1孔子は、日常生活のこまごまとしたことをよく知っていた。それを見た弟子が感心すると、孔子は、自分は貧しかったから何でも自分の手でやらなければならなかったのだと言った。政治改革を目指した孔子は、結局政治の分野では大きな業績を上げることができなかったが、子弟教育の分野で後世に残る足跡を残した。2それも、孔子がバランスのとれたゼネラリストとしての力を持っていたからだろう。しかし、今日、そのようなゼネラリストが日本の社会にいるかというと心もとない。ゼネラリスト不在の社会というのが、今日の日本の問題だ。
3では、その原因はどこにあるのだろうか。第一に考えられるのは、現代の社会が孔子の時代に比べて、社会制度の面でも、科学技術の面でも、巨大化、複雑化が増していることである。そのため、一人の人間が全体を幅広く把握することがきわめて難しくなっている。4例えば、原子力発電所の事故があったときに、いろいろな専門家がそれぞれの立場から意見を述べたが、それらをまとめるゼネラリストの役割を担う人はほとんどいなかった。あとから次々と指摘されたずさんな管理の仕方を見ると、当初から原発という巨大なシステムの全体像を見通せる人がいなかったらしいことも明らかになった。5巨大化に対応するだけの広い視野を持つ人がいないまま、細分化された場所で専門家がばらばらに仕事をしていたというのが実態に近かったようだ。
ゼネラリスト不在の第二の原因は、社会の安定と成熟に伴い、世襲化の傾向が増してきたことが挙げられる。6政治の分野では、全くの新人が、地盤や看板や特別の知名度なしに当選することが難しくなっている。更に、世襲を有利と感じる一種の利権集団が形成され、それが外部からの新規の参入を阻むために、選挙の制度や法律を複雑にしている面もある。7世襲化の弊害は、生まれつきその分野しか知らない視野の狭い人材が育ってしまうことにある。政治家という最もゼネラリストの資質が要求される分野で世襲化が進めば、その弊害は更に大きいと考えられる。
|