどろかれてしまう。
 からだも心もうごいていくことを前提とするかれらは「ハサブ・ル・ズルーフ」という言葉を日常生活のなかでよく使う。「そのときの状況じょうきょうしだい」という意味である。すべての「時間」は「現在」に集約されると考え、大事なのは、同じ時間を同じ空間でわかちあっているこの瞬間しゅんかん、現在しかないのだという。明日はこうしようとおもっていても、次の朝起きてみると状況じょうきょうがうごいているかもしれない。母が危篤きとくとか、本人が熱を出したとか、そういうときはその状況じょうきょうにしたがって行動するしかない。そこで約束事には、日本では悪名高い「インシャーアッラー」(神の意志あらば)という言葉をそえて処方箋しょほうせんとする。人間の意志だけで、ものごとはうごくわけではない。昨日が今日をしばることもできない。晴耕雨読感覚で生きるということになるだろうか。

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長文 2.1週 nngeのつづき
 どんな理路整然とした方法論につらぬかれていても、もしその歴史書がその時代の生きた人間の活動を読者のまえに形象化するだけの力をもたなかったならば、それは死んだ歴史叙述じょじゅつです。そういう意味では、歴史は学問と芸術とのちょうど接点に位置しているといえるでしょう。日本では残念ながらこうした歴史叙述じょじゅつがはなはだすくない。いわゆるアカデミックな史家は、有職故実の学の伝統を継承けいしょうしているために煩瑣はんさな考証に首をつっこんで巨視的きょしてきな構成力に欠け、他方、広い意味で唯物ゆいぶつ史観の影響えいきょう下にある史家たちの労作は、ともすれば理論がはだかのままで歴史のなかに登場してくるために、人間と人間とのぶつかりあいが範疇はんちゅう範疇はんちゅうとの関係としてしか描かえが れない傾向けいこうがあります。またある場合には歴史叙述じょじゅつの主体性とか階級性とかいう美名を借りて、実は自分のせまいエモーションで歴史的対象を好みの色にぬりあげてゆく例すらなしとしません。いずれにしても歴史は殺されてしまいます。
 なぜ日本の場合にはこういうことになるのでしょうか。これはひとごとではなく私自身への批判として考えていることなのですが、私はなによりも歴史家が自分の目のまえにいる人間を見る眼がまずしくひからびているということの結果ではないかと思うのです。歴史と現代とをつなぐくさびはいうまでもなく人間です。歴史のなかの人間の動きを注目することによって、それだけ現実の人間を深く立体的に観察する眼が養われるのですが、逆にまた現実の人間を見る眼が肥えているだけ、それだけ錯雑さくざつした歴史過程のなかに躍動やくどうする人間像をうかびあがらせる力もうまれてくるわけです。日本にすぐれた伝記がきわめて乏しいとぼ  という事実になによりわれわれの人間観察力のにぶさがあらわれているのではないでしょうか。
 そういうわけで、せまい意味の歴史書を読むだけでなく、すぐれた伝記作家の作品を読むことが歴史の勉強、ひいては社会科学一般いっぱんの勉強にも非常に大事なことです。歴史を学ぶということは、要するに人間をたえず再発見してゆくということにほかなりません。いな、社会科学自体の究極の目標もそこにあります。
 さきほどユネスコが世界各国から社会科学者をあつめて平和問題を討議させましたが、その際の共同声明のなかに、平和の基礎きそ
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しての社会的洞察どうさつを民衆にあたえることが、人間の学としての社会科学の重大な役割だ、と述べているのをみて、私はいまさらのように感動しました。日本の法律・政治・経済の学者たちはあまりに専門的に分化し、他方あまりに理論の整合性をよろこびすぎて、人間をトータルに把握はあくするという、いちばん平凡へいぼんな、しかもいちばん肝腎かんじんのことを忘れていたのではないでしょうか。「機構」の分析ぶんせきもけっこうですが、機構といったところで具体的には肉体と感情とをもった人間の集団によって担われているもので、そうした感性的人間とはなれた意味での「客観的」存在ではありません。そういう平凡へいぼんなことが看過されると、どんな精緻せいちな理論も人間を内部からつきうごかす力をもたなくなってしまうのです。
 学問の意味をここまでつきつめてきてはじめて、「学問とは本を読むことだけではない」という、よくいわれる命題の正しい意味も理解されてきます。人間と人間の行動とを把握はあくしようという目的意識につらぬかれているかぎり、映画をみても、小説を読んでも、隣りとな のおばさんと話をしても、そこに広くは学問一般いっぱんの、せまくは歴史の生きた素材を発見できるはずです。そうした日常生活のなかでたえず自分の学問をためしてゆくことによって、学問がそれだけゆたかに立体的になり、逆にまた自分の生活と行動とが原理的な一貫いっかん性をもってくるでしょう。

(丸山真男「勉学についての二、三の助言」より)
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a 長文 2.2週 nnge
 言語以外の表現方法は、総括そうかつしてこれを「しぐさ」または挙動といっているが、あるいはこの語では狭きせま に失して、「泣く」までは含まふく ぬような感じがある。しかし、もっとよい名ができぬ以上は、用心をしてこの名で呼ぶより他はない。ジェスチュア・ラングェージという語を、タイラーの原始文化論などには使っていて、これが社会生活の大きな役割をしていることは、少なくとも未開人については、くりかえし我われの実験し得たところであるが、実はありふれたこととして気に留めないばかりで、多くの文明人もまたそういう空気の中に生息しているのである。
 それにもかかわらず、今日は言葉というものの力を、一般いっぱんに過信している。それというのは書いたものが、余りはばをきかせるからかと思う。文章はすべて言葉ばかりから成立ち、日本はまた朗読法などということをまるで考えに入れない国であるから、書いたものだけによって世の中を知ろうとすると、結局音声や「しぐさ」のどれぐらい重要であったかを、心づく機会などは無いのである。言語の万能を信ずる気風が、今は少しばかり強過ぎるようである。「そう言ったじゃないか」、そうは言ったが実際はそう考えていなかった場合に、こういう文句でぎゅうぎゅうと詰問きつもんせられる。「何がおかしい」。黙っだま て笑っているより外は無い場合に、言葉で言ってみろと強要せられる。「フンとはなんだ」。説明してみよという意味であるが、実はその説明ができないから、ただ「フン」というのである。これらはたいていは無用の文句で、それを発言する前から、もう相手の態度はわかっているのである。むしろ、言語には現[ママ]わせないことを承認する方式みたいなものである。泣くということに対しても「泣いたってわからぬ」、または「泣かずにわけを言ってごらん」などとよく言うが、そう言ったからとて左様ならばと、早速に言葉の表現に取替えとりか られるものでも無い。もしも言葉をもって十分に望むところを述べ、感ずるところを言い現[ママ]わし得るものならば、もちろんだれだってその方法によりたいので、それでは精確に心の内を映し出せぬ故に、泣くという方式を採用するのである。したがって、言葉をもってする表現技能の進歩と反比例に、この第二式の表現方法が退却たいきゃくすることは、赤ん坊あか ぼうから子供、少年から青年へと、段々泣かなくなってゆくのがよい証拠しょうこである。
 ゆえに現代がもしも私の観測した通り、老若男女を通じて総体
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に泣声の少なくなってきた時代だとすれば、それは何らか他の種の表現手段、という中にも主として言い方の、大いに発達した結果と推定して、まずまちがいは無いのであるが、なお一方には泣くことが人間交通の必要な一つの働きであることを認めずに、ただひたすらにこれを嫌いきら 憎みにく 、または賎しいや 嘲るあざけ 傾向けいこうばかり強くなっていることを考えると、あるいはまれには不便を忍んしの で、代りの方法は一つも無くても、なお泣くまいと努力している者が無いとは言えない。したがってこれを直接に人間の悲しみの、昔よりも少なくなった徴候ちょうこうと見ることは、まだ少しばかり気遣わしくきづか   、泣きさえしなければ子供は常に幸福と、速断してしまうことも考えものなのである。

柳田やなぎだ国男「不幸なる芸術」より)
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a 長文 2.3週 nnge
 坊っちゃんぼ    」はイギリスでヨーロッパにおける個人の位置を見てしまった漱石そうせきが、わが国における個人の問題を学校という世間の中で描き出そえが だ うとした作品である。赤シャツは、あるとき坊っちゃんぼ    にいう。「あなたは失礼ながら、まだ学校を卒業したてで、教師は初めての経験である。所が学校とふものは中々情実のあるもので、さう書生流に淡泊たんぱくには行かないですからね。」坊っちゃんぼ    はそれに対して「今日只今ただいまに至るまで(これでいいと堅くかた 信じて居る。考へて見ると世間の大部分の人はわるくなる事を奨励しょうれいして居る様に思ふ。わるくならなければ社会に成功はしないものと信じて居るらしい。たまに正直な純粋じゅんすいな人を見ると坊っちゃんぼ    だの小僧こぞうだのと難癖なんくせをつけて軽蔑けいべつする。それぢゃ小学校や中学校でうそをつくな、正直にしろと倫理りんりの先生が教へない方がいい。いっそ思ひ切って学校でうそをつく法とか、人を信じない術とか、人を乗せる策を教授する方が、世のためにも当人のためにもなるだらう。」と考えている。坊っちゃんぼ    」は学校という世間を対象化しようとした作品であり、読者は坊っちゃんぼ    肩入れかたい しながら読んでいるが、その実みな自分が赤シャツの仲間であることを薄々うすうす感じとっているのである。しかし世間に対する無力感のために、せめて作品の中で坊っちゃんぼ    活躍かつやくするのを見て快哉かいさい叫んさけ でいるにすぎないのである。
(中略)
 明治以降社会という言葉が通用するようになってから、私達は本来欧米おうべいでつくられたこの言葉を使ってわが国の現象を説明するようになり、そのためにその概念がいねんが本来もっていた意味とわが国の実状との間の乖離かいりが無視される傾向けいこうが出てきたのである。欧米おうべいの社会という言葉は、本来個人がつくる社会を意味しており、個人が前提であった。しかしわが国では個人という概念がいねんは訳語としてできたものの、その内容は欧米おうべいの個人とは似ても似つかないものであっ
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た。欧米おうべいの意味での個人が生まれていないのに社会という言葉が通用するようになってから、少なくとも文章のうえではあたかも欧米おうべい流の社会があるかのような幻想げんそうが生まれたのである。しかし、学者や新聞人を別にすれば、一般いっぱんの人々はそれほど鈍感どんかんではなかった。人々は社会という言葉をあまり使わず、日常会話の世界では相変わらず世間という言葉を使い続けたのである。この点については特に知識人に責任がある。知識人の多くはわが国の現状分析ぶんせきをする中で常に欧米おうべい比較ひかくし、欧米おうべい諸国に比べてわが国が遅れおく ていると論じてきた。たとえばカントの「啓蒙けいもうとは何か」という書物の中で、上官の命令が間違っまちが ていた場合に部下のとるべき態度が論じられている。上官の命令が間違っまちが ていると考えた場合でも、部下はその命令に従わなければならない。さもなければ軍隊は成立しないからである。しかし軍務が終了しゅうりょうしたとき、その部下は上官の命令の誤りを公開の場で論じることができるとカントはいう。そしてその場合かれは自分の理性を公的に使用しているのだというのである。
 日本の事情を考えてみよう。ある会社員が会社の経理やその他に不正を発見して、それを公的な場で指弾しだんした場合、かれ間違いまちが なく首になるであろう。そしてもしそのことが公的に論じられるようなことが起こった場合、かれの行動が公的な理性に基づくものだという者が日本にいるだろうか。
 このように考えてくると、問題の一つは、わが国においては個人はどこまで自分の行動の責任をとる必要があるのかという問題であることが明らかになろう。それはいいかえれば世間の中で個人はどのような位置をもっているのかという問いでもある。
 日本の個人は、世間向きの顔や発言と自分の内面の想いを区別してふるまう、そのような関係の中で個人の外面と内面の双方そうほうが形成されているのである。いわば個人は、世間との関係の中で生まれているのである。世間は人間関係の世界である限りでかなり曖昧あいまいなものであり、その曖昧あいまいなものとの関係の中で自己を形成せざるをえない日本の個人は、欧米おうべい人からみると、曖昧あいまいな存在としてみえるのである。 (阿部あべ謹也『「世間」とは何か』)
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a 長文 2.4週 nnge
 英語にキャノンCanonという単語がある。もとはギリシャ語で、尺度、基準の意味だった。それがキリスト教の正統的戒律かいりつ、聖書の正典の意味になり、さらに文学・文化の標準ないし標準的作品を意味する言葉となっている。
 アメリカでは近ごろ、このキャノンの見直しが話題になっている。社会現象としてはこれまで正義とされてきたものが不正とされ、野蛮やばんとされていたものが逆に崇高すうこうと見なされるたぐいのことが多い。西部劇映画における騎兵隊きへいたいと先住民(インディアン)の描きえが 方など、その典型的な例となるだろう。そういう傾向けいこうを反映して、歴史の書き換えか か の要求は広範こうはんになされているらしい。文学でも同様である。古典とされていた作品がわきに押しやらお   れ、従来無視されていた作品がキャノンの座に押し上げお あ られる。そういう文学史の本や教科書が相次いで現われ、大学などにおける文学・文化教育にも大幅おおはばな変革を迫っせま ている。
 これに呼応して、日本におけるアメリカ研究も根本的に変わらなければならない、という声が学会などでよく聞かれるようになった。だがまた、そんなに急に変われるものか、といった不安の声もよく耳にする。
 キャノンの見直しは、本当は別に新しいことではない。かりに日本文学で『万葉集』や芭蕉ばしょうは不動の地位を占めし てきたとしても、『古今集』や『新古今集』、西鶴さいかく蕪村ぶそんの地位は、しばしば揺らいゆ  できたのではなかろうか。一世を風靡ふうびした紅露逍鴎のうち、いまも衆目の認める「文豪ぶんごう」は森鴎外おうがいのみで、他は特別の愛好家以外にはなかなか読もうとしない。そしてこの四人のかげにかくれていた夏目漱石そうせきが、いまでは日本近代文学を代表する地位を占めし ているように思われる。
 アメリカでも同様である。十九世紀に最高の詩人と仰があお れていたロングフェローは、二十世紀に入ると神聖な座から引きずり降ろされてしまった。かれ含めふく て、文学界に君臨した「ケンブリッジ・ブラーミン」いまいずこだ。そして、粗野そや猥雑わいざつとされていたホイットマンが、アメリカの代表的詩人と見なされるようになった。アメ
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リカで最初のノーベル文学賞受賞作家シンクレア・ルイスをはじめ、いまでは研究者にも読まれなくなってしまった文学者も数多い。
 だが最近のアメリカでのキャノンの見直しは、個々の人物や事件の長い時間をかけた見直しとは違うちが 。それはアメリカの社会や文化の全体的見直しと結びついているのだ。一九六〇年代からのアメリカの激変、つまり公民権運動、さまざまな少数派人種の台頭、あるいはフェミニズムの進展などがあり、かつての白人男性中心の文化は打倒だとうの目標とされ、多文化主義が唱えられるようになった。ポストモダニズムなど、伝統的価値の権威けんいを否定する批評理論も、この動きを助けているといってよい。

(中略)

 このように見てくると、キャノン見直し運動は、現代のアメリカにおける価値観の動揺どうようと文化の正統性をめぐる戦いであることが分かる。私たちがそれを理解し、その見直しの方向に注意を払うはら 必要は、間違いまちが なくある。それを日本に適用して役立てられる部分も多いように思う。

亀井かめい俊介しゅんすけ『わがアメリカ文学誌』より)
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a 長文 3.1週 nnge
二番目の長文が課題の長文です。
 白は、完成度というものに対する人間の意識に影響えいきょう与えあた 続けた。紙と印刷の文化に関係する美意識は、文字や活字の問題だけではなく、言葉をいかなる完成度で定着させるかという、情報の仕上げと始末への意識を生み出している。白い紙に黒いインクで文字を印刷するという行為こういは、不可逆な定着をおのずと成立させてしまうので、未成熟なもの、吟味ぎんみの足らないものはその上に発露はつろされてはならないという、暗黙あんもく了解りょうかいをいざなう。
 推敲すいこうという言葉がある。推敲すいこうとは中国のとう代の詩人、賈島かとうの、詩作における逡巡しゅんじゅん逸話いつわである。詩人は求める詩想において「そうは推す月下の門」がいいか「そう敲くたた 月下の門」がいいかを決めかねて悩むなや 逸話いつわ逸話いつわたるゆえんは、選択せんたくする言葉のわずかな差異と、その差において詩のイマジネーションになるほど大きな変容が起こり得るという共感が、この有名な逡巡しゅんじゅんを通して成立するということであろう。月あかりの静謐せいひつな風景の中を、音もなく門を推すのか、あるいは静寂せいじゃくの中に木戸を敲くたた 音を響かせるひび   かは、確かに大きな違いちが かもしれない。いずれかを決めかねる詩人のデリケートな感受性に、人はささやかな同意を寄せるかもしれない。しかしながら一方で、推すにしても敲くたた にしても、それほどの逡巡しゅんじゅんを生み出すほどの大事でもなかろうという、差に執着しゅうちゃくする詩人の神経質さ、器量の小ささをも同時に印象づけているかもしれない。これは「定着」あるいは「完成」という状態を前にした人間の心理に言及げんきゅうする問題である。
 白い紙に記されたものは不可逆である。後戻りあともど が出来ない。今日、押印おういんしたりサインしたりという行為こういが、意思決定の証として社会の中を流通している背景には、白い紙の上には訂正ていせい不能な出来事が固定されるというイマジネーションがある。白い紙の上にしゅ印泥いんでいを用いて印を押すお という行為こういは、明らかに不可逆性の象徴しょうちょうである。
 思索しさくを言葉として定着させる行為こういもまた白い紙の上にペンや筆
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で書くという不可逆性、そして活字として書籍しょせきの上に定着させるというさらに大きな不可逆性を発生させる営みである。推敲すいこうという行為こういはそうした不可逆性が生み出した営みであり美意識であろう。このような、達成を意識した完成度や洗練を求める気持ちの背景に、白という感受性が潜んひそ でいる。
 子供のころ、習字の練習は半紙という紙の上で行った。黒いすみで白い半紙の上に未成熟な文字を果てしなく発露はつろし続ける、その反復が文字を書くトレーニングであった。取り返しのつかないつたない結末を紙の上に顕しあらわ 続ける呵責かしゃくの念が上達のエネルギーとなる。練習用の半紙といえども、白い紙である。そこに自分のつたない行為こうい痕跡こんせきを残し続けていく。紙がもったいないというよりも、白い紙に消し去れない過失を累積るいせきしていく様を把握はあくし続けることが、おのずと推敲すいこうという美意識を加速させるのである。この、推敲すいこうという意識をいざなう推進力のようなものが、紙を中心としたひとつの文化を作り上げてきたのではないかと思うのである。もしも、無限の過失をなんの代償だいしょうもなく受け入れ続けてくれるメディアがあったとしたならば、推すか敲くたた かを逡巡しゅんじゅんする心理は生まれてこないかもしれない。
 (中略)
 弓矢の初級者に向けた忠告として「諸矢を手挟みたばさ て的に向かふ」ことをいさめる逸話いつわが『徒然草』にある。標的に向かう時に二本目の矢を持って弓を構えてはいけない。その刹那せつなに訪れる二の矢への無意識の依存いぞんが一の矢への切実な集中を鈍らにぶ せるという指摘してきである。この、矢を一本だけ持って的に向かう集中の中に白がある。

 (原研『白』)
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長文 3.1週 nngeのつづき
 自然に対する人間の働きかけには二つの型がある。一つは量についてのもの。もう一つは制御せいぎょと管理に関するものである。昔から人はいつでも量の不足に悩んなや できた。飢えう というのは食料の量の不足に由来する不幸であり、貧困とは一般いっぱん化された飢えう のことである。食料さえ潤沢じゅんたくにあれば、人間は幸福になれる。この物質主義的な考えは、しかし、直接の飢えう が解消されるにつれてどんどん拡大解釈かいしゃくされ、今や他人と違うちが 衣服とか、広い家とか、あるいはとなりよりも大きな車、世界に一点しかない絵画、等々、とどまるところを知らない。そして、技術というものが自然から便益を引き出す方法である以上、技術にはもっと多くという量の要請ようせいが最初からつきまとってきた。労力その他のコストを最小限略して最大の収穫しゅうかくを得る。実に単純明快な目標を技術は設定してやってきた。
 そして、今ふりかえってみれば、技術者たちは与えあた られた任務をあまりに見事に達成したのである(ここでは技術者という言葉を、原始的な農耕原理の無名の発明者から現代の常温かく融合ゆうごうの研究者まで、つまり時間にして数万年に亘っわた て技術革新に従事してきた人々と定義しておこう)。もともとホモ・サピエンスという種は、このような仕事が得意だったのだろう。自然から多くの便益を効率的に引き出すという課題は達成された。しかも、これは同じ速度で進んだのではなく、成果は加速度的に積み上げられ、いわばこの百年間は技術開発の雪崩なだれ現象をあれよあれよと見て過ごすような歳月さいげつだった。一つを解決するとそれが次の問題に対するヒントを与えあた 、それがまた広く別の分野にスピンオフして花開くという喜ばしい事態を技術者たちは体験した。幸せな人たちだ。
 しかし、このあまりの成功は、量の達成という目的そのものを疑う結果を生んだ。人間の欲望は無限であるのに、地球のサイズは有限だったのである。あまりにも単純な算術的な事態で、招いたわれわれの方だってつい先日まではこんなことで行き詰まるい づ  とは思っていなかった。人間がこのパラドックスに気付いたきっかけは核兵器かくへいきだった。量と効率という課題に対する飛躍ひやく的な解決という意味で、核兵器かくへいきは現代技術の典型である。以前ならば一人の敵を殺
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すには、自分で出ていって、こちらの身を危うくした上で、刺し殺すさ ころ か、切り殺すか、あるいは撲殺ぼくさつするか、絞殺こうさつするか、いずれにしても具体的な物理力を相手の身体に対して加える必要があった。勝敗の確率は当然五〇パーセントということになる。この率を少しでも自分の方に有利に傾けよかたむ  うという技術的要請ようせいが多くの武器を生み、その最終的な傑作けっさくとして核兵器かくへいきとミサイルが生まれた。だれも住まない山岳さんがく地帯の地下深く造られた厚いべトンと鉄鋼のごうの中で、肉体的には決して戦士の体格をそなえているとは言えない技術者が、一見無害に見えるボタンを押すお 。実際にはもう少し複雑な操作をするわけだが、いずれにしても見たところ殺人とまったく無関係な行動をすることで、半時間後にははるか彼方かなたで数十万の人が死ぬ。その数十万の人々の一人一人が本当に敵であるか否か、それを調べる必要もない。これほど効果的な戦争があっただろうかと、将軍たちが胸を張るのも無理はないのだ。
 核兵器かくへいきはいかになんでも強すぎた。量という点だけで異常に肥大した怪物かいぶつである。いかに速い馬でも、行きたいところへ行ってくれなかったり、目的地に着いても止まらないのでは乗ることはできない。これを機に技術的成功は必ずしもトータルな成功ではないことが明らかになった。量の問題を解決してみたら、その量を制御せいぎょするものが不足していることが歴然と見えてきたのである。そこであらためて人は、昔から自分たちがかかえてきた問題には量と制御せいぎょないし管理の二面があったことに気付いた。これまでは量ばかりを追ってきたために無視されてきた制御せいぎょの問題が表面化したのである。制御せいぎょの問題は最初からすべての富に付きまとっていたし、それを指摘してきする声もあった。富の分配や集中はこの制御せいぎょの問題の一つの局面にすぎない。だから社会主義者が量の確保と同時に分配の方法を論じようとしたのは正しかった。しかし、いつでも量の問題が優先的に扱わあつか れ、制御せいぎょの方はその後ということで先送りされてきたのが人間の歴史である。

池澤いけざわ夏樹「ゴドーを待ちながら」)
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a 長文 3.2週 nnge
 芸術というものは、ある時理論を学べば、あとは芸術家の個性に従って創作すればよいというものでもなければ、どだいそんなことはできないものだと思う。芸術家は、理論を習うよりまえに、幼い時、もっと根本的な体験をしており、そのあとで、いつか、ある芸術作品に触発しょくはつされて、芸術家のたましいを目覚まされ、そこで、それを手本にとり、理論を学びながら、最初の試みにとりかかるというものだと思う。そうして、かれの成長とか円熟とかいうものは、根本的な体験につながる表現にだんだん迫っせま てゆくという順序を踏むふ のではないか。この最初の手本が何であるかは、その芸術家の一生を支配する。日本の芸術家にとって、それがピカソかゴッホだったり、モーツァルトかヴァーグナーだったり、チェーホフかシェイクスピアだったりしたとしても、私に何も異議を訴えるうった  筋はない。ただ、そういう時、かれのもっと幼い根本的な体験と、西洋の大芸術との間の距離きょりはずいぶん広いはずだろうから、後年それを埋めるう  のは並大抵なみたいていのことではあるまいと、最近、気がついてきたのである。手本が低ければ良かったろうというのでもない。しかしべートーヴェンもシェイクスピアも、私たちのとはひどくちがった文明の体系から生まれ、それと複雑にからみあった芸術である。それは私たちにわからないといえないどころか、私たちに強烈きょうれつ訴えうった かけ、私たちを心の底から揺すぶりゆ   魅了みりょうしつくす力に満ちている。だが、わかるとか楽しめる、同感できるとかいうことと、創造の根源につながるということとは、微妙びみょうにからみあっているが、ちがう次元に属する。これを明らかにすることは、理論家にとっても研究家にとっても、そうして私たち芸術に関心のある文筆業者にとっても、いちばん大切な仕事に属するだろう。バッハ、モーツァルトとヴァーグナーをもつドイツ人音楽家、モンテヴェルディ民謡みんようをもつイタリア人、リュリとドビュッシーをもつフランス人、チャイコフスキーと若しかしたらその前にグリンカをもったロシア人音楽家たち、これは彼らかれ の幸福であり、時には不幸かも知れない。こういう人々がいたということが、のちにくる数世紀のそれぞれの国の芸術を決定づけるのだから。
 どういう文化も、そういうことからは逃れのが がたいのである。そうして、それは芸術家の創作ばかりでなく、街の人、市民の感受性の
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規制にまで及んおよ でゆく。ヨーロッパにゆくごとに思うのだが、南欧なんおうの人々はよく知らないから別としても、スカンディナヴィア、ドイツからオーストリア、スイス、オランダ、といった国々で、花瓶かびんに生けてある花の束をみれば、それがどれもこれも、根本的には、十六世紀ネーデルランド画派の天才ブリューゲル老のあの素晴らしい花の絵にそっくりの構成をもっている。ブリューゲルの花の絵は、後にくる絵画の流れに大きな影響えいきょう及ぼしおよ  、それに続く十七、八世紀の画家たち、たとえば、花瓶かびんに生けた花束の絵をやたらとたくさん描いえが たホイスムたちの原型となったといってもよいのだろうし、この種の絵は各都市の美術館にゆけばいっぱいある。そうして、現代のヨーロッパ人たちが、まるっきりこういう絵を見ないで育ったというのは考えられないことだ。ただ、彼らかれ が今花を生けるとしても、そういう絵を思い出してするかどうかは疑わしい。ところが、そうであるにせよ、そうでないにせよ、彼らかれ は花を生けるとなったら、この四百年前のブリューゲルから少なくとも二百年前まで連綿とつたわった絵画の伝統にみられる生け方をしてしまうのである。私は、こういった例を他にも数多くあげることができる。

吉田よしだ秀和ひでかず「ソロモンの歌」より)
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a 長文 3.3週 nnge
 ある人物についての物語が、何よりも、当人自身を満足させるものでなければならない場合を考えよう。それは、当人が、不確実な未来や危機的状況じょうきょうを前にして、何らかの選択せんたくあるいは決断を下さねばならないような場合である。このような場合、ひとは、そうした選択せんたくや決断が、果して自身の望むような帰結をもたらすのかを思案し、過去において自分が出合った相似た事例を探り、自身の能力や資質を確認しようとするであろう。そして、そのことと重なり合う形で、そもそも、そのような選択せんたくや決断が自分にふさわしいものであるのかを確認しようとするのではないだろうか。
 高校野球で活躍かつやくした生徒がプロ野球入りを勧めすす られた場合を考えよう。プロの世界での成功は必ずしも百パーセントの成功を保障されたものではない。当人は、こうした事態を前にして、まず自己の実力について過去の実績を勘案かんあんしながら、それと並行して、プロ野球の選手生活が、真に自分の願望するものであるかを確認しようとするであろう。このとき、過去の自分にまつわる様々な出来事や思い出が、プロ生活に入る決断に向けて、まさしく自分自身で納得しうるような「筋」の中に位置づけられていくのである。この場合、「筋」は、既にすで 成功している野球選手が語る物語を適宜てきぎ借用するというわけにはいかない。あくまで、本人自身にとって、プロ生活への決断が自然であるように思われるような「筋」でなければならない。すなわち、物語が語られることで、それは、おのずから決断の理由を構成する。その際、プロに入るという決断が、そうした物語を要請ようせいしたといった言い方も可能であろう。ということは、逆に、プロに入ることを断念する決断が下されたなら、また別様の物語が語られたであろうということを意味する。すなわち、「来歴」は固定したものではなく、一定の範囲はんいで、現在の決断との関連で、様々に語られうる可能性を持つのである。
 かくして、ひとは如何なるいか  決断を下すか考慮こうりょしつつ、自らの属性や過去の出来事を適宜てきぎ選択せんたく解釈かいしゃくしたうえで、自らの物語の「筋」を求めるのであり、他方、様々にありうる「筋」を探索たんさくするなかで決断の内容が次第に形を整えていくのである。その際、過去の様々な事実が、その時点で実際に感じられたり思考されたのとは異なった意味づけが下される場合もあるであろう。また、以前においてはさして意味を持っていないと思われたり、半ば忘却ぼうきゃくして
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いたりした事実がにわかに重要な意義を持つものとして浮かび上がるう  あ  場合もあろう。このようにして、物語は、現在を通して過去と未来を媒介ばいかいする。すなわち、さまざまな「筋」の可能性を秘めた物語のなかで、過去と現在が未来を規定し、また、未来と現在が過去を規定するのである。
 当人の「何者」をもっともよく明らかにするのは、上に見たように何よりも当人にとって切実な自己理解の要求に基づいて語られた物語であり、そして、そのような物語こそが、他者に対しても、当人についてのより充実じゅうじつした「理解」を与えるあた  のである。もっとも、このような「理解」を通して得られた「何者」も、他の「何者」でもないという意味で真に独自のものであるとは限らない。ハイデガー(ドイツの哲学てつがく者)は、ひとが「世人」の状態を脱しだっ て「本来的な自己存在」ということに思い至るのは、他のだれのものでもない自己の死を意識したときだと述べ、そのような契機けいきを「先駆せんく的決意」という言葉で表現した。「先駆せんく的決意」は、不確実で危機的である状況じょうきょうのいわば極限的なケースについて言われるものであると言ってよいが、おそらく、真の「独自性」というものも、そのような極限的状態においてあらわになるのかもしれない。しかし、ひとがもっぱらこうした特別の状態に置かれている場合のみを念頭に置くことが、当人への理解のうえで、果して妥当だとうであろうか。そもそも、ひとが自らについて語る物語にとって重要なことは、「独自性」というよりも、むしろ「真実性」ではないかと思われるからである。
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a 長文 3.4週 nnge
 ここで確認しなければならないのは、「わたしがわたしである」ことを「覚えている」ということは、過去の行動の完全な履歴りれきが保存されるのではなく、思い出されるたびに変化し、意味付けの変わる記憶きおく維持いじしているということであり、そこには「忘却ぼうきゃく」も同じくらい必要とされるものであるということだ。すなわちそれは、「記憶きおく」と「記録」が、質としてまったく異なるものであることを意味している。記録が記憶きおくに果たす役割を考えるために、もう少し「記憶きおくのあいまいさ」という点について述べてみよう。
 認知心理学者の高橋雅延によれば、私たちが「覚えている」と思っている過去の記憶きおくも、実はかなりの程度あいまいさを残している部分があるという。高橋によると、私たちは一ヶ月かげつ前のことを、事実のとおりに思い出せると考えがちだが、実際には、時間をおくことで、五〇%前後の記憶きおく入れ替わっい か  てしまうというのだ。つまりそこで私たちは、「想起する記憶きおく内容の一部を選択せんたくし、再構成している」のである。さらに言えば、何度も繰り返しく かえ 思い出すことで、「虚偽きょぎ記憶きおく」が現れる場合さえあると高橋は述べている。
 その記憶きおくのゆがみに影響えいきょう及ぼすおよ  のは、たとえば「暗黙あんもく理論」と呼ばれるような素人考えだ。暗黙あんもく理論とは、必ずしも明確な科学的根拠こんきょがないにもかかわらず、世間では信じられている知識や概念がいねんのことであり、具体的には、「幼少時のトラウマが人格形成に強く影響えいきょうする」といった知識のことを指す。このように近年の記憶きおく研究は、むしろ記憶きおくが、他者や社会的な認知とのかかわりで容易に変化するような、あいまいなものであることに注目しているのである。
 こうした知見に基づいて、心理学者は、「わたしはわたしのことを覚えている」という出来事が、文字どおり過去の出来事を脳内にストックするようなものではなく、思い出されることによって、それが新たに「記憶きおく」として上書きされるような、「自己物語」の側面を持つと主張している。つまり、わたしがわたしであることの確信は、(「もうひとりの自分」のようなものを含むふく )他者への語りの中から生成してくるということだ。
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 だとすれば、そこで「記録」というメディアが、自己を形成するのに非常に重要な役割を果たすことは、容易に想像できるだろう。「高校時代の友人」が、どのような人だったのか、放っておけば私たちはすぐに忘れてしまう。しかし、日常にはあまり思い出されることのない相手であっても、卒業アルバムを見返したり、あるいはときにそれを別の友人に見せながら、「かれはこういう人でね」とか「ああ、こんな人もいたなあ、彼女かのじょはね……」と語ったりすることで、そのたびに「高校時代の自分」を構成することができる。そしてそれを通じて「あのときは意識しなかったけど、ほんとうはこの人のことが好きだったんだ」などといったように、記録をもとにした他者への語りを通じて、「いまの自分」に接続される自己物語を生成するのである。
 ここには、記録というメディアと、自己によって物語られる記憶きおくとの間の、ダイナミックな関係を見て取ることができるだろう。

鈴木すずき謙介けんすけ『ウェブ社会の思想』による)
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